04:きっと本当はなんとも思われていない


「馬鹿に馬鹿って言ってなにが悪いんだよ、ばーか!」

「馬鹿しか言うことないの!? 貧相なボキャブラリーだこと!」

「はっ! 学力的には俺の方が上だろ!」

「クラス順位が一つ二つ違うだけじゃない!」

「あんたたちねぇ……」


 傍らで夕紀がため息を吐いた。

 茜だって泣きたい。今日こそは一緒に帰ろうと誘う予定だったのだ。本当に、数分前までは。

 だって、と言い訳をしようとした茜よりも先に、夕紀が疾風に向かって問いかけた。


「素朴な疑問なんだけど、それホントに付き合ってる?」

「ゆ、夕紀っ!?」


 疾風が誰かに話していたかはわからないが、おそらくこのクラス内では夕紀しか知らないであろう事実があっさり彼女の口から公表される。

 隠していたわけではない。子供じみた口喧嘩をする様子に仲良いねと揶揄する人はいても、付き合ってるのと尋ねる人はいなかっただけだ。

 夕紀に話したことすら伝えていない茜は慌てた。疾風は眉間の皺をさらに深くする。


「んなの、神崎には関係ねえだろ」


 茜の頬は確かに赤く色づいていた。しかし疾風の冷え切った鋭利な一言に、その赤みは瞬時に引いていく。動揺の欠片すら見当たらない彼の反応は、一瞬でも浮かれた茜の気持ちをどん底へと叩き落した。

 もしほんの少しでも焦ってくれたら、照れてくれたら。

 連日の帰りの光景に既に傷を負っている心が、さらにボロボロに欠けていく。唇をきつく一文字に結んだ茜の背を、夕紀が撫でた。


「東雲、あんた、」

「帰る」

「ちょ、東雲!」


 身を固くして俯く茜を一瞥して帰ると告げた疾風の声音には、茜と罵り合っていた時のようなある意味で気を許したような響きはまったくない。夕紀の引き止める声は足を留める理由にはなりえず、彼はスポーツバックを乱暴に掴んで荒い足取りで教室を出て行った。


「もうっ、あいつなんなのよ!」

「……いいよ、夕紀」


 沈黙していた茜が力なく首を振る。もう疾風と口喧嘩していた時のような勢いも、関係を問われて頬を紅潮させた様子も、わずかにすら残っていない。

 夕紀は矛先をそんな彼女へと向けた。


「あんたもなんでこういう時ばっかなんにも言わないの! 今こそ罵っていい時でしょ!?」

「きっと疾風は、本当は私のことなんてなんとも思ってないんだよ。……からかいの延長線なのかも!」


 無理矢理に作った歪な笑顔なのは誰が見ても明らかだ。

 それでもその強がりが今の茜が心のバランスを保つには必要なことだった。


「最近さ、疾風ってば可愛い女の子と二人で帰ってるんだよ」

「は、なんでっ!?」

「わかんない」

「わかんないって、」


 彼女であることを理由に問うことは簡単なはずで、でも答えを知るのが嫌で今日もまた聞けず仕舞。

 窓の向こうに、今日もまた二人の姿が現れた。茜の視線が一点から動かなくなったことに疑問を持った夕紀もそれに気づく。


「……いいなぁ」


 デートをしたことも、手を繋いだこともない。

 付き合い出してから笑顔を見たのは、最初のあの時だけ。あれ以降は不機嫌そうな顔や怪訝そうな顔しか向けられていない気がする。もともとそんなに笑うタイプじゃなかったけど、それにしたってだ。

 だから今では、あれは嘘だったんじゃないかって。告白も、笑顔も、全部。茜をからかって馬鹿にするための疾風の演技だったんじゃないかって、そんなことすら思う。疑ってしまう。


「茜……」

「私、もうどうしていいかわかんないよ」


 疾風の気持ちがどこにあるかわからない。一方通行なんじゃないかと思うと、恥ずかしいけど本当は何度だって言いたい「好き」すら言えなくて。


「一緒に帰ろうって誘うつもりだったのになぁ……」


 気づいたらいつも通り口喧嘩に発展していた。

 もうとっくに見えなくなっているのをわかっているのに、茜は疾風の姿を求めて窓の向こうに視線をやってしまう。


「……茜、東雲なんかやめちゃいなよ」

「それができたらこんな風にうじうじしてないって」

「ちゃんと茜のこと大事にしてくれる人探そうよ」


 夕紀が本気で心配してくれているのはその口調からも表情からもわかる。でも、それでも疾風が好きで。疾風以外無理で。

 茜は小さく首を横に振る。

 不満げな顔をしつつも頑なな茜に「わかった」と了解してくれた夕紀にありがとうと手を振って、帰ることにした。

 彼氏を待つ夕紀を教室に残し、茜は今日も一人ぼっちの道を歩く。西日がひどく眩しかった。


(その子は誰? 疾風にとってなに? ……私は、疾風にとってなに?)


 ――そう訊けてしまえば、楽なのに。


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