第6話 自称桃太郎と鬼?
「私は桃太郎です」
え?あまりにも意外な告白に驚いて、茜ちゃんを見た。茜ちゃんは一瞬、得意げな笑みを返したが、すぐに何も知りませんよとでもいうように軽く首を横に振った。
やはり、何か知っているようだ。茜ちゃんから渡された『桃太郎』の本もこのカウンセリングに関係して読まされたのだろう。しかし、まだ何も分からない。余計なことを考えずに、目の前の吉野さんと先生のやりとりに集中しよう。
「桃太郎?あのおとぎ話のですか?」
先生も何も知らない体でカウンセリングを進める。
「はい。あの鬼退治の桃太郎です。」
先ほどまでの暗さが消え、はっきりとした口調で応えた。
「あのお話しでは、自分は鬼を懲らしめた英雄ですが、実は違うんです。」
「違う?」
「悪い鬼たちを、桃太郎と雉と猿と犬で懲らしめて、宝物を持ち帰る。というお話しですが、違うのです。」
「何が違うのですか?」
「村から宝や穀物を強奪するような悪い鬼はいないんです。」
「鬼はいなかった?」
「鬼はいたのですが、悪い鬼はいなかったんです。だから、自分たちは鬼を懲らしめていないんです。」
「桃太郎のお話しは、悪い鬼を懲らしめて、桃太郎が英雄になるというお話しですよね?実際のお話しを聞かせて頂けますか?」
「はい。お話し・・致します。」
吉野さんは先生から視線を外し、遠くを見るようしてゆっくりと話しを始めた。
「私は、桃から生まれた訳ではありません」
そうでしょうね。とは先生は言わずにじっと話しに耳を傾けている。吉野さんは続けた。
「私は、猿と雉と犬と鬼ヶ島に行った訳でもありません」
これにも先生は反応せずにじっと聴いている。吉野さんは話し続ける。
「私は、軍人でした。朝廷に仕えて戦を生業にしていたので侍と言ってもいいと思います」
「朝廷に仕えていた軍人ですか」
「はい。たくさんの人を斬りました。建物もたくさん焼きました。戦場では、怒号や悲鳴が常に飛び交い、赤子の泣き声、女の叫び声が耳を突き抜くように響いていました」
「凄惨ですね。どんなお気持ちでしたか?」
「はい。とても悲惨な現場でした。何度も逃げ出したくなりましたが、私は朝廷に仕える誇り高き軍人であり、何名もの部下も率いている身です。逃げる訳にはいきません。それに、斬らねば斬られるという状況の中では、怖さよりも必死に目の前の敵を倒なければという気持ちが勝り、どんな気持ちかなんて考えている余裕もありませんでした」
「そんな戦場をいくつもご経験されたのですね」
「はい。それが仕事だからというのもありますが、常に戦っていたと思います」
「そうですか。どの戦が厳しかったか覚えていますか?」
「どの戦も楽なものはありませんでしたが、今の関東地方の北から更に北の辺りの戦が苛烈で数が多かった印象があります」
「関東の北から東北地方ですかね?」
関東から北から東北?『桃太郎』って岡山県辺りのお伽話だったような気がしたけど、違うのだろうか?
「はい。現在の宮城県に多賀城を築くまでの戦がとても激しく印象に残っています」
宮城県の多賀城?益々、桃太郎との繋がりがわからなくなってきた。多賀城が築かれたのは、西暦七百年代の前半だったと思う。そして、それを築いたのは初代征夷大将軍である坂上田村麻呂のはずだ。桃太郎のモデルは田村麻呂という話しは聞いたことがない。もしかしたら、魂の流転で桃太郎のモデルが田村麻呂になって、その流れで流転に流転を重ねて吉野さんになったということなのだろうか?しかし、今、桃太郎を名乗っているのは何だか腑に落ちない。「軍人」という言葉も不自然だし、さっぱり答えが出ない気持ちの悪さに、茜ちゃんを見ると、やはり何かを知っているような勝ち誇った視線を返してきた。
「その激しい戦の場にも鬼はいなかった?」
「どの戦場にも鬼はいません。関東や東北地方でも我々が征服したのが、鬼と言われている人たちなのです。そして、我々こそが強奪者なのです・・・」
先生は次の言葉を待つように、じっと吉野さんの方を見つめた。
「むしろ、鬼は我々の方なのです・・・」
吉野さんは下を向き頭を抱えて苦しげに言葉を発した。
「苦しいですね。大丈夫ですか?少し休憩しますか?」
先生、今、わざと会話を切った?苦しそうではあるが、まだ傾聴を続ければ、苦しみの深さに触れられると思ったのだけど・・・。
「ちょっとお水を飲みます」
「どうぞ」
「ありがとうございます。もう大丈夫です」
いつの間にか用意されていた水を飲み、苦しそうではあるが、顔色は少し良くなったように見える。
「では、質問させて下さい。参加された全ての戦の場には桃太郎として従軍されていたのですか?」
「桃太郎として従軍?私が、ですか?」
え?何?ついさっき、吉野さん、はっきり自分で「私は桃太郎です」って言いましたよ・・・。僕は何が何だか分からなくなった。
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