第22話 温羅という男
「ここは吉備津彦さん達の潜入が始まってから一年後になります。あの丘の上に温羅さんたちがいると思うので行ってみましょう」
先生が指を差した丘を目指して急斜面の坂道を上って歩いた。眼下には何軒もの家が立ち並ぶ村が広がっている。この時代にこんなに整備された村があったことに驚いた。その村の少し外れに煙が上がっていた。火事か・・・?と一瞬思ったが、吉備津彦命に声をかけられた。その横で一所懸命に吉野さんはメモを取っている。いや、絵を描いているのかもしれない。必死に鉛筆を動かしている。
「あれは、たたら場です」
「たたら場?」
「現代でいう所の製鉄所です」
「製鉄・・・」
「そうです。だから、この地の民は豊かに暮らしていました。それを私たちが・・・」
吉備津彦命が何かを言いかけた時に、黒衣の鬼が吉備津彦命の肩に手をかけて言葉を止めた。
「それ以上話すな。それ以上苦しむな。上に上れば、この者らは理解する」
そう言う表情こそ苦しそうだ。
「着きました。では、小屋に入りましょう。皆さんはこの時代の誰にも見えてないのでご安心下さい」
先生はそう言って、スルスルと中に入って行った。僕たちもそれに続いた。
岸壁の頂上にあった小屋の中は簡素な佇まいであった。この地の王が過ごす場としてはあまりにも簡素だった。奥を見やると、いくつかの人影があった。
犬飼、猿飼、鳥飼、そして、その前に若き日の吉備津彦命、ワカタケル。その前に座っているのは若き日の黒衣の者、温羅だろうか。身に付けている衣服は現代の黒い装束ではなく、白が染まったグレーのような色だ。小屋と同様、粗末な佇まいだが、圧倒される不思議な雰囲気がある。
「温羅殿、隠していてすまなかった。私は中央の者だ」
その告白に、後ろに控えている犬飼、猿飼、鳥飼の緊張感が伝わって来る。その告白が意味する事の重大さが否が応にも伝わって来る。
「ふっ、はっはっは。そんな事はとうの昔に分かっておるわ。後ろの者たち、緊張を解いてよい。これから話す事を前に斬り殺されては堪らない」
その言葉に、吉備津彦、ワカタケルも後ろの三人もきょとんとした。
「私は元より、たたら場の皆も分かっている。分かっていなかったのは、お主らばかりだ。主らは品があり過ぎる。逃げ落ちた流れ者というのは無理があったな。この地の者は人の上に立つ者の雰囲気が分かるのだ」
その言葉に、犬飼が剣に手を掛けた。
「待て。お主らを殺す気ならとうにやっている。実際、お主らを殺すという話しも持ち上がっていた。しかし、民らはそれをしなかった。何故だか分かるか?その理由を剣に手を掛ける前に考えろ」
温羅の眼光と叱責に、犬飼が悔しそうな面持ちで剣から手を離した。
「迷ったのだろう?この地の民は滅ぼすべき対象なのか?と、そして、やっと意思が決まったから来たのだろう?この地の民を殺したくない。そのためには、俺を恭順させたいと」
ワカタケルは、じっと温羅を見据えた。斬りかかるのだろうか?イサセリヒコからの特命を受けたワカタケルなら、玉砕覚悟で斬りかかり、自らが死してでも、イサセリヒコの軍が進行して来るきっかけを作るだろう。四人の緊張が伝わって来る。ワカタケルの判断次第では四人は確実に死ぬだろうから。しかし、ワカタケルから意外な言葉が発せられた。悲痛な叫びと言ってもいいだろう。
「百済の王子、温羅殿。いや、余豊璋殿、ご恭順お願い申す」
ワカタケルはその言葉を発し、平伏した。その姿に、後ろの三人は驚きながらも追って平伏した。
え?温羅が百済の王子?
「お主も分かっていたのだな。ふふ、私も甘かったな。お主を少々見くびっていた。では、余計に分かっているだろう?お主の力ではどうにもできない巨大な波が背に迫っているのが。いや、分かっているから、今日来たのか?急ぎ、イサセリ将軍の下に戻れ、そして、伝えよ。吉備津の王、温羅は恭順を拒否した、と」
「温羅殿、何卒、何卒、ご恭順を!さもなければ、民が死にますぞ。私は其方も民も誰一人殺したくない!頼みます。何卒、ご恭順を!」
再び悲痛な叫びを上げ、平伏するワカタケルに温羅は近づき膝を落とし、肩に手を置き、優しげな笑顔で声をかけた。
「ワカタケル。其方は王子だ。そして、私も王子だ。いや、王子だった者だ。だから、この地の民も其方を受け入れたのかもしれないな。私がこの地に流れ着いた時の事を思い出して。もう、行け、明朝には戦さが始まるだろう。私を甘く見るな。其方がこの地に紛れたように、イサセリの軍に私の手の者も潜り込んでいるわ。吉備津征伐軍は、もう、すぐそこまでの場所に陣を張る用意をしておる。さあ、行け、其方の役目を全うするのだ。明朝、戦場にて相見えようぞ。猿、犬、雉、其方らのたたら場での活躍ご苦労であった。楽しい時間でもあった。しかし、これよりは敵となる。其方らの王子をよろしく頼んだぞ。行け!」
その言葉を聞くと同時に猿、犬、雉はワカタケルを抱えるようにして、場を辞した。
「温羅様、有難きこのご恩、王子を命に換えてでもお守りする事でお返し致す!」
犬飼が後ろを振り向きながら叫び、雉と猿も頭を下げて走った。
「温羅殿!温羅!死ぬなど決して思うな!私は、貴方を兄の様に思っております。まだ、教えてもらいたいことがある!この国のためにも!」
ワカタケルの叫び声が遠くなるのを聞きながら、温羅は笑った。
「私も其方を弟の様に思っている。其方と語り合った吉備津国の行く末と民を頼んだぞ。そして、これから其方ら中央が統べる国の為なら、私の命など安いものだ」
そう言って、首を手刀で叩いた。僕たちの後ろや小屋の外にいる鬼たちの呻きや嗚咽、鼻を啜る音が聞こえた。
誰にでも悩みはある。神様も、化物も、人間も、桃太郎も。 中村雨歩 @nakamurauho
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