第4話
「砲弾は四ダースごとにまとまってるから、この箱一つで四十八かける四の、百九十二……え、こっちは十進法じゃないの? やば」
割と堂々と愚痴ってしまっても問題ない、とばかりにタムリンは呟いた。場所はトゥフール騎士団専用武器庫。強引に拉致られてトゥフール騎士団一番隊に配属され、実際には辺境伯の娘であるセセナの護衛をおおせつかってから約半月。その間にこの騎士団に関しても、なんだかんだ覚えてしまった。
ミュア国の北西部に位置するトゥフール州に拠点を置く王の直轄部隊であるトゥフール騎士団には現在、およそ二百名が属している。主要任務は国境の警備などを含む軍事・警備関連ではあるが、一年ほど前に特別にドラゴン討伐という任務が追加された。とはいっても実際にドラゴンに対峙するのは騎士とその下に従っている従士、およそ百五十ほどだ。それ以外に資産管理などの裏方である修道士なども団員だが、戦場に出ることはない。よって砲弾や弓といった武器は、百五十を母数として揃えることになる。
「しっかし、数えるのも結構……」
折れかけの矢が堂々と武器庫に戻されていたり、半分からの箱が放置されていたり、単位が十だったりダースだったり。数を数えるだけだと思っていたが、武器庫の管理は思った以上に大変だった。セセナが外出しない時は護衛といってもやることがないため、今回は武器庫の数勘定を任された。それにしても……とにかく物が多く、管理されるべき物が多すぎる。数学も算数も、正直お呼びではないタムリンにとっては、むしろあの可愛げのないセセナの相手の方が、楽なくらいだ。
「……休憩、しよう」
かがんで数えていると、腰にくる。積み上げてある寝袋に体を預けて休もうとすると、がさっとなにか紙の束の感触があった。やばい。なにか資料を踏みつけたか?
そっとお尻を持ち上げると古い紙の束と、くしゃくしゃになった紙の小さな袋がある。見ると薬の袋のようだ。
「誰か武器庫に来て、落としたのかな」
紙の束の方は明らかにゴミだったので処分するとして、この薬は……持ち主に届けたいな。どこかに名前ないか……
「薬かどうか、ちょっと中を改めるか」
独り言が声に出て自分でもちょっと引く。一人作業が多いとこれだから。まあいいか。袋についていた折り目を戻し、中を覗く。見たことのないような明るいピンクの大きな粒が十個くらい、油紙に包まれていた。アメのようにも見えるけど……
よく見ようとしたその時、ドアをがちゃがちゃと開けようとする音がした。
「誰かいるのか、入るぞ」
「はい?」
今日は訓練に参加して、そのあと体を洗ってから武器庫に来たので、もう外は真っ暗だ。多分もう、二十一時は回っているだろう。こんな時間にわざわざ武器庫にくるなんて、誰だ?
「……暗いな、節約は美しいが、もうすこし明るくしないと危ないぞ」
そう言いながら入ってきたのは、副団長のダレオだった。
「副団長……何か探してる?」
「ああ、まだやってたのか」
まあ、この人なら遅くに武器庫にやって来てもおかしくはない。訓練などで手合わせしてみて分かったのだが副団長、ダリオは相当強かった。聞いたところによれば、最短かつ最年少で副団長になったのもさることながら、本来であれば貴族出身のみに許される騎士に、庶民出で選抜された、異例中の異例の人なんだとか。特例と異例をミルフィーユみたいに重ねまくった、破竹の大抜擢らしい。もはやにんべんに強いと書いてダリオと読む、くらい腕っぷしが強い。しかも馬術やら弓の腕もめちゃくちゃすごくて、逆にどうして副団長でいるのかがわからない。団長にまだ会っていないので、この上がいるのかとちょっと想像ができないくらいだ。
そして武器庫の整理にも、訳があった。なんでも国王だかその下の大臣だかが、最近続発しているドラゴンの被害を重視して、ドラゴン討伐に加えてドラゴンに関連する調査研究には報奨金をつけると発言したらしい。そう。ドラゴン討伐。それはこの州の、大きな悲願であったからだ。
とはいえ。悲願というのはつまり、今まで叶っていない願いである、ということだ。ミュア国は温暖で緑も多く、肥沃で豊かな土地だ。暮らしやすいのだが同時にそれは、人間だけではなく動物にも、そして主に動物を餌とするドラゴンにとっても暮らしやすいというわけで、ドラゴンに襲われる、土地や家畜を荒らされるという被害報告は、国中でトゥフールがダントツであるらしい。
特に国境にある渓谷とその近隣の森は、温暖なトゥフールでも唯一の例外で、一年中霧に覆われた寒冷な土地だ。近年、そこにドラゴンの巣ないしは拠点があるのではないか、と言われている。今まで何度か歴代の騎士団が視察団を送り込んだものの、帰還者が数えるほどであるため、そこは「死の森」と呼ばれている。
まっとうな理由があって遠巻きにされていた土地にメスを入れ、ドラゴンを人間の力で討伐する、というのである。当然騎士・従士への特訓は苛烈になった。ただ、国王命令の討伐という大義名分のためなのか、入団希望者は引きも切らさずらしい。
「遅くまで、仕事ご苦労……」
ダレオはとんとん、と、荷物の間を飛び跳ねるように窓の方へと進んだ。その横顔に月の光がさすのを、ちらっと眺める。
「感心だな、と、褒めたいところなんだがな、おい、これ」
ダレオの眉間にきゅっと皺がよった。
「あのな、タムリン。はっきり言うけどな。お前これ、なんだ?」
いつも眠そうな目に少し光がさして、あ、このダレオ、結構本気だなと思う。ダレオはタムリンの鼻の先に、いつの間に手にしたのか、帳簿をぐいっと突き出す。
「あ、いて!」
「いて、じゃねえよ! んなに鼻、高くねぇだろ。ぶつかってねえだろが。もう少し真面目に書けっていってんだよ。武器の数ももちろんだけど、使い方によってそれぞれの償却の仕方も違うんだ。少し考えろ。砲弾を使うには火薬もいる。すくなくとも砲弾をそろえたらそれに見合う量の火薬が準備されてなかったら、砲弾も使えないってことだ。であればこのページと」
おいおい、こいつ、わざわざそんな、いちいち武器在庫の資料に全部、目を通してるの?うそだろ?
「……このページ。この表はまとめて管理した方が効率的だし漏れもない。他にも例えば」
そして信じられないことにこの調子でダレオは、武器庫だけではなく木材や鋼材といった資在庫すべての項目が事細かにチェックされたメモを説明し、俺に突き返してきたのだ。
「タムリン。お前はどうも、バカじゃなさそうだ。資材管理というのは単に数字を合わせることだけじゃなくて、いや、もちろんそれが一番なんだけど、どう管理するかもしっかり考えてみてくれ。お前ならできる。ってか、や・れ!」
ダレオは、ばさっと俺の前に広げられた資料にびしっと指をあてると、俺の顔をぎりっと睨んだ。
「う、わかったよ……じゃなかった、了解しました、副団長殿」
広がった資料をかき集めようとすこし屈んだ瞬間手から薬の袋が落ちて、ピンクの粒が入ったビニールがこぼれ落ちた。とっさに拾おうとしたが結局、ビニールは地面に落ちてしまった。
「その薬、お前のか? 体調悪いのか?」
ダリオの目が、ピンクの粒が入った紙袋に向けられている。
「いや、整理している時にたまたま拾って。見たところ薬みたいだから、どうしようかと思って……」
油紙を開いてピンクの粒を見せるとダリオは、
「薬にしちゃ、こんなに派手なピンクってのが珍しいな……」
「うん、色とかが普通の薬っぽくないんだよね。袋に名前もないし、処方箋みたいなものもなくて」
……拾った時に周りを少し探したんだけど。と、タムリンは思う。
「今度、博士でも聞いてみたらどうだ?」
ダリオが思いついた、のような表情をうかべる。ドラゴン討伐の調査研究のために、国内だけではなく広く国外からも人を集めているらしい。その中にはドラゴン研究をしていて、ついでに魔法に近い術を使えると評判の「博士」と呼ばれる人がいるとか聞いたような。
「げ、すこしうさんくさいって思ってたんだけど。ほんとうにその博士、ちゃんとしてんの?」
「はは、まあうさんくさいのはあるかもな。でも、なんせ相手はドラゴンだからさ。武器も大事だけど、すこしでも可能性のあることを試してみたいってことじゃないのかね」
なるほど、とタムリンは頷き、薬をポケットに入れ、資料をまとめて小脇に抱えた。
「資料は見直してみる。今日は戻るよ」
「ああ、そうしろ」
なくすなよ、と言ってくるダリオに頷くとそのまま、武器庫をあとにした。セセナの用事の合間にでも、博士の研究室に行ってみよう。扉を閉めるタムリンの耳に、あ、資料は明日でいいぞ、今日はもう寝てくれ!という声が聞こえる。え、つまりこれ全部、明日やれってことか。まじか。見たら資料には、事細かにメモも残っていた。これ、ダレオの字だろうか。こんなに細かい性格には見えないけど……それともキムノワあたりが調べた?まあ、いい。今日は寝よう。明日の自分に期待するしかない。
翌日、資料の手直しをしているとお嬢さんが出かけると声がかかり、タムリンはまたセセナと出かけ、いつものように馬車の外でセセナを待っていた。セセナの習い事は多岐にわたっていた。ある日は声楽、お茶やお花、絵画に教養(なにをしているのかはその日によって違うらしい)、そしてなんと、乗馬や弓技なんてのもあった。
「いったいどこに行こうとしてんのかね」
ちなみに先日、スケジュールを見ながらぼそりと呟くと、
「お前、たいがいなことを言ったら懲罰になるぞ」
と、一番タムリンに罰を与えそうなキムノワが相変わらず無表情に言った。
「……すみません、いや、お嬢様がお茶やお花はわかるけど、乗馬や弓技ってのはちょっと……」
「心身ともに磨くことの何が悪いんだ」
言外に、体ばかりを鍛えているタムリンへの皮肉が込められている気がしたものの、キムノワの表情からは何も読み取れなかった。
今日はなんだっけ、絵画、かな?なんて考えているタムリンの目に、ふわっとした真っ白のスカートを揺らすセセナの姿が入って来る。仕立て屋のあと気にするようになったのだが確かにセセナも、どんなにゆったりとしたスカートでも、上半身はきっちりと首までボタンをしめていた。今日もそうだ。ふわっとした白のスカートに、上半身は淡いブルーのシャツ。首の一番上までしっかりとボタンがとめてある。習い事がいつもより遅く始まったせいで終わりの時刻もいつもより遅く、ほんのりとあたりは暗くなって来ていた。暗い光の中に対比のように白いスカートが、白くぼうっと輝くようだ。色白のセセナの顔も白く浮かび上がって光っているように見える。いつもならそんなこと、考えたこともないのになんだかセセナが遠くに行ってしまうような気がして慌ててお嬢さん、と呼びかけようとした、その時。
セセナが驚いたように立ち止まり、振り返る。誰かに声でもかけられたのか?嫌な予感がしてタムリンは駆け出した。
「……なんだろ、知ってるよ。おれ、知ってるんだよ、よう、よう、お嬢ちゃんよぅ、ウツワっこ」
酔っ払いだ。足元がふらついているくせに勢いよくセセナに手を伸ばす。触れそうになった瞬間にタムリンはその手を払いのけ、ついでとばかりに酔っ払いの足を引っ掛けて地面に転がした。
「大丈夫?」
セセナはがたがたと震えている。
「お嬢さん?」
セセナの肩を支えると、涙をたっぷりと浮かべたセセナが、
「ばか! なんでもっと早く、なんでもっと近くにいないのよ、ばか!」
体を押し付けながら泣きじゃくる。確かにすこし、馬車を遠くに止めすぎたかもしれない。
「ごめん、大丈夫?」
セセナを抱えるようにして馬車に乗せる。セセナはしゃくりあげるようにばか、と、なんでもっと、と、繰り返す。
「ごめんて、ほんとごめん。道が狭かったから少し離たところに馬車をとめたんだ。離れすぎていたかも。ごめん。怖かったよね」
するとセセナが、
「じゃ、ないのよ。わかってない、ばか。あたしになにかあったら、あんたもどうなるか。チュチュだって。ほんとにバカ!」
それからセセナはもう、一言も話さなかった。別館につきそうになった時に、目が腫れるからあまり泣くなといったら、すごい顔で睨まれた。何か言いたそうにして、そしてそれを飲み込むような顔でしばらく固まって、それから決心したような表情をすると、そのまま扉は、閉められてしまった。
一人部屋に帰ったが、セセナのことが気になってなんだか気持ちが落ち着かない。酔っ払いに近づかれて怖かったのはわかる。あとで言っていた「あたしになにかあったら、あんたもどうなるか。チュチュだって」というのも多分は、なにかあったら守れなかったタムリンも、もしかしたら連れて来た猫にも罰があるということなんだろうか。それを気にして怒っているのだとしたらセセナは思ったよりもずっと、優しいのかもしれなかった。
そしてもうひとつ。酔っ払いの言葉にしては変だったのは「ウツワッコ」という言葉だった。
セセナはお嬢さんだが、比較的冷静な方だ。酔っ払いに話しかけられても無視して通り過ぎるくらいの頭は回るはずだ。それがなぜ、酔っ払いに反応してしまったのか。多分、想像だけれど、酔っ払いの言葉に何か、反応せざるを得ないものがあったのではないかと思うのだ。そしてそれが「ウツワッコ」ではなかったのだろうか?
器? 器の子?
いつもならばダリオに報告すべきなのだろうが、なんとなくしたくなかった。眠れない。ダメ元でもう一度、セセナのところに行ってみよう。タムリンは少し考えると、そっと部屋を出た。
「なにしてんの?」
「わ、びっくりした!」
セセナに温かいものでも持って行ってみようかと別館の台所に忍び込んだタムリンだったが、台所に入ってものの数分で扉の向こうからそのセセナその人がにゅっと首を出してきて驚いた。
「びっくりはこっちよ。その包丁しまってよ、怖いから」
声に反応して咄嗟に包丁を握ってしまったタムリンは、慌てて包丁を机の上に置く。
「ほんとにその、あの……あなたのその防御体制? 体質? って……まあ、いいわ。で、なにしにきたの?」
「っていうかお嬢さん、なんで気づいた?」
タムリンは驚いた。じっちゃんに鍛えられた自分はかなり、暗闇でも目が効くし、音を立てずに歩くことも得意だ。夜だし別館でもあるからかなり慎重に動いていたはずなんだけど…
「……別に。たまたま……そんなのいいのよ。質問に質問で返すのは失礼でしょ。で、なにしにきたの? なんでこんな夜に別館にいるのよ」
「え」
改めて聞かれると確かにへんなのは自分だ。聞き間違いかもしれない言葉ひとつで夜に、約束もない人に会おうと思うなんて。
「……確かに、変だ。変だった。うん、ごめん。帰るわ」
なんとなく、疲れてしまった。勝手に想像して夜にゴソゴソ動き回って。他の人に見つかっていたら叱られたどころか、下手したら懲罰だったかも。心配していたセセナは元気で可愛げない。なんでこんなのが気になったんだろう。
タムリンは包丁と、見つけた生姜をしまおうと手に取った。
「ああ、そうじゃない。……もう、あんたって。なんでこう、話が通じないのかな」
なぜかイラついた顔でセセナが、タムリンの背中をたたく。
「危ないから。刃物持ってる人間に近づくな」
本気でむっとして、タムリンは少し厳しい口調になる。
「じゃなくて!」
セセナの声も少し強くなる。タムリンはだんだん腹が立ってきた。
「じゃなくて、なんなの? ワガママなのはいいけどさ。刃物持ってる人間に触るだけでも危ないんだよ。怪我をするのはあんたかもしれないんだから。……ああそうか、あんたが怪我でもしたらあたしもお役御免だもんね。あんたにとっては都合がいいのか。夜中に忍び込んで台所で包丁で襲ってきました、とでも言えば……」
そこまで言うつもりはなかったが、気が付かないだけで結構、溜まっていたのかもしれない。あれよあれよと言葉が溢れてきた。
「だまれ!」
「うわっ」
どすん。
タムリンに向かってセセナが体当たりしてきた。構えていないとはいえタムリンは日頃から体幹を鍛えている。柔な女子の体当たりくらいで揺らいだりはしない。
「いったあ……ほんとなんなの、あんた……」
「だから、怪我するのはあんたなんだって……ぷっ、ひど」
尻餅をついてすぽんとザルにお尻を取られて床でジタバタしているセセナの姿に思わず笑ってしまう。
「なによ、この体幹ゴリラ女!」
「……」
なんとか起きようとするセセナだが、うまいことお尻がはまってバランスよく立てないらしい。タムリンは少し意地悪な気持ちで黙って様子を見ることにした。
「はいはい、体幹鍛えてるのでね、すみませんねお嬢様のようにお育ちがよろしくなくて。鍛えることしかすることがなかったんですよね、お習い事などしたこともなくて」
「……なによ、あんたなんて……習い事だってね、別にしたくないけど仕方ないのよ! ……て言うかいい加減、手伝いなさいよ!」
どうしても自力でなんとかできないと見たのか、セセナは顔を真っ赤にしてこちらに手を伸ばす。まあいいか。許してやろう、と、タムリンも手を伸ばす。
「ほら、お嬢様、お手をどうぞ」
いちいち頭にくる……と文句を言いながらもなんとかセセナは立ち上がる。そして、たっぷり時間をとって、
「悪かったわ」
「……え、なに?」
「あんたにもしかしたら怪我をさせるかもしれなかったこと」
「あ、ああ」
「あと、習い事できないみたいな言い方も。……自分がしたくないことさせられてる、八つ当たりだった」
「あ、え……習い事、したくない、の?」
「正確には習い事がやなんじゃない。習い事にやられるのが、腹が立つの」
「ん?」
よくわからないな。という表情がみえたんだろう、セセナはまた何か言いそうな表情をして、それからすこし考えたように口を開きかけたが、また閉じてしまった。かちり、と、スイッチが落ちる音がしたかのようにまたセセナは、黙ってしまう。
「ああ、もう……」
長くはない付き合いだが、タムリンにはもうわかってしまった。セセナはなんでも自分で飲み込んでしまう。スイッチを切るのは多分、消化する痛みを感じたくないんだろう。痛みを感じたくない、というのはつまり、我慢しないくらい、痛いことだからだ。それをこの調子でずっと溜めこんでいる。それがこの、スイッチの招待だとしたら。
「お嬢さん、ちょっと座って。寒くないか?」
「寒くはないけど」
「じゃ、少し待っててくれる? あと、目の前の生姜、取って」
「生姜?」
まあ見てて、とタムリンは生姜をセセナの手から取り上げると、きゅっきゅっと水で洗う。がしがしがし、と、包丁の背中を使って皮をこそげる。すこし皮が残っている部分もあるけど、まあ大丈夫だな、とかなんとか言いながら。大きめのそれをふたつに切って、半分はすこし薄めのスライスにする。
「まあ、こんなもんか。すりおろすやつは、と……」
おろしがねを見つけると残りの半分を、すりおろす。
「なに、何が始まるの?」
「あたしのじっちゃんがさ、よく言ってたんだよね。『なにもないところから何かを生むことができたらお前も一人前だ』ってさ。それで、料理を始めた」
「ちょっとまって、それちょっと意味が違ってない?」
「まあね。でも、それでよかった。することがないとすぐに、武器の手入れをはじめる子供だったからさ、あたし」
あ、言いすぎたかも。口が滑った。と思ったが、なぜか止まらなかった。
「さっき言ってたよね、あたしの防御体制。知ってると思うけどあたし、愛人の子だったからさ。母親も早くに死んで、傭兵のじっちゃんに育てられた。子供の頃は義理の父親が酔っ払うと暴力を振るう奴で、いつか絶対に殺してやろうと思ってた。じっちゃんがそんなあたしを見かねたのか、発散させるためなのか、正しい武器の使い方とか心の鍛え方をたくさん教えてくれて。まあ、義理の父親はさっさと、あたしの知らないところでくたばっちまって、腕を試すことはできなかったんだけど。でも多分、じっちゃんはいろいろわかってたんじゃないかな。その頃のあたしにとって、義理の父への復讐だけが生き甲斐だったし、それを否定されたら自分が壊れるところだったから。武器の正しい使い方や心の鍛え方を学ぶまでは、っていいながら、あたしの気持ちとかを色々、直してくれたんだと思う」
話しながらも手は動いていた。砂糖と水、生姜を小鍋に入れて火にかけ、スパイスを入れてゆく。カルダモン、ローズマリー、シナモン……選んで小鍋に入れ、味を見る。思ったよりも自分が冷静にこの話ができたことに、タムリン自身が驚いていた。だがもっと驚いたのは、どん、と背中に衝撃があって、セセナが腰に両手を回して来たことだった。
「だからお嬢さん、刃物じゃないけど火を扱っている人にだって、ぶつかって来たら本当に危ない……」
言いかけて、セセナが泣いていることに気がついた。そして顔をあげたセセナが指でタムリンの頬を下から上にそっと撫でた時、自分の目から一滴、涙が滴っていることに気づいた。
「あんただって、泣いてるじゃない。泣きながら料理するのも、きっと、危ないことなんじゃないの」
「はは、ありがとう。でももう終わるから、大丈夫」
机にカップを二つ並べる。小鍋にレモン汁を足して火を止めて、蜂蜜を加えた。混ぜて漉したものをマグカップに少しずつ注ぎ入れ、別鍋で沸かしていたお湯を注ぐ。混ぜながら味を見る。薄い?あ、こんなもん?いや、もうちょっとか……
「なんか、実験みたい」
「料理は芸術でもありまた、科学でもあるからね。……て、これもじっちゃんがいっていたんだっけ。あ、ちょっと」
タムリンはセセナに、スプーンを突き出した。
「はい、ちょっとこのままなめてみて」
タムリンがスプーンに唇をつけて、すっとその液体をすする。
「どう?」
「あ……」
自分でも少し舌にのせる。生姜の痺れるような感じ。スパイスのピリッとした感じと、ほのかな甘さ。
「どう?」
「……おいしい」
「よかった。一緒に飲もう」
一緒にセセナの部屋へと戻った。残った生姜シロップの残りは瓶に入れて蓋をし、ジャケットのポケットにそっとしまった。シロップの瓶はあたたかくて、その瓶をポケットに収めたタムリンの服はなんだか、うっとりと幸せそうに、見えた。
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