9.朝の光景

 妹に高言したものの、特機における緋色の立場といえば新人以外の何者でもない。


 初任務――しかも、ほとんどなんの役にも立てなかった――を終えたひよっこであり、なにより達人ともいえる美雨や真澄の能力の高さを知って、緋色はより一層の鍛錬が必要だと痛感したのである。


(……とはいえ)


 個人の能力を伸ばしても、チームとして連携しなければ意味がない。昨日の美雨と真澄によるコンビネーションは、まさに“あうんの呼吸”と呼ぶに相応しく、自分があの領域に到達するまでにはどのぐらいの時間が必要なのかを考えると、緋色は軽くめまいを覚えるのだった。


(それに、あの問題児が連携プレーをやるとは思えないんだよなあ)


 真澄はともかく、美雨について言えば、連係という単語が脳内の辞書から欠落しているようで、訓練に協力を求めたところで応じてくれるかどうかがわからない。


 隊長の姫崎の命令も聞かず、スタンドプレーに走りがちな人物と、どうやって任務をこなしていけばいいのか?


 特機に所属してわずか二日目。緋色が頭を悩ませながら、かつては中学校の下駄箱だった特務機関の出入り口に差し掛かると、真澄の穏やかな声が耳に届いた。


「おはよう、緋色くん。昨日はお疲れ様だったね」


 紺色の制服にハーフブーツという隊員服のまま、どうやら朝食を買いに出ていたようで、両手にファストフードの袋を抱えて廊下に佇んでいる。


 鷹匠たかじょう真澄ますみは人好きのする微笑みを絶やさず、全身から温和な雰囲気を漂わせる青年で、ブラウンアッシュの長髪を後ろに束ねているのが特徴だ。


 それよりも印象的なのは、右足が義足という事実なのだが、その足取りはきわめて自然であり、任務で着用する仮想空間接続専用イマーシブスーツに着替えなければ、片足が欠損していることはわからないだろう。


「鷹匠さんこそ、当直お疲れ様です。朝ご飯の買い出しですか?」

「そうなんだ。美雨のやつが『朝マック食べたい』とか言い出してね。ま、ついでだから一緒に買ってきたわけさ」


 廊下を並んで歩くと、袋から立ち上るポテトの香りが鼻腔をくすぐった。胃袋は満たされているが、どことなく空腹感を覚える匂いに気を取られながらも、緋色は真澄に訴えた。


「パシリじゃないですか。おれが言うのもなんですけど、あんまり甘やかさないほうがいいですよ」

「わかっているんだが、美雨は朝が弱くてね。日中ならともかく、寝起きは機嫌が悪いんだ。そんな状況で外に出しても、まともに買い物できるかわからないし」

「そうなんですか?」

「付け加えれば、なんだかんだと理由を付けて、どこかの喫煙所で長居をするのが目に見えているからね。僕としても、温かい朝食にありつきたいんだよ」


 前者はさておき、後者は説得力に富む発言だったので、緋色は首肯した。まったく、いまのところ好意の持ちようがないのだが、真澄はどうやって美雨と仲良くやっているのだろうか?


 コツを聞こうかと緋色が思っていた矢先、先手を打つようにして、にこやかに真澄は問いかける。


「緋色君は朝食を済ませたのかな?」

「ええ。妹が食事を作ってくれるので、それを食べてきました」

「へえ? 妹さんがいるのかい?」

「はい、一緒に暮らしています。家事のほとんどをやってくれるので、兄としては頭が上がりませんよ」

「いい妹さんじゃないか。……おっと、そんな話をしている間に到着だ」


 作戦室の表札が掲げられている前で立ち止まり、真澄はドアを開けた。


「緋色君には悪いが、ここで朝食を摂らせて貰うよ。着替え終わったらまた会おう」


 真澄はそう言うと室内へ足を運んでいったのだが、緋色の視界には美雨の姿を確認することができなかった。


 まだ眠っているのだろうか、もしくは、喫煙所で一服しているのだろうか? いずれにせよ、自分には関係ないなと思いつつ、緋色は更衣室へ足を向けた。


***


 隊員服に着替えた緋色が作戦室に足を踏み入れると、部屋の中に立ちこめるファストフードの匂いが彼を出迎えた。


「おいっす、新入り。おはおは」


 緋色をちらりと見やった美雨は口を開くと、そのままパンケーキにかじりつく。椅子の上であぐらをかき、満足そうに笑みをたたえて口の中に入っていたものを飲み込むと、片手で紙コップをつかみ、音を立ててストローをすすった。


 赤色のロングヘアと、たぐいまれな美貌を兼ね備えた葛城かつらぎ美雨みうは、制服を着崩すと、まるで自宅にいるかのごとく、だらしなくくつろいでいる。


 美人が台無しだなと、人並みのことを考えながら、おはようございますと緋色は応じ、自分の席に着いた。


 よくよく見ると、美雨の眼前には手を付けていないハンバーガーとハッシュポテトが鎮座している。やがてパンケーキを食べ終えた美雨が、鼻歌交じりにハンバーガーの包みをほどき、手慣れた様子で甘いパンケーキのバンズの間にハッシュポテトを挟み込むと、大口を開けてかぶりついた。


「好きだよなあ、それ。甘塩っぱいハンバーガーにポテト挟むやつ」


 食事を終えた真澄が、ホットコーヒー片手に呆れがちな眼差しを美雨に向ける。


「甘いメープル風味のパン、しょっぱいパティ、カリカリのポテト。このマリアージュがたまらないのよ」

「気持ちはわかるが、食べ過ぎじゃないか? 朝からパンケーキにハンバーガーとか」

「仮想空間へのフルダイブは体力を使うの。このぐらいでちょうどいいワケ」

「聞いたことないけどなあ、そんな話」


 真澄のツッコミを無視した美雨は、今度はコーラで満たされた紙コップを手に取り、喉へと流し込んだ。


 成長期の男子学生を彷彿とさせる食べっぷりを、なかば唖然と緋色が見つめていた最中、作戦室のドアが開いた。


「おはよう、みんな」


 姫崎ひめさきれいが、作戦室にその姿を現して、涼しげな目元をわずかにひそめる。眉目麗しく、知的な雰囲気の漂う特機の隊長だが、強い隊員の扱いには難儀しているようで、すぐに苦言を呈するのだった。


「お前たち……。食事はミーティングルームか食堂を使えとあれほど言っているだろう」

「いやあ、すみません隊長。作戦室の居心地がよくて」

「ファストフードの匂いが充満する中、仕事をするこちらの身にもなってくれと言っているんだ」

「ごちそうさまー!」


 我関せずとばかりの陽気な声の主は他ならぬ美雨で、赤髪の美女は席を立ち、制服のポケットからタバコの箱を取り出しつつ、廊下へと出ようとしている。


「待て、葛城。どこへ行くつもりだ?」

「え? 一服しに行こうと思って」


 瞳をきょとんとさせた美雨は、なにか問題でもあるのかと言いたげに姫崎を見やった。特機の隊長を務めるクールビューティーがため息で応じる。


「これからミーティングだぞ?」

「そこにいる新人向けの座学でしょう? だったらいなくてもいいじゃない」

「そういう問題じゃ」

「演習になったら呼んでね。それじゃ」


 タバコの箱を持った手をひらひらさせながら、羽を思わせる軽い足取りで美雨は廊下を歩いて行く。


 額に手を当てながらうなだれる姫崎を見て、緋色はためらいがちに問いかけた。


「……大丈夫ですか、隊長」

「スマン、大丈夫だ。扱いに疲れるだけでな……」


 深く息を吐いてから、姫崎は表情をあらためる。


「なにはともあれだ。一ノ瀬も加わったことだし、あらためて情報共有をしていくぞ」


 そうして始まったミーティングは、仮想空間へのフルダイブ技術や特機が設立される経緯の解説であり、緋色にとっては歴史の振り返りを兼ねた勉強会となった。

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