第12話
昨日(オリジナル+四回目)同様にタムリンは馬を少しだけ早めに出し、武器庫に寄って火薬を調達し、集合場所に向かった。
集合場所に到着し、セセナの同行がキムノワから発表されるとタムリンは、オーグの姿を確認し、セセナの馬車に近づいた。
「お嬢さん、聞こえてる?」
「大丈夫よ」
窓から見えるセセナの笑顔に、ほっとすると同時に胸がキュッとする。ひとりじゃない喜びと、ひとりじゃないからこそ抱える使命感のような気持ちを意識したら、自然と拳が握りしめられていた。
予定よりも少し早めにタンデムになり、セセナとタムリンはこれからのことを打ち合わせた。おそらくはオーグが離脱するのは避けられない。また研究所のあたりでドラゴンに遭遇するとしても、その前に研究棟で武器になりそうなもの、使えそうなものをできるだけ探してみよう、ということを決めた。
「あの、お二人とも、以前にここにきたこと、あるんでしょうか?」
オーグが驚いた顔をする。無理もない。オーグと合流をし、昨日(オリジナル+四回目)と同じく研究棟に潜入した。違うのはセセナとタムリンは迷わず、棚と木箱の部屋に突入すると、持ってきたナイフで木箱を片っ端から開け出したことだ。
「じゃないけど、こうするしかないの、手伝って! 武器になりそうなものを、探して欲しいの」
説明を省くがオーグもすぐに手伝ってくれた。
「まあそうですね、食べ物は難しいけどこれから暗くなるし、武器はあったほうがいいですね」
などと、ちょっとずれているような正しいことをいいながら。
「や!」
「どうした?」
「なんでもない……トカゲ? ヤモリ? なにか急に出てきたから」
恥ずかしそうにセセナが言う。本来ならばきっと、もっと怖がったのだろうけど多分、緊張でいろいろと感情が麻痺しているんだろう。
「ああ、どこから入り込んできたんでしょうね? トカゲですね。こんなところに住んでいるのに結構太ってる……この場所で、なにを食べてるんだろう」
オーグはそれをひょいっと捕まえた。
「さすが、簡単に捕まえるもんだな」
タムリンは感心する。子供の頃トカゲを捕まえようとして、いつも逃げられてしっぽをつかまされたことを思い出す。
「トカゲの両眼視野って、前方十四~三十二度くらいなんですよ。全視野は三百三十度くらいあるんですが、動かずに上から手を出せば、案外簡単ですよ」
「もういいから、仕事仕事!」
オーグのレクチャーを無常に切り上げ、セセナは背中を向けて木箱に手をかける。タムリンもならって、棚の上の方に手を伸ばす。
どん、と、地響きと、閃光。
咄嗟に目を瞑るとタムリンは、大きな声で叫んだ。
「棚から離れて。オーグ、セセナ。いったん廊下に出て!」
とっさに頭を保護しながら手を伸ばし、麻袋に入れた武器をひったくるように掴むとタムリンは、転がるように廊下に出る。
どすん、ばきばき、と木が割れる音がする。オーグとセセナが、廊下で体を低くしていた。
「オーグ!」
驚いた表情のオーグと目が合う。
「外にいるのは、ドラゴンだ。あたしが囮になってドラゴンを引きつける。建物からなんとか離すからその隙に、馬、ダイナに乗って逃げて」
「ドラゴン? まさか」
オーグがそう言った瞬間に、すさまじい咆哮がした。建物が大きく縦揺れする。ビリビリ……と空気が震え、次の瞬間、大量のガラスが割れる音がした。建物が崩れて、地面で砕ける。その向こうに鱗に覆われた、脚の一部が見えた。
「まさ……」
「ここに留まるのは危険だ。頼む。これだけの音だ、近くで探してくれている騎士団もきっと気づいて近くに来てくれるはずだ。馬に乗って、騎士団に救援を依頼して欲しいんだ。
ドラゴンの頭も、トカゲに似ている。同じ構造で前方視野が三十度くらいしかないなら、囮になって研究棟から少し遠くへ先導すれば、その間にオーグを逃すことができる。視界にさえはいらなければ、オーグは安全に逃げ切れるはずだ」
もしあたしたちが失敗しても、とは付け足さなかったが、きっとそこまでを読み取っただろう。セセナもタムリンの言葉に強く、頷いた。
オーグは自分も残る、せめてお嬢さんが逃げてくれと言ったのだが、強引にでも押し切るしかない。オーグに騎士団を迎えに行って欲しいのは本音だし、セセナがドラゴンになるのをできれば、誰にも見られなくたい。ここはどうあってもオーグに納得してもらうしかなかった。
「オーグ、気持ちは嬉しい。だけどあたしほどあんたは、戦えない」
タムリンはキッパリといった。
「火薬やナイフといった、武器の扱い。体力や場数。わかるよね?」
「でも、せめてお嬢さんが逃げて、仲間を呼べないでしょうか?」
タムリンとセセナの目線が交錯する。セセナが軽くタムリンを制し、口を開いた。
「オーグ、私の父がドラゴン研究の第一人者であることは、知っているわね?」
「はい、お嬢様」
自分が器であることも、と、セセナは言わなかった。
「私もその父の元、ずっとドラゴンに関する研究に触れて、実証実験の一部に立ち会っているの。タムリンは訓練を受けているとはいえ、ドラゴンと戦うのは初めてだわ。だからせめて、私がサポートするの。これで」
セセナは麻袋から弓矢を取り出し、袋の底にある火薬や薬品を指差した。
「もう時間がないわ。オーグ」
また何度目かの、咆哮。
研究棟がみしみしと音を立て、ガラスが割れて砕ける音がする。ちぎれた蔦の青臭い匂い。飛び散る瓦礫が石つぶてとなり、四方八方から降り注ぐ。
建物に身を寄せて体を低くし、腕で目を保護する。建物内にいるであろうセセナの視線を、感じた気がした。
「セセナ、じっちゃん」
思わず小さく呟いた。呼吸を落ち着かせて、あたりを探る。道中セセナとタムリンは、どうやって戦うかを話し合っていた。
「あの緑のドラゴンがやっかいなのは、火を吐くからよ」
セセナが言う。
「そして私はまだ、自分がドラゴンになったとして、何ができるのかがわかっていない。自分も火を吐けるのか、毒を吐けるのか、戦い方も性能も、まったくわかってないのよね」
「ドラゴン初心者、だからね」
思わず言うと、セセナは笑った。
「そうよ、まだ初心者なのよ。だからどう戦うのかがまだ、ね」
寂しそうに笑うセセナの背中を、タムリンは軽く叩いた。
「そんな顔しないで。戦うことが当たり前なんて、絶対に思わなくていいんだよ」
「したくもなるわよ……それにしても、ドラゴン討伐というくらいなんだから博士もなにかこう、必殺の武器みたいなのを発明してくれてたらいいのに」
「そんな魔法じゃないんだから……博士……博士?」
博士といえば。何か引っ掛かる気がしてタムリンは、手繰り寄せるように記憶を探った。図書館で会った時に、そういえば。
「そういえば博士が、興味深いことを言ってた……人間が圧死するには、五十キロもあれば十分だって。潰れることじゃなくて、横隔膜が動かせなくなって、呼吸ができなくなって死んでしまうんだって。ねえ、プラチナは重たいんだったよね? その攻撃なら、危なくないんじゃないかな?」
「ちょっとちょっと、人が圧死するって、どんな状況でその話になったの?」
「まあまあ、流れで」
その詳細をセセナにいま話す気にはなれなかった。セセナはじとっとした目線をタムリンに投げたが、にっと笑った。
「まあいいわ。頼もしい護衛は時々、とんでもなく物騒になること、忘れてたわ」
「でも、もし重力で活動停止にできたら、前回みたいに川で急冷っていう事態は避けられるはず……ああでもまだ、火炎対策は必要なの? いや、背中から倒せれば……? やっぱりあたしが囮になって」
「また。ちょっと待って。整理しましょう。まず火炎対策は大丈夫だと思うわ。ちょっと考えたんだけど、あの緑のドラゴンがエメラルドだとしても、その融点は千四百二十度。プラチナはもっと高いの。千七百六十九度よ。だから最悪、正面から押さえ込む形になって、炎を直接浴びても私が熱で負けることは、ないと思う」
……そうだ、セセナを信じよう。
タムリンはゆっくりと息を吐き、足の指でをたんたん、と地面を軽く叩いた。オーグを無事に逃すために、今日初めての、そして記憶では三回目……四回目か?の、ドラゴンとの追いかけっこの、始まりだ。
「さあ、来い!」
ナイフに結んだ布が、ひらひらとはためいた。
凶暴なドラゴンが、一瞬だけ子供みたいに首をかしげた。さあ、来い。こっちへ来い!即座に身を翻し、ドラゴンを傷つける。咆哮。地団駄を踏むような動きと、ものすごい地鳴り。緑の瞳はもう、怒りに見開かれている。
ドラゴンが前進する。研究棟をぐるっと囲っている石の塀が、おもちゃのように崩れる。鱗だらけの脚がそのまま塀を破砕し、森の木々を薙ぎ倒しながら、タムリンを追う。
「しっ」
タムリンの歯の間から、空気を割くような音が出る。勢いをつけて膝を曲げ、反動で左に飛ぶ。目の前には大きな岩が地面に埋まっていた。
「このまま左へ」
タムリンは呟く。しっ、しっ、と、リズムを作りながらジグザクに走る。背中に獣の熱を感じる。間合いが徐々に詰まっていくが、タムリンは不思議と恐怖を感じなかった。
「があああああああああ!」
岩につまずきバランスを崩すと、ドラゴンは全身を振るわせ、咆哮する。がくん、と首が下がったと思ったらそのまま、真上に向けて首を伸ばし、雄叫びを上げた。
鎌首をもたげるように首をなんども振り、尻尾を左右に高速で振り回す。興奮しているのか弛んだ口元から涎が流れ、じゅうっという音を立てて地面にこぼれた。
まずい。興奮している。
その殺気走った目がタムリンを捉え、攻撃の前に獣がやるようなすこし引いた姿勢になった瞬間だった。地面が割れるような重低音と、ぐびゅ、と言った鈍い水音がした。体を屈め、タムリンは左膝を曲げると左肩口に体重を預け、左斜めに回転した。
ずうううん、という衝撃。震動。
必死で流れようとする体を抑え、足を踏ん張る。泥を抉りながらなんとか体を止めようと、地面の草を必死に握る。草と泥の青臭い匂いが充満する先に、緑のドラゴンに覆い被さる、プラチナホワイトの輝きが見えた。
「セセナ!」
緑のドラゴンは長い尾を振り、必死に逃げようとする。ぎちぎちと鱗がぶつかる音が響く。背中を抑える形のセセナは、びくともしない。
「よかった……」
高音に強い、とは言っても火炎を真正面から浴びたら危険だろう。セセナは体を折り曲げるようにしてぐいぐいと緑のドラゴンの背中を押し、その長い首を巡らすと、ひゅう、と頭部を緑のドラゴンの頭部にぶつける。
緑のドラゴンの頭部が地面にめり込み、踏ん張った前足の爪が、まるでおもちゃのように木々を薙ぎ倒す。
追いかけるようにセセナの前脚が、地面に釘でも打ちつけるように上昇し、そのまま落下する。めりっと緑の前足が、地中へ沈み込む。
ドラゴンの苦悶の咆哮が次第に低い唸り声になり、じたばたと踊り狂っていた尻尾の先の動きが鈍くなる。
緑の首が弱々しく持ち上がりかけ、歯の間からぶしゅう、のような鈍い音が漏れ出る。ごぼりと黒い塊のようなものが顎から地面に流れ落ち、小さな水たまりを作った。
「終わった……」
気がついたらタムリンは、膝をついたまま呆然と、草と泥とを握りしめていた。震える手を開き、手を言わず髪の毛も体も、びっしょりと濡れていることに気づいた。
あのドラゴンの咆哮が、雨雲に届いたのだろうか。霧のような雨が、あたりに降り注いでいた。地面から湯気がたちのぼり、緑のドラゴンの熱が薄まってゆくのを感じる。嫌いなはずの雨だが今日ばかりは歓迎だった。
動かなくなった緑の塊に走り寄る。気がついたらそこは緑一色。セセナの影も形も見当たらなかった。
「セセナ?」
ナイフを緑のドラゴンの体に刺しながらその体の上に登る。血と体液と泥とが混じり合って、猛烈に臭いし、まだところどころ熱をもっている。滑りながらもなんとか自分の体を持ち上げると、緑の塊の上にちょこんと、真っ白なものが目に入った。
「セセナ! 大丈夫?」
真っ裸のまま雨に濡れたセセナが、そこにくったりとしゃがみ込んでいた。鱗がぬるぬる滑るのも構わずに、タムリンはセセナに駆け寄る。
「よかった、セセナ! あたしがわかる? あんた、ちゃんと、人に返ってる!」
セセナはぼんやりとタムリンを見上げると、かくんと首を垂れ、弱々しく手を握ったり開いたりした。そうしてもう一度、首を上げた。
「タムリン、あたし……」
「おかえり、セセナ」
ぎゅっと抱きしめたセセナの体は、驚くほど熱かった。
「帰ろう、セセナ。ありがとう」
「ええ、帰りましょう」
掠れるような声で、セセナが返す。タムリンはその体をもう一度強く抱きしめ、肩に手を入れた。
「明日はさ、一緒に、チュチュと遊ぼうか」
「そうね……うん、そうしましょう。ねえ、あたし……重くない?」
たっぷりためてから質問をしたセセナが愛おしくて、タムリンは思わず笑ってしまう。
「ばっか。ぜんぜん。重くなんかないって」
「そっか、よかった」
眠そうな声を聞きながらタムリンは、早く明日にならないかなと思った。
世界に平等に来る明日に、自分とセセナをもう、混ぜてくれ。
地続きの明日をこそタムリンは、熱望した。
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