第17話 1つの傘に
雨だ。けっこう大粒の雨だ。目の前のアスファルトの色が、みるみる濃くなる。
「朝の天気予報では、そんなこと言ってなかったのにな」
織田が恨めしそうに、空を見上げる。
図書委員会の仕事のあと、琉生は織田と一緒に下足室まで来て、靴を履き替えたところだ。
放課後の下足室には、人の姿はまばらだ。
「傘、あるよ」
琉生は、カバンの底から、折りたたみの傘を取り出す。
「え?」
「よかったら、これ、使って。ホイ」
琉生は、織田に傘を軽く手渡して、びっくりしてかたまっている彼女に、さっと手を振って、雨の中に駆け出す。
「え、これ、藤澤くん、濡れてしまうやん。だめだめ」
傘を返そうとして追いかけてくる彼女に、琉生は笑いかける。
「ごめん。これでも一応、アイドルなんで。女の子と一つの傘で帰るわけにはいかへんから。代わりに使って」
ちょっとだけ、想太の真似をして関西弁で言ってみる。
「え。どうしよ。ごめん! ありがとう。気ぃつけて帰ってね。風邪引かんようにね」
申し訳なさそうに、でも嬉しそうな笑顔で、織田が手を振る。
できるだけ早くその場を離れようと、琉生は顔の前に腕をかざして、足のスピードを上げる。少し先で、コンビニを見つけて、琉生は飛び込む。このまま、家までダッシュしようと思っていたけど、案外、雨足は厳しい。
「カサカサ……」
ビニール傘を買おうと、つぶやきながら見回すと、同じように買いに来た人も多かったのか、残りは、もう1本きりだった。手を伸ばしかけた琉生の目の前で、その1本が、さっと別の手にさらわれた。
「あ」
思わず声が出た。
「お」
最後の1本を手にした人も言った。
そして、初めてお互いの顔を見て、2人とも、同時に声が出た。
「え?」
「え?」
最後の傘を手にしたのは――――想太だった。
「琉生?!」
「想太?!」
「まさか、こんなとこで」 想太が目を丸くする。
「出くわすとは」 琉生もついつい笑ってしまう。
「傘、オレ、買うてくる。一緒に入ろ」
想太が笑いながら手を振って、レジに行った。
想太が傘を差す。想太はリュックをしょっているので、荷物は背中にある。琉生も、大きいショルダーバッグを背中に回してかける。荷物が多少ぬれるのはしかたない。
お互いの肩が近い。時々、軽くぶつかる。気を遣って離れると、想太は、自分がぬれるのにもかまわずに、傘を大きく琉生の方に差し掛けようとする。だから、琉生も、気を遣うのをやめる。
「ぬれるから、できるだけ近くに寄ろう。でも、なんか、ちょっとテレくさい感じ」
「ほんまほんま。でも、この雨で、傘なしはちょっとむりやしな」
「たしかに」
「でも、琉生にしたら珍しいな。傘忘れたん?」
「いや、人に貸した」
「女の子?」
「そう」
「そらしかたないな。相合い傘するわけいかへんし」
「うん」
「まあ、オレとの相合い傘やったら、写真撮られても大丈夫やし」
「ふふ。そうだな」
想太と琉生が1本の傘に入って、歩道を笑いながら歩いていると、傘を差していても、時々すれ違う人が振り返っていく。
(あれ、琉生くんと想太くんじゃない?)
(うわ。ほんとだ。え、なんで、2人で?)
そんな会話をする声が聞こえる。
2人は、気づかないふりをして、少し早足で歩く。
「ところで、想太は、なんで、ここに?」
「あ。オレ、ちょっと買い物。このすぐ近くの文房具のお店」
「へ~」
「かあちゃんへのプレゼント探し中」
「いいのあった?」
「う~ん。いや。難しいな」
「本は?」
「本は、たいてい、オレより先に読んでるもん」
「それもそうか……」
想太の母は、学校図書館司書だ。その前には書店に勤務していたらしい。とにかく本が好きで、本の話題になると、話が止まらない。琉生も、想太の家に行ったとき、本の話題で、めちゃくちゃ盛り上がったことがある。
琉生の好きなシュリーマンの『古代への情熱』も当然読んでいて、あれを読んで語学をやろうと思った、なんて自分と同じようなことを言うので、びっくりして嬉しかった記憶がある。
「このあと、予定ある?」 想太が言う。
「いや。今日は、別にないよ」
「じゃあ、うち来る?」
「行く」
想太の住んでいるマンションは、琉生の家からそう遠くはない。それでも、想太に出会うまで、琉生がその辺りに行くことはほとんどなかった。マンションの隣のビルには、小さなプラネタリウムがあったり、近所に美味しいパン屋さんがあったりして、今は、それらは琉生にとってもお気に入りの場所になっている。
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