第8話 祝詞の先生

「分かりました」

 先生は静かにそう言った。何が分かったのかさっぱり分からないが、先ほどの東北地方の征服の話しと関係があるのだろうか?しかし、あの話しは、桃太郎とも吉備津彦とも関係ないし、吉野さんの妄想話しとしか思えない。だから、先生は途中で会話を断ち切ったのだと思っていた。


「吉野さん、今日のカウンセリングは禊をして終えましょう。そして、後日、一緒に吉備津彦神社に行きましょう。ご紹介したい人がいます。きっと、吉野さんの作品の役にも立つと思いますよ」


「分かりました。水亀先生も信じてお任せします」


「ありがとうございます。では、根駒さん、神棚のある隣りのお部屋に塩水を用意して下さい。手水舎で手を洗うくらいの量で大丈夫です。九条さん、吉野さんにお詣りする際の祝詞の唱え方を教えて差し上げて下さい」


「はい。先生」


 茜ちゃんが元気に返事をしてテキパキと動き始める。僕は、九条さんなんて呼ばれたことが無かったので一瞬戸惑った上に、隣りの神棚のある部屋すらよく分かっていなかった。茜ちゃんの後を追っかけて隣りの部屋に入ると、初めて見る神棚を見上げなら呆然としていると、

「しっかりしな。兼人まで取り憑かれるよ」


 塩水を持って元の部屋に戻ろうとする茜ちゃんに声をかけられた。取り憑かれるというのは、やはり、吉野さんは何かに取り憑かれていて正気ではない状態だったということなのだろう。それを先生も茜ちゃんも分かっていたということか・・・。


 でも、何に取り憑かれているのだろう?桃太郎?いや、桃太郎はモチーフの人物がいても実在はしない。じゃあ、吉備津彦?でも、東北は関係無いし・・・全然、分からない。


 そんな事を考えていると、塩水で清めた吉野さんと茜ちゃんが部屋に入って来た。


「お願いします」

 そう言って会釈をする吉野さんは目には力もあり、しっかりと俳優のオーラを纏っている。取り憑かれているなんて思えないが、この一時間ほどのカウンセリングの時間の中で起きた変化は明らかに普通ではなかった。今は、本当の吉野秀俊さんなのだろうか?と少々疑いを持って見ていると、


「九条さん」

 茜ちゃんから、少し怒ったような声で促された。


「はい。よろしくお願いします。祝詞の唱え方をお教えします。まず、二礼に拍手、そして、その後に、祝詞を唱えて下さい。え〜、祓えたまえ、清めたまえ、神ながら、守りたまえ、幸いたまえです。それを唱えたら、最後に一礼です。どうぞ。」


 吉野さんは素直に僕の言ったことを行なってくれた。とても姿勢の美しい清々しいお詣りだと思った。さすが、名俳優、絵になる。


 神棚がある部屋を出ると、先生が吉野さんに声をかけた。


「これは応急処置のようなものです。本当の意味で祓えるのは吉野さんだけです。改めて、吉備津彦神社でお会いしましょう」


「はい。神社に行く日が決まりましたら、お知らせ下さい。最優先にします」


「分かりました。では、今日はお越し頂きありがとうございました」


 吉野さんは、先生の言葉に笑顔で会釈を返しカウンセリングルームから出て行った。


「ふ〜すごい数の鬼でしたね・・・疲れた・・・」

 茜ちゃんが、そんなことを言って、ソファーに腰を落とした。


「え?鬼・・・?どこに?」


「え?兼人、全然分からなかったの?吉野さん鬼だらけだったよ。吉野さんから出たり入ったり、ぐるぐる体の周りに漂っている感じだったよ。あれに気が付かないって、ある意味才能だね。」


「兼人くんは、先日の元気な祝詞のおかげで吉備津彦命に守ってもらえたのかもしれませんね。祝詞を唱える才能がありますね」


「兼人、神主になれば」


 先生と茜ちゃんに何だか馬鹿にされているようだったが、本当に鬼はよく分からなかった。コロコロ言う事や雰囲気が変わる吉野さんに気持ちの悪さや、空気の重さは感じたけど。


「因みに、吉野さんに憑いていたのは、鬼とも言えるのですが、鬼と言っていいのかは分かりませんよ。怨霊と言っておくのが最も正解に近いかもしれません。怨霊と桃太郎伝説、この関係を解き明かすのが、吉野さんのカウンセリングの成功につながります」


「ミステリーな感じですね!」


「では、来週辺り、桃太郎のモデルと言われている吉備津彦命に会いに行きましょう。茜ちゃん、来週のスケジュールを見て新幹線のチケットをお願いします。兼人くんは日程が決まったら、吉野さんに連絡して下さい。現地の集合でいいです。よろしくお願いします」


「はい!」

 チーム水亀始動って感じでワクワクする。


「兼人、遠足じゃないんだよ」

 茜ちゃんも嗜めながらも嬉しそうだ。


 しかし・・兼人くんを守っているのは、吉備津彦命ではなさそうですね・・。おそらく、あの程度の怨霊では太刀打ちできない化物か・・・。

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