「鎖に縛られ、翼に解き放たれる」
鎖を断ち切ったアンナとジャックは、ようやく自由を取り戻した。長く拘束されていた四肢はこわばり、痛みを帯びていたが、痺れをはらんだ電流のように感覚が一気に戻ってくる。アンナは手首をさすり、金属に擦られて残った怒張した赤い痕に顔をしかめた。実務家のジャックは、息を整えるより先に周囲の状況を素早く見渡す。
薄闇の洞窟は湿った土と、どこか菌類めいた匂いでむせ返っていた。彼らの荒い呼吸のほかに聞こえるのは、奥深くから響く水滴の「ポタ、ポタ、ポタ」という規則正しい滴下音だけ。粗削りの岩壁には、卓上の一本の松明だけが頼りなく燃え、揺らめく橙が心許ない光を投げている。明滅の端で照らし出されたのは、捕え手マオトが残していったと思しき、走り書きの紙束だった。
アンナはそれをひったくるように手に取り、必死の面持ちで脱出の糸口を探る。わずかに震える声でジャックに読み上げる。「ここによると、マオトの次の標的は……アリの坑道」胃の底で不安がとぐろを巻く。急いでアイリスとレミーに警告を届けなければならない。時間はほとんど残されていない。
空気には妙な不協和が漂っていた。用意周到で知られるマオトが、自らに不利な証拠となる備忘を無造作に晒しているなど、あまりに出来すぎている。だが今は疑っている余裕すらない。刻々と削れていく一瞬が、彼らには致命的だった。
視線を交わすだけで、やるべきことは一致していた。最優先は、可能なかぎり早くアイリスとレミーとの合流地点へ到達すること。しかし道は容易ではない。メモから得た地図は、アリのコロニーに至る迷路のような坑道網を示していた。徒歩なら何時間も要する。そんな時間は、もうない。
絶望が喉元までせり上がったその時、ジャックの視線が洞窟を走り、壁に掛かった金属のきらめきで止まる。つい先ほどまで自分たちを縛っていた、あの鎖だ。無謀だが、妙に現実味のある発想が閃光のように頭をよぎる。
彼の口元に悪戯っぽい笑みが広がった。天井を指さすと、そこには何匹ものコウモリが逆さにぶら下がり、微動だにせず眠っている。「あいつを使うんだ」ジャックは水音に消えそうな囁きで言う。
アンナはその指先を追い、懐疑と希望が入り混じる瞳で見上げた。「コウモリ? つまり……飛んで脱出するってこと?」
ジャックは喉の奥で低く笑う。洞窟の静寂にさざ波のような振動が走った。「正確に言えば“飛ぶ”というより、“嫌々ながらのパイロットを拝借”だな」彼は小声で手順を説明する。興奮を押し隠しきれない声音に、計画の大枠と要点が素早く織り上がっていく。
厚かましいほど大胆な策は、むしろ胸を躍らせた。アンナの口元にも思わず笑みが灯り、いつもの冒険心が火花を散らす。二人は新たな決意を胸に、奇策の準備に取りかかった。
彼らは群れの中でもひときわ丸々と太った一匹に狙いを定め、細心の注意で近づく。革のような翼をぴたりと畳み、眠りに沈むその体は、音もなく吊られている。アンナは息を殺し、心臓の鼓動が胸を突き破るのではないかと感じるほどだ。ジャックは手際のよい錠前破りよろしく、鎖を使って即席のハーネスを拵える。動きは緩慢で、羽に触れる指先は羽毛を撫でるほど軽い。目覚めさせないことが絶対条件だった。
ついにハーネスが固定された。見栄えなど二の次だが、用は足りる。二人は無言で頷き合い、最も肝心な工程へ。ジャックが指先でそっとコウモリの体をつつくと、眠りの水面にさざ波が立つ。
ぴくり、と耳が震えた。次の瞬間、弾けるように目が開く。明滅する松明の光が黒い瞳に反射し、小さな体が防御反射で強張る。
息を止め、二人は身構える。暴れられれば終わりだ。だが意外にも、コウモリは混乱と異物感に呑まれたのか、攻撃に転じなかった。かわりに、必死で羽ばたき始める。飛び立とうとする本能が、眠りを一気に吹き払う。
鎖はたちまち命綱へと役割を変え、ぐんと張った。アンナとジャックは思わずたたらを踏むが、すぐに体勢を立て直し、鎖を両手でがっちりと掴む。羽音が狂おしく加速し、二人の体が地面から数インチ浮いた。
心臓が止まりそうな刹那、薄闇の洞窟で二人はコウモリに吊り上げられる形で宙づりになる。続く一撃の強い羽ばたきで、コウモリは一気に上昇した。アンナとジャックは思わず叫び声を上げる。湿った地面が瞬く間に遠ざかっていく。
風が髪を裂き、こもった洞窟の匂いを連れ去って、代わりに松の鋭い香りと湿った大地の匂いを運んでくる。闇から月光への劇的な転調に、視界は一瞬白む。やがて瞳が馴染むと、眼前に広がる景色が息を呑むほど鮮やかに姿を現した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます