藤壺の宮は〝物の怪のせい〟にしたくない
伊井野いと『祓い屋令嬢 3巻』2月発売
序章
1
──死んだと思ったら、産まれていた。
ちょっと何を言っているのか分からないかもしれないが、あいにくと
何せ、大学に向かう途上でトラックにはねられたと思ったら、羊水やら血にまみれて、産婆に抱き上げられていたのである。全くもって、意味が分からない。
「いや、何故に……?」
そう声に出したはずの言葉は、残念ながら言葉の形をしていなかった。
ただ「おぎゃあ」と泣いただけである。どうやら脩子は、記憶をリセットされぬままに、輪廻転生の輪に乗っかってしまったらしい。
さて、この記憶を持ったままの転生に、正気に戻った瞬間はもちろん困惑した。
だが、やがてすぐに、これはこれで楽しいのではと思い直すことにしたのだ。
何せ、二度目の人生だ。人生二周目だと開き直れば、どうにかこうにか乗り切れるに違いない。
「あの衝撃じゃあ、どう
前世に未練はなくもないけれど、死んじゃったものは仕方がない、と割り切れたのである。何はともあれ、かくして脩子の二度目の人生は始まった。
さて、いったん腹を括ってしまえば、さっそく情報収集である。
赤子のぼんやりとした視界の中で、脩子は忙しなく動く人間たちをつぶさに観察し、周囲の会話に耳を研ぎ澄ませた。そうして分かったことは、まずひとつ。
どうやら脩子は、令和から先の未来にではなく、令和から過去の世へと転生したらしいのだ。二度目の人生の舞台は、平安時代の中期頃であるようだった。
さすがの
何故なら脩子は、令和の世を生きる大学院生だった。しかも専攻は、『日本古典文学』だ。人より幾分かは、この時代に関する知識があるのである。
平安時代はといえば、令和の世から
平安前期に遣唐使が廃止されたことにより、中期以降には日本独自の国風文化が花ひらく、この時代。中国の影響を色濃く受けた唐風の文化をようやく脱し、宮廷貴族を中心とした王朝文化が
紫式部や清少納言らによる女流文学が、後世に大きな影響を与えた時代でもある。
平安時代と聞いて、まず一番に想像するのは、典雅で華やかな風景だろうか。
寝殿造の広大な邸宅。その
屋敷の南面には大きな池が広がり、静かに揺れるさざ波の上には、
時間の流れはゆったりとしていて、季節の移ろいを優雅に楽しむような、そんな時代──というのも、あながち間違ってはいないのだろう。一側面としては。
けれども、残念ながら。
脩子は人よりちょっとばかしこの時代について詳しいからこそ、知っているのだ。
平安時代は、決して優雅で華やかなだけの時代ではなかった。
何しろ中世以前、古代の末期という、公衆衛生という概念がこれっぽっちも存在しなかった時代である。
貴族は基本、毎日風呂には入らないし、体臭ケアはお香任せ。
庶民にトイレという概念はほとんどなく、
おまけに民草は死体を火葬や土葬に
『本朝世紀』によれば、死亡した者は多く京中の路頭に満ち、往還の人びとは鼻を
そんな衛生環境の中で、人が健やかに生活できるはずもない。
都では毎年のように
鴨川はしょっちゅう氾濫するし、
さてもさても、とんでもない時代に生まれてしまったものである。ここが平安時代であると気づいた時の、脩子の絶望たるや。
「せめて、貴人の生まれであってくれよ」と願ったのは、言うまでもない。
祈るような思いで、さらに情報収集に明け暮れた、その結果はといえば。
やがて分かったのは、自分が想像以上にやんごとない身分であるということだった。
なんと脩子は、先帝の后腹(つまりは皇后所生)の女四の宮──要するに第四皇女として生まれたようなのだ。
「セーフ! 超セーフ!」と、脩子はおくるみの中で、ガッツポーズを決め込んだ。何せ貴人どころか、貴人の中の貴人である。
これならば、少なくとも飢えとは縁遠くいられるし、自分で身綺麗を心がけてさえいれば、衛生的にもまだマシな環境で生きることが出来る。
(悲しきかな。貴族でも疫病にはそれなりに
何はともあれ、腐乱死体と隣り合わせの生活を送らずに済むのであれば、それだけでも上々だと脩子は開き直った。
こんな時代を実際に生きるのは不安極まりないが、それさえ除けば、自分の研究していた古典文学の世界である。
好きでなければ、そもそも研究などしない。
かくして脩子はこの第二の人生を、それなりに謳歌することに決めたのだった。
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