2話 なりかけだった

「もう楽にしてやれ」


 この症状まで来ると、早急に患者を安楽死させる事が推奨される。

 理由は単純。全身が壮絶に痛むからだ。

 筋肉が緊張と弛緩を忙しなく繰り返し、時に膨張しては筋繊維を傷つけ、骨を軋ませる。そうすると理性の入る余地はなく、激痛が喉から飛び出す。その様相がレイヤー参を示していた。

 とはいえこの「副反応」に実の所意味は無い。

 ウイルスが宿主を痛め付けるのは、「早く殺してくれ」と思うほどの激痛を与え、生存本能を徹底的に潰すためとされる。

 ウイルスにそんな明確な悪意があるかは不明だが、ウイルスの特効薬は本人の「強い意志」だけという漫画のような学説を唱えているお偉いさんがいるわけで、思考放棄も甚だしかった。


「こいつヤバいんだろ。早くコア破壊しちまえよ。憲兵まだ来ねぇのか」

「兄ちゃんに触るな!」

「このガキもどっかに連れてかねえとな。〈兵器型デバイス〉持ってる奴は? 早くしねぇといつ襲ってくるかわかんねえぞ」


 先程店を出ていたソフィアが場に居合わせていたようで、男の肩を掴み声を荒らげる。


「いい加減にしなさい! 彼だって死にたくないはずよ」


 第三者が――赤の他人がそう思うことはあっても、公衆の面前でこうも感情的になるとは。リーレニカは遠目ながら感心する。まるで身内をモノ扱いされているようなさとし方だった。


「ここまでってりゃ、生きてても意味ねぇだろ。レイヤー参だっつってたぞ? 俺はこいつが人殺しになる前に処理してやるって言ってんの。ノロマな憲兵様がいねえなら俺ぐもあっ?」


 男の乱暴な口調は、後方から襟を掴み崩される形で止められた。

 リーレニカは自分でやっておきながら自身に呆れたように溜息をつく。お得意様と少年の意志を尊重しての行動だった。

 地べたに尻餅をつく男が睨み返す。


「機人の有痛論支持者ね。あなたの理論は、来月ソリティア学長が開く学会で高らかに発表するといいわ」


 無様にへたり込む男へ長く時間を使うつもりは無い。


 機人を発症した青年の額と手首に触れる。防護用に掌に纏わせたマシーナウイルスも、水蒸気のように霧散し始めた。大体の疾病でオーソドックスな発熱症状。ただ、彼の体は火に当てたフライパンのごとく熱を発している。


「酷い熱……善性マシーナのワクチンは無いのですか?」

「生憎私はデバイス専門で、機人は畑が違う。必修科目程度の簡単な医学知識で応急処置が出来ればと思っていたが、これでは……」


 この男、さては自分の知識をひけらかすためだけに出てきたのではあるまいな。技師に早々に見切りをつけ、自身の蝶を模した耳飾り――「デバイス」を起動する。


『くあ……眠い』


 耳元で、〝蝶〟が気だるそうに言葉を紡ぐ。紫水晶を薄く加工したような精巧な外観とは打って代わり、意志を持った宝石はだらしない態度で応じた。


Amaryllisアマリリス――〈同期〉」


 声量は最小限に、誰にも聞こえないように指示をする。

 途端、リーレニカの世界から色が失せた。

 更に言うと、「白銀に塗り潰された」が正しい。

 人々の顔や、建造物の姿が特徴を失う。代わりに各人、各物質に寄生しているマシーナウイルスが、それぞれの色を主張した。

 一気にネオン色に染まった風景へ切り替わっていく。


 ――マシーナウイルスの副産物である、デバイスのもたらした支援風景だ。


 Amaryllisが知覚する世界と、リーレニカの感覚を同期させたもの。拡張現実に近い。

 これにより物質を透けて見る事が可能になる。今回は、機人化の進行具合を目視で診る事に応用した。


『心臓部に高濃度のマシーナ反応を検知。体液汚染率、三十パーセント――この喋り方、堅苦しいからやめさせてくれんか?』


 Amaryllisが辟易したように主人へ抗議を申し出る。ただし、この言葉は脳内に伝達しているだけであり、基本リーレニカの独り言に見られるため口頭でコレに応じることはしない。

 

「――いけない。汚染された血を抜かないと。いつ機人になってもおかしくない」


「どけッ」リーレニカの様子を悟ったのか、機人殺害派の男は強引にリーレニカを引き剥がそうとした。

 同期が切断される。


「待って、今手を離したら――」


 リーレニカも決して、機人を生かすべきだとは考えていない。ただ、機人化した姿を見た民衆の――更に言うと半機人化した人間の公開処刑を演じれば、彼らのストレス値に悪影響である事は必定だった。

 精神に急激な負荷ストレスがかかると、体内のマシーナウイルスが異常反応を起こすことは珍しくない。

 男の面倒を見ようとしたもう一つの理由は、先述とは別に、「まだ御しきれる」と判断したためであった。


 この個体はあくまで機人の〝なりかけ〟だ。

 ――なりかけだった。


「最悪だ」

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