バーチャルインサニティ・オンライン~仮想空間戦記~

タライ和治

1.プロローグ

 荒い呼吸に呼応して、心臓が激しく音をたてている。


 全身に鼓動が駆け巡るのを感じながら、めまぐるしく変化を続ける景色に忙しく視線を動かしていると、瞬間、突風が吹き荒れた。そして、間髪入れず、爆発と衝撃が巻き起こる。


 あまりの轟音に意識と目線を向けた瞬間、紫色をした一条の閃光が頬をかすめた。


 熱を伴った痛みが走り、赤色の血が生じて頬を伝っていく。その時、一ノ瀬いちのせ緋色ひいろは、自分が仮想空間にいるという現実を忘れそうになっていることに気付き、慌てて頭を振った。


(あぶないあぶない、集中しないと……!)


 正面、距離にして20メートルほど離れた場所には異形が鎮座し、巨大な口腔から咆哮を放つたびに、致命的欠陥の嵐バグストームが空間を切り裂いている。調律されていないバイオリンを弾いているような耳障りな音が残響となって鼓膜に残り、不快感を禁じ得ない。


 異形――それは生命体ではない。仮想空間が生み出した不具合であると同時に怪異であるのだ。人類とは相容れない、相互理解が不能な敵対する――幻蝕げんしょくと呼ばれる存在。


 判明していることは、ただひとつ。幻蝕はことごとく殲滅しなければならない、という事実である。どれだけの困難がつきまとうとも、それが緋色たちに課せられた使命なのだ。


 深く息を吐いて緋色が呼吸を整えていた矢先、後方から陽気な声が上がった。


「うりゃりゃりゃりゃぁぁぁぁ!!」


 まるで小動物を追いかけるかのような無邪気さに、緋色は驚愕の眼差しを向ける。


「美雨先輩!?」


 両手に刀を持った葛城かつらぎ美雨みうが幻蝕に向かって躍りかかったのだ。猪突としか思えない攻撃に、緋色は慌てて口を開いた。


「ムチャだ!」

「やってみなくちゃわっかんないでしょうがっ!」


 赤色の美しいロングヘアが激しく揺れる。二刀流の女剣士を獲物と判別したのか、幻蝕は標準を定め、再び閃光を放つのだった。


「あぶないっ!」


 空間を切り裂くように貫く暴力的な紫色の光条を前にして、だがしかし、美雨に慌てる気配は微塵も感じられない。


 不敵な笑みをたたえたまま、二本の刀を交差させるようにして構えると、半瞬の後に閃光が直撃する。刃にあたった閃光は弾かれることなく、ふたつに分かれて消えていった。


 攻撃を受け流しながらも空中で一回転した美雨は、体勢を整え、勢いそのままに幻蝕に二本の刃を振り下ろした。


 激しい衝撃とともに重い金属音が響き渡る。幻蝕にかすり傷ひとつもあたえられていないことを確認し、美雨は大きく舌打ちすると、後ろへ飛び移った。


「かったいなあ。なんなの、アイツ? 超絶やりにくいんだけど」

「力任せはよくないですって、先輩。ムリヤリ突っ込んだところで反撃されるのがオチですよ?」

「そんな悠長なこと言ってらんないでしょう? 逃げられでもしたらどうすんの」

「緋色くん、美雨」


 鷹匠たかじょう真澄ますみの穏やかな、だがしかし精悍な呟きが二人の耳に届いた。負傷した左腕がぶらりと垂れ下がり、痛々しい姿にもかかわらず、その表情は悲壮さを微塵も感じさせない。


「隊長から撤退命令が出ている。ここは一度戻ってから体勢を立て直して……」

「撤退!? ありえない!」


 言葉を遮って、美雨が声を荒らげる。


「アイツをここで仕留める、またとないチャンスなのよ?」

「これ以上は危険だ。ご覧のとおり、僕もこれ以上は二人のサポートができないからね。強化(バフ)プログラムをかけられない以上、奴とやりあうのは分が悪すぎる」

「分が悪いなんてのは、ハナからわかっていたことじゃない」


 表情を消してから、力をこめて刀を握り直した美雨は、軽く息を漏らして緋色を見やった。


「緋色。あんたと私でケリをつけるわよ」

「えぇ? 命令無視ですか?」

「わかってないわねえ、命令とか規則ってのは、破るためにあるようなもんでしょう」

「絶対違うと思うけどなあ」

「文句言わない。私がおとりになるから、あんたが決めなさい」


 ため息交じりに、緋色は幻蝕に対峙する。


「待て、美雨。重大な規則違反になるぞ」

「その規則違反と、幻蝕を取り逃がすの、どっちが重い違反になるの?」


 言いながら、美雨は刀を構えた腕をぐるぐると回し、臨戦態勢に入った。そして、真澄の返答を待たず、幻蝕目がけて駆けだしていく。


 幻蝕が放つ閃光も、ぐんぐんと加速度は増していく美雨の素早さには対応できない。ひらりと身をかわしつつ、二本の刀を握りしめた女剣士は、渾身の一撃を叩きつけた。


 再び重い金属音が鳴り響く。しかし、美雨は動じない。再び攻撃の構えを見せると同時に、幻蝕の口腔に光のエネルギーが満たされる。あの凶悪な閃光が放たれるまで、おそらく二秒もかからないだろう。


 しかし、そこにこそ勝機があると美雨は踏んでいた。鋭い眼光は幻蝕を睨みつけたまま、美雨は叫ぶ。


「いけ、緋色!」


 片手を振り上げて、緋色が飛びかかる。刹那、幻蝕の照準がずれたのを感じ取り、美雨はそれを防ぐように口腔へ覆い被さった。


「やらせるもんか!」


 光が収束して、口腔の一点に集まる。緋色が幻蝕に拳を振り下ろしたのは、まさに同じタイミングだった。


「おああああああああ!!!」


 絶叫がこだまし、紫色の閃光が放たれる。ほどなくして三人の視界をまばゆいばかりの光が満たし、衝撃波が巻き起こった。


 そして、つんざくような雑音が響き渡る。延々と続くかと思われた光とノイズの乱舞は、数秒の後に消え去るのだった。

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