第五章 二

 樋口ひぐちは事件のあらましを真木に語った。

「そう。彼女は実は生きていた。学校から失踪し、行方不明となった後もずっと生きていた。それも、私が考えるには、宗教団体『古来九子こらいくし』の影響下で行われた行方不明事件であるとの見方が強い。彼らであれば、大掛かりな絵を描き、一種、大胆な作戦を実行するのもわけはない。

 ただし、行方不明になった彼女の才能は、殺された掛浦輝恵かけうらてるえによって言葉巧みに利用されたものだった。彼女は一旦、行方不明者となったことで、その状況を部外者に話せず、相談することもできなかった。もしかすると、作詞を代わりに書くと言うことは『古来九子』に強制されてしていたことなのかもしれない。彼らはまだ社会に潜んで、活動を続けているのではないかという噂話まであるからね。人の才能を使って何を企んでいるかまでは、わからないが。

 作詞については、専門家に聞いて回ったが、人の手でつくられたものに間違いはないそうだ。

 創作した作詞に関して、理解されない苦しみが、犯人の中で何重にもあったのかもしれない。

 被害者にとっても犯人にとっても実に悲しいことだが、『才能』をめぐって大きな悲劇が起こってしまったと言える。」

 真木まきは樋口の顔を見た後、床に目線を落とした。

 書類を持つ手がわずかに震え、真木の目の端に、うっすらと涙がにじんだ。

「田塚が——あのとき、行方不明になった田塚が、今も生きている可能性があるんですね」

 真木は揺れるような声音で言った。

「良かった……俺は本当に心配して。いや、俺だけじゃなく、みんな、どれだけ、あいつの姿がないことを悔やんだか——」

 

 少しの間、樋口は何も言わないでいた。だが、顎に手を当て、考え込むような仕草を見せた後、言った。

「ところで、『マギ ルミネア』卒業生と言うのは皆、才能の塊のような人物なのかい。まあ、こんなに立派な家で、一人絵を描いているのを見ると、そう信じざるを得ないけれども」

 樋口はそう言うと、横にあるキャンバスに目を向ける。

 描きかけではあるが、鮮やかな色合いで切り取った風景が渦を巻いたり、または大きな斑点模様のように描写され、しかも、それが点描によって緻密に描写されている。

 白い部分が多いため、完成形をイメージすることが樋口には難しい。

 だが、一部を見るだけでも何か引きつけられるものがある。少なくとも、樋口の目は未完成の絵にしばし、吸い寄せられていた。

 

 真木は視線を床に落とす。

 その視線も、わずかに揺れていた。キャンバスを見ている樋口からは気づかれなかったかもしれないが、内心の動揺が深く現れていた。

 だが、真木はついに、意を決したように樋口の顔を見た。

「俺は、あの学校に三年間通い、卒業しました。そのことに悔いはないです。けれど」

 真木はそう言った後、手を握りしめた。

「クラスメートが一人、行方不明になってしまったこと。その上、学校の内部関係者が言うには——あの学校は、ある宗教団体が生徒達からデータを取るための研究所だった。生徒を人間とは思わず、どことなく軽視していたところがあったんです。そのことが、今でも悔しくて仕方ない」

 真木の目には暗い怒りの感情が、にじんでいた。

「あの学校が何かを隠していたのは、在籍時から薄々感づいていました。俺の友人の烏堂が、そう言っていましたから。学校の卒業生は、元々経済的に裕福な家庭出身者が多い。だから、と言うこともありますが、卒業した後に、皆、持っている才能に呪われてしまうんです。その才能も、社会的に良い方向に向くか、それとも悪い方向に向くか、わからない。俺はずっと、あの学校の魔の手から逃れられない。そんな感覚をたまに抱くときがあるんです。一人で絵を描いていると」

 

 最後は、どこか寂し気に真木は言った。

 人に誉められこそすれ、抱えている才能の重さ、醜さに、時々どうしようもなく全てを放り出してしまいたい気持ちに駆られる。

 意図したときに人に誉められるのはまだ良い。

 だが、そうでないときに誉められ、称賛されるときの、とてつもない居心地の悪さと言ったら。

 それでも、未来のために持っている才能と向き合わなくてはならない。

 努力が認められても、認められなくても。人から何を言われ批評されても、結局は、人に誉められる才能へ純化させなければならない。

 それが、たまらなくもどかしい。

 見えない檻の鉄柵を探して、手にしようとしても叶わない、そんな宛てもない悲しさ。

 『マギ ルミネア』卒業生であれば、皆、もがくように日々、才能と苦闘している。

 あの学校にいた者でしか、それはわからない。

 

 樋口は真木の言葉に耳を傾けていた。

 沈んだ思いの中にいる真木を眺め、両腕を組んで言った。

「だが、真木君。君が言う『呪われた才能』っていうものは、君が気づかないくらい計り知れないものなんだな。こんな立派な家に住めるのは一重に君の才能だからではないのかい」

「それは、そうかもしれないですけど……」

 なおも、苦しい思いの中にいる真木に樋口は言った。

「いいかい、君は君のままで良いんだよ。君の才能は認められているし、誰かに批判されたくらいでふっと消えても良いような、そんな才能では全くない。むしろ、食い下がるような気持ちで才能と向き合うべきなんだ。そうすれば、君なりに、何か気づけるものがきっとある」

 樋口の言葉に真木は、はっと目を見張った。樋口はなおも続ける。

「この事件を追う内に、苦労しない、、、、、天才デイ・トレーダー。土地を『もっとだ、、、、欲しい、、、』と思う不動産成金。それから、噂が好きな鷲井、、さんに、渓流釣りが好きな、魚好きの坂野井、、、さん。いろんな人の名前を聞いたよ。彼らの名前には本質が現われ、また、そのことを知るためには——」

「え? 何のことですか」

 虚をつかれた気持ちで真木が聞き返す。

 樋口が、わずかに肩をすくめた。

「ああ、いや、あの学校で重要なことなのに、誰も気づいていないことがあってね」

 樋口が少しだけ軽い口調で言う。少しだけ悪戯っぽい笑みも、なぜかうっすらと口元に浮かんでいた。

「それが、小規模な宗教団体、『古来九子』について。

 『九』と子どもの『子』で、なぜ『くし』と読ませるのか疑問だったが、その謎が解けたよ。通常であれば、『きゅうし』と読んで、竜生九子。中国のように、竜の子どもを意味するはずなんだがね」

「でも、報道でも、あの団体は『こらいくし』と言う読みで——」

「そう。その通りだ。だが、信者も他の人もまだ、気づいていないことが一つある」

「一体、何のことです」

「言葉上の法則と言う意味において、だよ」

 子どもっぽく、ニッと笑って樋口は言った。

「いいかい、『くり返し』。これが重要だ。『くり返し』と言う言葉を何回も言ってみると良い。その後に、『古来九子』を読んでみて、気づくことがあるだろう。

 それは、『くり返し』と『古来九子』。二つの単語は子音が共通していると言うこと」

 

 樋口に言われて、真木も脳裏に二つの単語の子音を思い浮かべる。

 『くり返し』の子音は、KRKSH。

 『古来九子』の子音は、KRKSH。

 確かに、二つの単語は子音が共通する。

 つまり、宗教団体『古来九子』が『祈り』をくり返し言わせる、その謎が、ようやくにして解けた。

 今までは信者の精神状態を追い込み、洗脳するために、そんなことをしているのだと真木は考えていた。

 だが、それは違った。

 宗教団体としての名前と信条を共通させ、見えない内に言葉上の法則、言語的呪いを密かに、かけていたのだ。

 

 真木は、はっとした表情で樋口を見る。

「真木君、これはね、君が気づいているかどうか知らないが、神道でも言えることでもある。

 神道の太陽神、『アマテラス』の子音と、古い太陽信仰ミトラス教の神、『ミトラス』神の日本語上での表記、二神からは共通の子音が浮かび上がってくることと同じ。

 少なくとも、宗教団体『古来九子』を立ち上げた人間は、そのことに気づいている。だからこそ、団体が信者に押し付ける『祈り』は全て九文字。

 九字——つまり、読み方として『くじ』と『くし』。それから、『力を駆使する』と言う意味の『駆使』を使い、『思い通りに使いこなすこと』という意味を、かけている。言葉を思いのままに操り、見破られずに使いこなすことが大切なのだと、ね」

 真木は驚きのあまり、口を半開きにした。

 当時の報道でも、今、樋口が言ったような解説は全く見かけたことはない。

 音韻上の解説、いや、民俗学的な解説と言うべきなのだろうか。

 今まで、何も気づいてこなかった謎を、樋口によって解明される。

 現実の中にありふれている言葉の謎ですら、真木は気づけなかった。

 ——たった今、樋口に言われるまで。

 

 言葉に対する信仰。言葉に対する謎かけ。

 まさに、烏堂が、ずっと前から行っていた言葉の研究そのもの。

 烏堂は言っていた、『言葉と言うのは相手の思考や思想が良く現れているものだ』と。

 だからこそ、今になってわかる。告白してきた三年女子のことを、彼我戸と同じような『古来九子』の信者かもしれないと考えたのだろう。

 だが、樋口の言ったことは、烏堂の言っていたことよりも、別次元——言葉の奥に潜む力そのものに焦点を当てている。

 いや、烏堂でも、ここまでは見抜くことはできなかっただろう。

 樋口だからこそ、ありふれた言葉の奥にある大きな謎と、その真実にたどり着いている。

 その推理と閃きには、この先何十年経ってもたどり着くことはできなかったかもしれない。

 まさに、稲光が暗闇を照らすような、とてつもない輝きを真木は目にした気がした。

 

 突然、病室の扉を叩くノックの音も無しに、あわてた様子で叔母の華枝はなえが部屋に入ってきた。

 真木の方を見ると、動転した表情で言う。

路惟るい、ちょっと! 今、テレビで」

 言葉がもつれて声にならず、上手く説明できない様子だった。

 このような養母の姿を目にするのは初めてだ。

 ここまでの動揺を彼女が見せるとは、何か事件があったと言うことだろうか。

 

 何回か呼吸をくり返し、ようやく落ち着いた様子で叔母は言った。

「さっき、夕方のニュースを見ようとロビーにあるテレビを見ていたらね——テレビで、昨年夏に起こった未解決事件の犯人が逮捕されているのよ! それが——路惟、あなたも覚えているでしょ。あの『マギ ルミネア』で行方不明になった子。その女の子と同じ名前で——」

 

 まさか、と真木は思った。

 向かい側に座っている樋口の顔を見る。

 彼は意を得たり、と言った表情で真木を見た。

 まるで、言った通り、思い通りの未来がさっと現れたでしょう、と言わんばかりだ。

「とにかく見ればわかるわ。あの子、行方不明になって死んだんじゃなく、隠れて、ずっと生きていたのよ! しかも、記憶を失ったまま」

 華枝が急いで病室にあるテレビをつける。

 真木は信じられない表情でテレビ画面に釘付けになった。

 テレビ画面からは、昔見た顔が映っていた。

 ——間違いない、彼女だ。

 どことなく昔の面影が、今の彼女にもあった。

 表情が少ないのも相変わらず。けれども、中学校時代にあった幼さは消え、順当に時間を経過した、長い黒髪を結んだ、大人の女性へと変貌を遂げていた。

 そこには、テレビ画面で大写しになった、田塚真加たつかさなかが殺人罪で逮捕され、報道陣がフラッシュをたく中、警察とともにいる姿が映っていた。



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