第9話   ゲンジロウとアリー

 サクヤはあらためて大男の全身を見回した。


 灰色の髪の毛を後頭部で無造作に束ね、身長は2メートル近い巨躯な体格。 


 逞しく発達した手足には、不気味に黒光りする鉄甲が装備されている。 


 また、上半身は鍛え抜かれた鋼の筋肉で覆われており、右肩から左腰にかけて龍の刺青が掘り込まれていた。 


 サクヤはそんな男の風体にも驚いたが、それ以上に男が手にしている武器を見てさらに驚いた。


 燃えるような赤銅色の柄。 


 月光のように輝く白銀の穂先。 


 そして柄の先端に付いている口金の部分は、誰もが人目でわかる黄金で作られていた。 


 美術品としても価値の高そうな槍を、男は無造作に振り回している。


 振り回しているといっても、槍の長さは男の身長を軽く超えており、相当の腕力がなければ扱えない代物だ。


 男は勢いよく槍を振り回しながら演説を続ける。 


「ベイグラント大陸でも屈指の槍の使い手! この、ゲンジロウ様の超絶秘技の必殺技を存分にご覧あれ!」


 周りからは失笑や罵声などが聞こえてくるが、ゲンジロウは「いいから黙って見とけ」と、年季の入った話術のやりとりで観衆たちを賑わせていた。 


 そんな光景を見ていたサクヤは、ゲンジロウの隣に立て札を持っている小さな少女がいることに気がついた。 


 背中まですらっと伸びている深緑色の長い髪。 


 透き通るように輝く青い瞳。 


 希少価値のある陶器のような白い肌。 


 そして、身体を覆いかぶさるように着ている漆黒のケープは、サクヤが子供の頃に本で見た魔術師と呼ばれる人間が着ている服にそっくりであった。 


 少女が持っている立て札には、『大陸一の兵法者ゲンジロウと沈黙の美少女アリーが贈る世紀の大見世物! お代は100リールから』と達筆で書かれていた。


(たぶん、あの少女が書いたんだろうな……)


 サクヤは、ゲンジロウがあんな達筆で文字を書けるはずがない。 


 と、勝手に決め付け納得した。 


 ゲンジロウは槍を振り回すのをピタリと止めると、左右に首を振って周りを見渡した。


 観衆の賑わいはさらに増している。 


 そろそろ頃合いだと思ったゲンジロウは、地面を見るように顔を下に向ける。


「おーい、アーリー」


 2メートル近い身長の自分に比べて、140センチくらいの身長のアリーに話しかけるには、しゃがむか下を向くしかなかった。


「アーリーじゃない……アリー……いい加減、名前くらい覚えろ」


 無表情な顔で、アリーはゲンジロウを見上げた。


「客の入りは上々だ。 最後に一発アレをやるぞ」


「……そうだね、頃合いかもね」


 そう言うとアリーは、足元に転がっている小石を拾い始めた。 


 子供の拳ぐらいの石を選別し、拾い集めている。


「さて」 


 ゲンジロウは軽く柔軟体操をすると、一度深い深呼吸をして呼吸を整える。 


 そして、隣でアリーが小石を拾い集めたのを確認すると、再び観衆の注目を誘う。


「まったく、一般人のあんたらは槍の凄さってもんをまるでわかっちゃいねえ! そこで、俺様が今日は本物の槍術ってやつを拝ませてやるぜ!」  


 ゲンジロウが観衆に勢いよく啖呵を切ると、隣にいたアリーは持っていた小石を天高くゲンジロウの頭上に放り投げた。 


 アリーはすぐさまゲンジロウから離れて距離を置く。


「はああああああっ!」


 ゲンジロウの口から大地を揺るがすような雄叫びが轟いた。


 獣の咆哮のようなゲンジロウの雄叫びに、観衆やサクヤも思わず息を呑んだ。


 ゲンジロウの身体から湧き出る闘気が、波紋のように観衆にも伝わってくる。


「へあっ!」


 鋭い呼気とともに頭上から降り注ぐ小石を、槍の穂先で正確に斬り割っていく。 


 先程の無造作に割りまわす力技とは違い、長槍を自分の手足のように使いこなしているゲンジロウは相当な使い手だった。


 一瞬ですべての小石を斬り終えると、ゲンジロウは彫刻品のように静止した。 


 呆然と見ていた観衆からは、次第に拍手が嵐のように鳴り響いた。 


 そんな観衆からの拍手喝采に、ゲンジロウは満面の笑みで応えた。 


 その隣では、アリーが隠れるようにせっせとお金を集めている。


 アリーが持っていた布袋は、はちきれんばかりの金貨で満杯になった。


 無表情な顔をしていたアリーも、この時ばかりは少し嬉しそうな表情を見せていた。


「さあさあ、本日はこれにてお開きだ。 まだ金を払ってない奴はさっさと払っていってくれよ!」


 見世物を披露したゲンジロウとアリーは身支度を整えると、観衆に手を振りながら雑踏の中に消えていった。


 見世物が終わった広場は、先程の喧騒が嘘のように静まり返ってしまった。


 その場に残っていたサクヤは、終始満足気な顔で余韻に浸っていた。


「大道芸というものはあんなにも凄いものなのか?」


「なんだ、今まで見たことなかったのか?」


 馬鹿にするような口調で答えたシュラを見て、サクヤは顔を紅潮させた。


「き、きさま、私を馬鹿にするつもりか! たしかに、私は今まで庶民の芸事を見る機会がなかった。 だが、出会って数日かそこらのきさまにそこまで馬鹿にされる筋合いはない!」


 サクヤはシュラにそう言い放つと、真っ赤な頬を膨らませ顔を背ける。


 サクヤ本人も、シュラが自分を単にからかっているだけだということに気付いていたが、屈託のないシュラの笑みを見ていると、何故か無性に突っかかってしまう。


「すまん、気を悪くしたのなら謝る。 が、サクヤ……」 


 シュラの顔から笑みが消える。


 常に笑みを浮かべているシュラは、見る者の心を癒すような顔をしている。 


 だが、いざ真剣な表情になると、まるで研ぎ澄まされた名剣のような鋭さが全身から漂ってくる。


 サクヤもインパルス帝国の斥候とシュラの戦闘を間近で見ているので、シュラの本性というものが少なからずわかっていた。 


「な、なんだ?」


 サクヤは、シュラの口から何か重大な言葉が出てくると思った。


 シュラにつられてサクヤも真剣な顔付きになる。 

 

「いや、実はな……」  


 シュラの意味有り気な表情のせいで、喉に溜まった唾をサクヤは胃の奥へと飲み込んだ。


 しかし、次の瞬間にサクヤが聞いた第一声は、


「……腹減った。 何か奢ってくれ」


 ――であった。


「…………は?」


 いきなり肩透かしを食らったサクヤは、目が点になった。


「何か買おうにもさっきの大道芸に金払ったらすっかり無くなっちまった」


 シュラはそう言うと、笑いながら右手で腹の辺りを撫で回している。 


「……き、きさまああああああっ!」


 怒り狂ったサクヤの右拳が凄い勢いで空を裂き、シュラの顔面に向けて放たれる。 


 その瞬間だけは音速を超えたかもしれない。 


 それほどまでに速度、重さ、威力の三拍子がすべて揃っていた。


「ちょっ、ちょっと待て!」


 今まさにサクヤの必殺の一撃が繰り出される瞬間、情報収集を終えたジンとジェシカが集合場所である広場に二人を迎えに来た。


 ジンとジェシカは目撃した。 


 サクヤの右拳がシュラの顔面に深々とめり込み、シュラが遥か後方に吹き飛ばされる惨劇を。


 ジンの身体がプルプルと小刻みに震えている。


 ジェシカは、サクヤと遥か彼方に倒れているシュラを交互に見ながら戸惑っている。


 ふん、と鼻息を鳴らし、シュラに拳を突きつけるサクヤ。


 それを周りで見ていた観衆からは、拍手の嵐がいつまでも広場に鳴り響いていた。

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