第34話 当番最終日
今日は、図書委員の当番最終日だ。
3年生は、3学期半ばには、後輩たちに仕事をバトンタッチすることになっている。
図書委員になって、それなりに忙しい思いもした。けれど琉生は、織田と一緒に放課後、カウンターにいるのが楽しかった。
本の話や将来の話、趣味の話を、お互いたくさん語り合った。なぜか彼女といると話題が尽きないのだ。
だから、実を言うと、放課後のカウンターでの時間がなくなってしまうことを、琉生はとても淋しく思っている。
織田と話す放課後は、迷ったり夢見たり、楽しんだりしながら日々を過ごす、ふつうの十代の自分でいられる気がした。仕事の緊張感や、周りの目を意識して気疲れしがちな自分から解放される貴重な時間だった。
そして、何より、彼女は、心を込めて彼の話を聞いてくれる、とても聞き上手なひとだった。
教室という場所での休み時間や授業中と違って、放課後の図書館には、静かで不思議な空気が漂っている。教室や他の場所にいる現実の自分とは違う、図書館から別の世界へつながる扉の前に立つ冒険者になったような――そんな気がするのだ。
図書館がこんなに素敵な場所だということを、もっと早くに知っていれば、と琉生は何度思ったかしれない。
隣りにいる人も、すぐ目の前に座っている人もみんな、心は違う場所にいる。本の中で、それぞれの場所を旅しているのだ。
この同じ瞬間、すぐそばにいるのに、みんな違う場所で生きている。それって、すごいことじゃないか?
ここにいる人の数だけ、様々な世界がこの図書館の中に存在している。
いや、この図書館の中に存在する本の数だけ、膨大な数の世界が存在している。
そして、その世界は、場所も時間すらも自在に広がっていて――自分が手を伸ばせば、いつだって、その世界への扉を開くことが出来るのだ。
そのことに気づいたとき、琉生は、心から、『図書館ってすごい。本ってすごい』。そう思った。
(もっと早くに気づきたかったな、今が2年生だったなら)とも、ちらりと思ったが、それだと琉生は仕事もあって、図書委員にはなっていなかったはずで、今のタイミングだから出会えた、発見なのだと思う。
織田に話すと、彼女は、力一杯同意してくれた。
「そう、それ! 私も思う。 1冊1冊の本の表紙は、こことは違う別の世界への扉やなって。やから、本読むときいつも、別の世界の扉を開くんやって、めっちゃワクワクするもん。本は一つひとつが冒険のかたまりやと、思ってる」
「うん、僕もそう思う」
「あのね、冒険、で思い出したっていうか、ずっと思ってたことなんやけど……」
織田が、大きくなりかけた声を、必死で抑えながら続ける。
「前に住んでた町でね、図書館が新しく建設されることになって。私も友達もめっちゃ楽しみで。それがさ、いざ出来上がってみたら、まったく思ってたのとは違っててん」
「うん」
「私は、広いフロアにたっぷり本棚がいっぱいあって、一日中でも棚を巡り歩けたらいいなあって思っててんけど。出来た図書館は、建物の真ん中に大きな階段がどど~んと横たわってて、主役は、本棚じゃなくて階段やってん。で、本棚は、壁沿いの細い廊下のようなスペースに並んでて。別のフロアには、壁にあいた狭い穴をくぐり抜けたら行ける空間とかもあって。建物にいろんな仕掛けがされてるって報道されててんけど……」
琉生は、建物の様子を頭の中で思い浮かべる。
「大きな階段や狭い穴くぐって……。それって、たとえば車椅子の人は、どうするの」
「端っこの廊下みたいなスペースを通ればいいってことみたい」
「なんだ、それ」
「その図書館を設計した人の言うには、『図書館の中で冒険を楽しんでほしい』んやて」
そして、織田は、続けた。
「友達がね。言うててん。『私、車椅子では行かれへんな。そんな階段のところは』って。その子、めっちゃ本が好きな子で、新しい図書館楽しみにしてたのに。……建物でなんか冒険せんでいい、そこにある、本そのものが冒険やから、誰でも安心して手の届く場所に、その入り口を用意すればええだけやのに。そう思って、私、めっちゃ腹が立って……」
織田が心底悔しそうに言う。
「うん。ほんとに僕もそう思う。誰もが、楽に本に近づける、手を伸ばせる、そんな設計にすべきだな、絶対」
織田の憤る気持ちが、琉生にもよくわかる。
図書館に限らず、公共性の高いものをつくるのなら、利用者のことを様々な角度から考えて設計するべきではないのか。奇をてらった人目を引く建物より、使う人への配慮や心遣いの行き届いた建物の方が、ずっといい。
「格好良さとか、唯一無二の大胆なデザインとか、そんなもん、どうだっていい。使いやすいかどうかだろ」
織田につられて、なんだか琉生まで、ちょっとヒートアップしてしまう。
「ほんまそれ!」
二人で静かに憤りながら、それでも、そんなふうに腹が立つのは、図書館が、自分たちにとって、とても大切で素敵な場所だから、余計にそう思えるのだと、琉生も織田も感じるのだった。
「ねえ。今まで、ありがとう」
思わず、琉生は織田に言った。
「放課後の図書館が、こんなに楽しくて魅力的な場所になったのは、織田さんのおかげだと思ってる。だから。……ありがとう」
琉生の心のこもった笑顔に、織田が目を見開いた。
「え。え。え……。うわあ……なんか急にそんな、お礼言われると思ってなかったから。どうしよう、なんかびっくりした」
織田の頬が、赤くなる。なんだか目がウルウルしている。
「いや。僕、ほんとに、感謝してる。で、これ……よかったら」
琉生はカウンターの下で、こっそり小さな紙袋を織田に差し出す。
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