7.敵性反応:幻蝕(後編)

「一ノ瀬隊員、訓練課程時に教わったと思うが、幻蝕にはコアと呼ばれるものがある。これを破壊すれば活動を止められる、いわば幻蝕の心臓といってもよい」


 姫崎の声を聞きながら、緋色は自分の身体に力がみなぎっていくのを感じ取った。隣で真澄が強化プログラムをかけてくれているのだ。


「きみには遠距離から幻蝕の注意を引きつけてもらい、その隙に葛城が核を仕留める。分析によると、幻蝕の核は胴体部分にある眼球のいずれかであると推察された。ゆえに近距離でこれを叩く」

「だから、ひとりでも大丈夫だって!」

「その場から跳躍し、上空から狙撃するんだ。レールガンは訓練でも使っていただろう?」


 美雨の声を無視して、姫崎は緋色に声をかけた。


「特機仕様の狙撃型レールガンをきみのデータに接続コネクトしておいた。存分に活用したまえ。長距離射撃だとしても、威力はお墨付きだぞ」


 その言葉に導かれるように、緋色は口を開いた。


闘装顕現とうそうけんげんっ」


 装備品を具現化させるキーワードを口にすると、光の球が緋色の手のひらに現れて、みるみるうちに身の丈ほどのライフルに形状を変えていく。


 両手でそれを握りしめた緋色は、幻蝕を見やってライフルを構えた。


(跳躍からの狙撃……? 訓練でもやったことないぞ……!?)


「戸惑うのも無理はないが、これは実戦だからね。イレギュラーは仕方ないさ」


 緋色の心の内を読むように、真澄が声をかける。


「心配しなくても大丈夫だよ。多少、ターゲットからずれたところで、あそこで暴れ回っているのがなんとかするからね」

「誰が暴れ回ってるってっ!?」


 口にしながら、美雨は攻撃の手を止めない。触手をなぎ払って距離を取り、口腔から放たれる弾丸を二本の刀で叩き落としてから、眼球目がけて突っ込んでいく。


「もらったっ!」


 不敵な笑みを浮かべて刀を振り下ろす。その瞬間、幻蝕の眼前に半透明の菱形をしたバリアが出現した。


「物理防御っ!?」


 甲高い金属音とともに刀ははじき返され、数百の眼球からはお返しとばかりにビームが一斉に発射される。


「危ないっ!」

「闘装宣言っ! 対象に絶対緩和領域を付与っ!」


 緋色が叫ぶと時を同じくして声を上げた真澄は、片手を美雨の方向へと向ける。美雨の全身を球体状のバリアが包み込み、幻蝕から離れたビームが直撃するも、拡散して消えていくのだった。


「ナイスっ。終わったらコーヒーおごるわ」

「これでおごりのツケは二桁に突入だ。いい加減ごちそうしてもらいたいものだね」


 軽口のやり合いを唖然と眺めやりながら、緋色はライフルを握りしめる力を強くした。真澄が束ねた長髪を揺らしながら、緋色に向き直る。


「と、まあ、ご覧の通りだ、緋色くん。なにかあってもフォローはするから安心してくれ」


 にこりと微笑む真澄に、顔をこわばらせて緋色は頷く。


(跳躍して、照準にいれて、狙撃。跳躍して、照準にいれて、狙撃。跳躍して、照準にいれて、狙撃……)


 単語を区切りながら呟き続け、緋色は覚悟を決めたように、ぐっと膝に力を入れしゃがみ込み、それから大地を蹴り上げると、その身を大空へ委ねるのだった。


***


 上空およそ百メートル。地上にいる真澄の姿はすでに点となっている。空中は寒気を伴った強風が吹き荒れ呼吸ができない。


 構えていたライフルもすでに方向を見失い、両手で握っているのがやっとだった。


「一ノ瀬隊員。聞こえるか? 落ち着け、ゆっくりと深呼吸するんだ」


 姫崎の気遣うような一言ですら、いまや緋色にとっていらだちを増幅させるものでしかない。


(この状況で落ち着けるかっての!)


 だがしかし、怒気を含んだ感情を抱いたのが逆に功を奏したのか、緋色は瞬時に混乱から抜け出すと、ようやく呼吸をすることに成功した。


「一ノ瀬隊員、大丈夫か?」

「大丈夫です、姫崎隊長。問題ありません」

「よし、鷹匠の強化プログラムによって、きみには滞空効果が付与されている。墜落する心配はないから、気持ちを落ち着かせるんだ。できるな?」


 問われながら、緋色はライフル型のレールガンを構え直した。照準プログラムが発動し、幻蝕との相対距離を示す数値がめまぐるしく変化を続ける。


「照準の中央に銃口をあわせろ。あとは引き金をひくだけでいい」


 言葉を選ぶようにして姫崎は簡単な指示を出してくれているのだろう。実際、緋色も同様の動作については訓練課程で実習を積み重ねていた。


 しかし、それはあくまで地上を想定してのことである。上空百メートルの足場のない不安定な空間で、訓練成果を披露しろと言われてもできる自信がない。


(それに、このレールガンが重すぎるっ!)


 仮想空間の中でも重量の概念は存在する。ライフル型レールガンは緋色の両腕で構えるのがやっとなのだ。


 おまけに強風の中というのがよくない。絶え間なく吹き付ける風の中では、銃口を照準の中央に持って行くのは至難の業である。


「ええい! 動けよ、おれの腕ぇ!」


 叫び声を上げながら緋色は渾身の力を振り絞る。方向の定まらなかった銃口が、照準プログラムの中央に移動し、『発射OK』という文字が浮かび上がった。


 引き金に指をかける。だが、その動作でわずかなブレが生じたらしい。『発射OK』という文字は無情にも消え去り、再び照準プログラムが作動を始める。


 緋色は思わず「あっ」と声を上げた。引き金にかけた指を止めることができなかったのだ。次の瞬間、照準から外れた銃口から束状の光が発射され、幻蝕の頭上をすり抜けていく。


 半ば呆れ、半ば野次を飛ばすように美雨が声を上げる。


「ちょっと、どこ狙ってんのよ」

「スミマセン! くそっ、もう一回!」


 しかし、最初のミスが響いたのか、二発目、三発目も束状の光は幻蝕の横をすり抜けていく。焦りが緊張に変わり、全身の筋肉が硬直していくのがわかる。


「一ノ瀬隊員、大丈夫だ。現状、幻蝕の注意は葛城が引きつけてるから、きみは落ち着いて……」


 姫崎の声も緋色には届かない。呼吸が荒くなるのを感じながら、放たれた四発目も無人の虚空を切り裂いていくのだった。


 無力感にさいなまれながらそれを見届け終えた緋色が、再びライフルを構えようとした、その時である。


「足手まといのサポートなんていらないのよ」


 いつの間にか、隣に現れた美雨はそう呟いて、やれやれと頭を振った。


「前線にいたはずじゃ……!?」

「葛城っ、持ち場に戻れ!」


 姫崎が声を上げた、まさにその時、幻蝕の口腔から無数の弾丸が、緋色と美雨を目がけて放たれた。


「しゃらくさい!」


 美雨はそう叫び、力を込めて両手の刀を空間へ振るった。刃から二閃の衝撃波が生じ、弾丸に向かって突っ込んでいく。


 間もなく弾丸に衝撃波が直撃し、爆発音が鳴り響いた。つかの間の轟音が消え去ると、空間はなにごともなかったかのような静寂に包まれるのだった。


「だから、言ったじゃない。一人で大丈夫だって」

「しかし……」

「いい? 新人は新人らしく、私の言うことに従ってればいいのよ。姫にしたがう召使いみたいにね」

「勝手な判断をするな、葛城!」


 先ほどのお返しとばかりに、わざとらしく姫崎の声を無視した美雨は、緋色の手にした武器を見やった。


「それ貸しなさい。お手本を見せてあげる」


 緋色のライフルをひったくった美雨は、赤色のロングヘアをたなびかせながらライフルを構えた。


 そして二秒もしないうちに、照準を合わせ、幻蝕目がけて引き金をしぼる。


「くたばれ、化け物っ」


 束状の光が、イソギンチャク型をした幻蝕の胴体部分、数百の眼球目がけて放たれた。正確無比な一撃に、幻蝕がバリアを張り巡らせて対抗しているのを目視で確認した美雨は、腰に携えた二本の刀を握り直して呟いた。


「――自在猛進じざいもうしんっ」


 瞬間、美雨が消えたことに緋色は驚いた。否、消えたのではない。光速のごとき早さで、幻蝕の眼前へと移動したのだ。


 やがてレールガンの直撃したバリアが消えていく。美雨は息を吐いてから、両手の刀を振りかざした。


滅幻刀技めつげんとうぎざん弐式にしき――疾風刀舞しっぷうとうぶっ!」


 振り下ろした刀から、無数の真空波が放たれ、数百もの眼球を切り裂いていく。一帯に響き渡る幻蝕の不快な叫び声と、青色をした体液が飛び散るのを眺めやりながら、美雨は半月状に口角をつり上げ笑って見せた。


「見つけた」


 舌なめずりをしながら、美雨は再び刀を振り上げる。燃え上がった瞳にはエメラルドグリーンをした幻蝕の核(コア)が映し出されていて、振り下ろされた二本の刀がそれを打ち砕いた。


「さっさと消え失せろ、クソ幻蝕が」


 止めとばかりに幻蝕の胴体に二本の刀を突き刺して、美雨は回転しながら後方に飛び移った。野獣の咆哮と機械の雑音を入り交じった叫びが空間を満たし、幻蝕はみずからの自重で後ろに倒れる。


 やがて幻蝕全体がモザイク状に包まれ、体軀たいくの一カ所、また一カ所と空間へ消え去っていく。


 虚無に還りゆく光景を眺めやる美雨は冷徹そのものといった様子で、自分はいま、悪魔と対峙しているのではないかという錯覚を緋色は抱いた。


『……だからさ』


 統括課長である千疋のとある一言が、緋色の脳裏をよぎったのは、まさにその瞬間だった。


***


 ――時をさかのぼること、二十四時間前


 面談を終え、部屋を後にする直前、扉の前で足を止めた緋色は振り返ると、千疋に向き直った。


 どうしても聞きたいことがある。胸のつかえを吐き出すように、緋色は特機の責任者へ問い尋ねた。


「最後に、うかがってもよろしいですか」

「なにかな」

「三人も辞めたのに、どうしてその問題児の人は部隊に残っているんですか? 話を聞く限り、辞めるべきはそちらだと思うのですが」


 正論とも思える問いかけだが、千疋の表情は変わらない。


「筋から言えば、その通りだ。だが、我々は彼女を辞めされるつもりなど毛頭ないのだよ」

「どうしてです?」

「決まっている」


 千疋は机の上で両手を組み、それからわずかな微笑を浮かべた。


「彼女が天才だからさ」


***


 ……空間は正常を取り戻し、赤黒かった空は雲ひとつない青空に包まれた。モザイクがかっていた幻蝕も時間をかけてだが、その姿を消し去り、海上は平穏を取り戻している。


 やがて美雨は、なにごともなかったかのように緋色のもとへと近づくと、


「ひとまずは童貞卒業、おめでと」


 そう言い残し、真澄のいる地上へと降りていった。


「全員聞こえるか? 幻蝕反応の消滅を確認した。現場の復旧作業クリーニングは外部に委任してあるので、順次帰還すること。それと葛城! 戻ってきたら話があるから……」


 姫崎の指示を耳にしながら、緋色は考えにふける。


(問題児で、幻蝕討伐の天才……)


 果たして自分は、あの問題児――葛城美雨と上手くやっていけるのだろうか?


(私の言うことに従っていればいい、か……)


 戦闘の最中に言い放たれた言葉が胸に刺さったまま、緋色の初任務は幕を下ろした。

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