自由帳

超人間不信

焼け野原×ベンチ×占い

「あなた、その場所に行くと死ぬわよ」


 行きずりの占い師に声を掛けられたのは、突然のことだった。

 僕は思わず無心で動かしていた足を止めて、声が聞こえて来た方へ目を向ける。

 この辺りも人が少なくなったとは言え、僕の他にも通行人はちらほらと居て、直接名前を呼ばれて呼び止められたわけでもない。それでも僕は確信を持って足を止めていて、道の端で路上占いをしているらしい場違いな女性は、確かに僕の方を真っ直ぐに見つめていた。


「桜の木とベンチが見えるわ。あなたの死相もね。私の言った場所に心当たりがあるでしょう。そこへ行くのは止めなさい」

「……驚きました。占い師って胡散臭くてそれっぽいことを言うだけの嘘つきだと思ってたんですけど、お姉さんみたいな本物もいるんですね」


 明け透けな僕の物言いにも女性は気を悪くした様子はなく、ただ真剣な表情で僕を見ていた。

 どうやら彼女は本気で僕を案じ、死の未来から救おうとしてくれているらしい。どこまでも僕の想像する占い師と違う。自分本位でお金のために虚偽の未来を詠むのが占い師ではなかったのか。少なくとも今はそうであってほしかったのに、まさか本物で優しい占い師に出くわしてしまうなんて。

 僕は親切な占い師に溜め息を吐いて、差し出されたその手を払いのけるように言った。


「お姉さんが本物で見えたのなら分かるでしょう。僕はこれから一生分愛した人に会いに行くんです。彼女はそこでしか生きられないから、僕が会いに行くしかないんです」

「死んだら何もかも終わりになるのよ。馬鹿なことを言うのは止めなさい」

「それなら尚更、会いに行かなくちゃ。彼女を見殺しにして自分だけ生き延びたら、僕の心は死んでしまいます。どんな形になっても僕が僕として生きれるように、僕は彼女と一緒に居たいんです。それを馬鹿だと言われるなら、僕は世界一の愚か者で構いません。……それにお姉さんこそ、ここで占いは止めた方が良いですよ」


 占い師はまだ何が言いたげだった。でも僕は言いたいことを言えたし、何を言われようが意思を曲げるつもりはなかったから、名前も知らない親切な占い師にさよならを告げてまた歩き出した。

 僕とは反対方向に進んで行く人達の影を縫って、ひたすらに歩いて行く。

 そぞろ雨のような恐怖や悲しみの声が聞こえる中、確かな愛を胸に歩いて行く。


 ◇ ◇ ◇


 彼女と初めて会ったのは大学二年に上がる春休みのことだ。

 そこそこ有名な美術大学に入学した僕は、美術家の卵として大きな希望を持っていた。

 自信もあった。ゴッホやフェルメールなどの名だたる美術家達に名を連ねる、なんて恐れ多いことは思っていなかったけれども、大学に合格できたのは当然だとは思っていたし、大学で少し躓くことはあってもある程度の良い評価を受けることはできるだろうと考えていた。その程度の、ありきたりで突出もしていない、つまらない自信はあった。

 だから僕が落ちこぼれて、希望も自信も打ち砕れたのは必然だったのだと思う。


 簡潔に言って、僕には才能などなかったのだ。ただ絵の上手い凡人だった。

 どんな大作を描き上げても、僕の———絵の上手い凡人の描いた大作は天才の描く逸物の前ではゴミ同然で、誰にも見向きはされず、褒められることもなかった。

 そうして打ちひしがれた僕の前に現れたのが、彼女だった。


「——すごく、綺麗ね」


 失意の底で、でも絵を描くことは止められなくて、誰もいない、誰にも見られない場所で美しいと思った桜の絵を無心に描いていると、そう声を掛けられた。声を掛けてくれた彼女は泣いていた。

 急なことで驚いたし、何故泣いているのか僕には分からなくてとても戸惑ったけれど、彼女は感動と歓喜で泣いているのだと教えてくれた。


 彼女は、とても綺麗だった。

 陶器のような肌は雪のように白くて、風に靡く桜色の髪が陽に透いて。

 何より彼女は誰にも賞賛されなかった僕の絵を綺麗だと褒めてくれた。僕の絵を見て涙を流してくれた。それが僕も涙を流すことになるほど嬉しかった。

 だから、僕が彼女に恋をするのもまた必然だった。

 彼女との時間はとても幸福で、特別な逢瀬だった。彼女は桜の木の下のベンチでいつも僕を待ってくれている。 僕も彼女に会いたくて時間を作っては彼女の待つベンチに向かった。

 だから今日も僕は約束の場所へ行く。

 君に会いに行く。


 ◇ ◇ ◇


 僕が駆け抜ける街並みは、いつもと同じもののはずなのに、見慣れない異界に迷い込んだようだ。

 乱雑に置かれたように車が乗り捨てられていて、所々物が散乱して、何より人が一人も居ない。でもどこか既視感があると思ったら、そう、あれだ。昔見たゾンビ映画に出てくる街並みにそっくりだ。

 僕の荒い呼吸音も足音も掻き消すサイレンが鳴り響いているのも、その既視感を助長している。


『———市に向けて核ミサイルが発射されました。市民の皆様は速やかに退避し身の安全を確保して下さい。これは訓練ではありません。繰り返します———』


 ああそうだ、この街にはもうすぐミサイルが降ってくる。

 数年前には平和大国なんて謳われていたこの国も、他国が戦争を起こし始め、情勢が激化するのに触発されて、いよいよ戦争を始めてしまった。

 だからもうすぐ僕と彼女の想い出が詰まった場所を壊しにミサイルがやって来る。

 全ての想いも未来も、焼け野原にしてしまう炎が降る。

 彼女を焼き殺す雨が降る。

 その前に彼女に会って、最期の瞬間まで彼女と居たい。


 やっとの思いで僕がそこに辿り着くと、いつも通りベンチに座っていた彼女は憂うような、悲しむような表情で僕を見て立ち上がった。

 僕が笑って駆け寄ると、彼女は僕を見上げ、髪と同じ桜色の唇を戦慄かせて、言葉を吐き出す。


「……どうして来たの」

「もちろん、君に会いたかったから」

「……馬鹿な人。私は人間じゃないのよ」

「はは、馬鹿って、さっきも言われたなぁ。その人にも言ったけど、これが馬鹿なことなら僕は馬鹿で良いんだ。君が人間かどうかだって関係ない。僕は君が好きなんだ。それだけだよ」

「———。本当に馬鹿な人。でも私も、あなたが好きよ」


 彼女は眦から透明の涙を流して微笑んだ。

 それすらも、一瞬一瞬、全てを画にしたいほど彼女は綺麗だ。

 僕はそっと彼女の手を取って、優しく彼女に口付けをした。



 ミサイルの降るこの街で、僕たちは燃えるような恋をした。

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