26.思惑

 特務機関の隊長の部屋にしてはずいぶんと地味だなあ、というのが、隊長室に足を踏み入れた緋色の率直な感想だった。


 部屋の奥まった場所に事務机がひとつ、中央には来客用のローテーブルとソファ。かつては絵画が飾り付けられていたのだろうか、壁面にはくっきりと白い跡が残っていて、移りゆく時の長さを感じさせる。


 もともと中学校だった時代には校長室として利用されていたらしい。なるほど、再利用というやつかと納得を覚えた緋色だったが、同時に少しはリノベーションすればいいのにとも思ってしまう。


 もっとも、予算の大半を精密機器の保守運用に注ぎ込んでいる特機である。実務面を重視するあまり、割を食っているところもあるのかなと、黒髪の新入隊員は推察するのだった。


(……まあ、そんなことはどうでもいいんだけど)


 直属の上司を目の前にした状況は、緊張以外のなにものでもない。隊長室という場所も多少は影響しているのだろう。四方を白い壁に囲まれた室内は圧迫感を覚え、なんとなく制服の首元を緩めたい衝動に駆られるのだ。


(わざわざ呼び出されたぐらいだし、やっぱり美雨先輩の一件かなあ?)


 クールビューティで知られる姫崎は執務机の書類に目を通している最中で、その涼しげな目元へ視線を向けながら、緋色は叱責を覚悟した。


 いや、なにも悪いことはしていないので怒られるいわれはないのだが、常日頃から粗雑で知られる美雨と行動を共にするというのは、マイナスのイメージが自分にもつくのだろうと緋色は考えたのだ。


「待たせてすまない。こちらから呼び出したというのにな」


 知的さをにじませる落ち着いた口調に、緋色は意識を引き戻した。机の上で書類をまとめながら、姫崎は黒髪の新入隊員を見据えている。


「いえ、問題ありません。それで、その、お話しというのは……」


 恐る恐るといった具合に尋ねる緋色。頷いて応じながら、姫崎は本題を切り出した。


「うん。任務についてなのだが」


 ほらきた、美雨先輩の件だ! と、構えていた緋色にしてみたら、意表を突かれた感がある。……任務についてってなんだ? 見当もつかないぞ、と、小首をかしげる緋色に姫崎は続ける。


「しばらくの間、近接戦闘を禁じ、遠距離からの支援攻撃を担当してもらう。そう話したのを覚えているな?」

「はい」

「方針を転換して申し訳ないが、支援攻撃は中止だ。本日から近接戦闘に戻ってもらう」

「はあ」


 これといって問題のない命令に思えるが、姫崎の顔には困惑の微粒子が広がっている。それがわかっているからこそ、緋色の返答もあいまいなものとなった。


 やがて姫崎は深く息を漏らすと、戸惑いにも似たその心中を吐露するのだった。


「近接戦闘こそ君の能力を引き出せると、上は判断したようだ。一ノ瀬隊員を本来のポジションに戻すよう、直々に指示があったのだよ」


 白い壁に視線を移しながら、姫崎は午前中に開かれたオンラインでの定例会議を思い返していた。


***


 参加者が退出していく中、千疋せんびきから残るように言われた彼女は、直後に「一ノ瀬を最前線に戻すように」という指示を受けて、なかば唖然となったのだ。


「なぜです? しばらくの間、彼には支援攻撃へ回ってもらうという意向はお伝えしたはずですが……」

「あまり声を大にしては言えんがね、防衛省の制服組から打診があったのだよ。内々にね」


 画面上に映る千疋の顔は渋い。


「どうやら我々の認識は甘かったらしい。彼のあの能力について、関係各所は想像以上に執着しているみたいだよ」

「最前線へ戻したからといって、あの現象を再現できる保証はありません」

「その通り。だがしかし、最前線へ戻さない限り、あの現象を再現させる手段がないと考えたようでね」

「経験不足の隊員を危険にさらすのは、隊長として看過できません」

「もちろん。私としても同じ思いだ」

「でしたら……」

「エースをサポートに付ければ問題ないだろう、と、ご丁寧な“提言”までされてしまったよ」


 眉間に縦じわを刻み、千疋はディスプレイを見つめている。


「……受け入れるおつもりですか?」

「もとより、我々には選択肢がない」


 ここ半年間における新入隊員の離職率の高さは、訓練機関における費用対効果に疑問符を付ける結果となっている。くわえて、離職した隊員のほとんどが民間の幻蝕対策企業に再就職していることは頭痛の種となっていた。


 国民の血税を注ぎ込んで作られた、内閣官房室付の特務機関がこの有様か、と、野党から追及の声が上がっているのも事実なのだ。裏金問題で現職閣僚が次々と辞職し、国民感情は悪化。支持率が低迷している現政権にしてみたら、税金に関する案件でこれ以上突き上げられるのはごめんだというのが本音なのである。


 間接的、あるいは直接的に「どうにかしろ」という声が、次々と千疋に届いている最中に、防衛省からの打診があったのだ。無下に断れない状況は推して知るべしか、と、姫崎は軽くめまいを覚えるのだった。


「つまるところ、結果を出せとそういうことなのですね」

「理解が早くて助かる。どうにも一ノ瀬君の能力について解明できれば、それを他にも応用できるとお考えのようでね」

「彼の能力は対幻蝕に特化したものですが」

「防衛省管轄の仮想空間にも幻蝕は出現するだろう。それに、幻蝕以外にも有用な攻撃手段となり得るかもしれん」


 防衛省が絡む幻蝕以外の仮想敵、つまりは人間かと思考を巡らせ、姫崎は頭を抱えそうになる衝動をぐっと堪えた。


「軍事転用をお考えですか」

「詮索はしないほうがいいだろうね。ともあれ、一ノ瀬君のあの能力が、人間にとっては無害であることを願うしかない」

「それも、あの現象が再現されればの話になりますが」


 ディスプレイに映る千疋は、目元を指でもみながら応じる。


「これ以上の議論は堂々巡りだな、姫崎君。特機の隊長として、やるべきことを遂行してくれ」

「……承知いたしました」


 敬礼を返す姫崎の表情は、晴れやかさとは対極に位置するものだった。


***


 様子をうかがうような「隊長」という声にはっとなった姫崎は、視線を水平移動させ、黒髪の新入隊員の顔を捉えた。


 なにも千疋とのやりとりをすべて打ち明ける必要はない。そう判断した彼女は、わずかばかりに表情を和らげ、冗談半分に続けるのだった。


前衛アタッカーである以上、前線で汗を流すべきだとお考えのようでね。つまりは新入隊員といえども、給料分はこき使ってやろうということらしい」

「支援攻撃も前線に変わりないと思うのですが……」

「まったくだ。書面上で判断しないでもらいたいと、ダース単位でクレームを付けてやりたいところだよ」


 肩をすくめる隊長の様子を察するに、クレームを付けてやりたいのは本気なのかもしれいなと思いながら、緋色は続きを待った。


「ともあれだ。やることはいままでと変わらない。演習に励み、その成果を任務で発揮してもらう。しばらくは滅幻刀技めつげんとうぎの習得に集中してもらうぞ」

「はい」


 よろしいと頷く姫崎は、思い出したように「ああ、それから」と呟いて、こう付け加えた。


「葛城から“昔話”を聞いたようだな」


 あるいはこちらこそ本題だったのかもしれない。やや意表を突かれた形になった緋色が返事をためらっているのを愉快そうに見やって、姫崎は続けた。


「隠さなくてもいい。すでに特機中で、その話題はもちきりだからな」

「そう、なんでしょうね」


 食堂での田崎との会話はもちろん、午前中は好奇の視線にさらされていたのだ。気付いていないほうがおかしいよな、と、緋色は率直な感想を抱く。


「葛城のことだ。復讐に協力しろとか、そうでなければ特機を辞めろとか、そう迫ったのだろうな」

「……どうしてわかるんですか?」

「あれとは付き合いも長いしね」


 苦笑いとも受け取れるその表情に、緋色は問いかける。


「それでその、隊長は反対なんですか?」

「うん?」

「おれが美雨先輩の復讐に協力することを」

「健全とは言えないかな」

「…………」

「だがしかし、この件に関して言えば、手を貸してやって欲しいとは思っているよ」

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