呼ばれてもいないのに緊急クエストが発生しました

 2階層内にいる冒険者達が全滅していなければ良いけれどと願いつつ、鬼灯と猫耳が印象的な女性が階層の出入り口で足止めを受けている頃。


 最後に大きくジャンプをして地面に着地をすると2階層で踊っていたドワーフが突然、砂となり消える。

「因みにこのイベントを発生させる方法は妖精達しか知らないから。内密にお願いします」

 笑みを浮かべるリンスールは妖精なら誰でもイベントを発生させる事が出来るような話し振りをするけれど、全ての妖精が高難易度の術を発動する事が果たして出来るのだろうかと疑いを持ってしまう。


「分かった」

 もしかしたらリンスールは妖精の中でも高い地位を持っているのでは無いのだろうかと考えつつ、分かったと一言呟いて口外しない事を約束する。

 リンスールから視線を逸らした所で気がついた。


 辺りが薄暗くなっていた。

 頭上を見上げると巨大な闇が渦巻いている。

 それは次第に大きくなり2階層に広がっていく。


 ブーブーブーブーと2階層に緊急事態を知らせる警報が響きだす。

 緊急クエストが発生しました。

 アナウンスが流れて緊急クエストが発生した事を知らせる。


「え、何? 立て続けにトロールが発生するの?」

 イベントを終えた事で一度2階層へ続く出入り口の通行が可能になった。

 女性の驚く声が聞こえて、ここで初めて2階層に足を踏み入れた冒険者がいる事を知り、2階層の出入口に視線を向ける。

 そこには、茶色の猫耳が印象的な活発そうな女性と、黒いローブを身に付けて深々とフードを被る魔術師の青年が佇んでいた。

 頭上では毛むくじゃらの巨大な手が強引に渦を広げている。

 ドワーフの塔に、召喚をされてもいないのに突然トロールが出現した。

 鉄の斧を持ち上げて一気に振り下ろす。床に打ち付けられた鉄の斧が大きな音を立てた。

 トロールの頭上に表示されているレベルは250。

 2階層にいる5人が強制的にパーティに組み込まれる。


ドンッ


 大きな音がしてトロールのレベルの横にヒットポイントのゲージが表示される。

 ゲージの表示と共にトロールとの戦いが始まった。


「ちょっと、待って待って!」

 突然の緊急クエストに慌てる女性が声をあげる。

 しかし、緊急クエストが待ってくれるわけもなくトロールは、じたばたとする女性に目掛けて鉄の斧を振り下ろす。

「きゃあああ! 待ってってば!」

 目の前に迫った斧を凝視しながら悲鳴を上げた女性が、力無く座り込んだ。

 彼女の真上に斧が落ちると思った。

 しかし、トロールの攻撃は隣に佇んでいた青年が制す。


 勢い良く振り下ろされた鉄の斧は透明な防壁に阻まれることにより、大きな音を立てて勢い良く弾き返される。


 しっかりと握りしめた杖を右手に持ち掲げる鬼灯に視線を移して、拝むように両手を顔の前で合わせた猫耳が印象的な女性は助け船を出した人物、鬼灯の背後に素早く身を隠す。

 完全に捕らえたと思っていた攻撃は魔術師が防壁を張り巡らせた事により阻まれてしまい、弾き返された斧の柄で頭を強打する事になったトロールは一歩、二歩と足を引きよろめいた。

 魔術師と猫耳が印象的な女性に攻撃を与える事が出来そうにないと考えて、トロールは素早くターゲットを変更する。

 攻撃対象をヒビキやヒナミに移したトロールは勢い良く振り返り、にやりと笑う。

 地面を強く踏み込んで全速力で駆け出そうと大きく前のめりになった所で思わぬ邪魔が入る。


 弓を構えて今か今かと、タイミングを見計らっていたリンスールの放った矢がトロールに向かって飛んだ。

 1本、2本、3本、4本、5本、6本、7本、8本と次々に矢を放つ。

 崩れた姿勢を立て直す間を与えることなく、次から次へと放たれる矢はトロールのヒットポイントゲージを削る。

 30本全ての矢がトロールを直撃。

 その早業に驚きながら呆然とリンスールを眺めていたヒビキに視線を移す。


 思い切り気を抜いていた所、攻撃を無事に終えたリンスールと見事に視線が合って、ビクッと大きく肩を揺らしたヒビキに向かってリンスールは何度もトロールを指差す素振りを見せる。

 どうやら、止めを刺してくださいと言っているようだけど、ヒットポイントが残りわずかとなったトロールが形振り構わず暴れだす。


 ぐぉおおおおお!


 気合いを込めて、雄叫びを上げるトロールは鉄の斧を四方八方に振り回す。

 一歩間違えば自分の体に当たってしまいそうなほど、がむしゃらに斧を振るうトロールの体すれすれを鉄の斧が通過する。

 敏捷性が増しているとはいえ、580レベルや980レベルのトロールに比べたら、その動きは遅く感じてしまう。

 振り下ろされたトロールの腕を後方に飛ぶ事により避けるのは簡単。

 トロールが腕を引く前に、伸ばされたままになっている腕に飛び移り急いで走り出す。

 腕から肩へ。

 肩の上でトロールの首にしがみつき、トロールの首をしめる。

 そのまま腕を中心にトロールの右肩から左肩へ体を移動。


「止めを刺して!」

 再び大きくバランスを崩して、じたばたと腕を動かし暴れ始めたトロールに止めを刺すようにと、ヒビキはリンスールに指示をだす。


「分かりました」

 とどめをヒビキに譲ろうとしていたリンスールが渋々と頷いた。

 両腕を前に伸ばして目蓋を閉じる。

 簡単な詠唱を終えるとリンスールの体が白色の淡い光に包まれる。

 白色の淡い光は少しずつリンスールの指先に集中を始めて、ゆっくりと目蓋を開くと風属性攻撃魔法を発動する。


「トルネード」

 ぽつりと呟くようにして放たれた言葉と共に、トロールの足元に白色の魔方陣が現れる。

 足元の魔方陣に、いち早く気付き素早く後退する事により魔方陣から出ようと試みたトロールよりも先に、巨大な竜巻が発生する。


「凄い」

 鬼灯の背後に身を隠し、顔を覗かせてリンスールの放った攻撃魔法を眺める猫耳が印象的な女性が小声で呟いた。

 ヒットポイントが0になったため、トロールが砂となって消える。

 トロールの首を支えにしていたため、支えを失ったヒビキは地面に向かって真っ逆さま。

 地面に頭を打ち付けて後頭部に激痛が走ると思っていたけれど、衝撃の代わりにふにゃっと柔らかい何とも奇妙な感触に包み込まれる。

 何か分からないけれど柔らかい物体は、ふにゃふにゃふにゃとヒビキの体を揺らす。

 体を包み込んでいる透明な物体の上では足場が悪くて体を動かすことが難しい。


 立ち上がるどごろか上半身を起こす事すら出来なくて仰向けのまま、ふにゃりと柔らかい物体に身を預けて寝転がっていると

「大丈夫か?」

 黒いローブを纏いフードを深々と被る青年が歩み寄り、声をかけてくれる。

 フードを深々と被る青年の容姿を確認することは出来なかった。

 見えているのは青年の口元だけ。

 青年の表情や種族を確認する事が出来ない。

 仰向けに横たわったままの状態で、何やら考え込んでいるヒビキは青年の問いかけに対して返事をする事を忘れている。


 魔術師の青年の声に聞き覚えがあった。

 人間界にいた頃に良く耳にした声を聞き間違えるはずがないと考える。

 驚きと共に激しく動揺し、そして淡い期待を抱いたヒビキの視線が青年の口元に向けられる。

 何とか容姿を確認する事は出来ないだろうかと試行錯誤をしてみるものの良い案は浮かばない。

 黒いフードを深々と被っているけれど、真っ赤な髪の毛が僅かにフードの隙間から見えている。


 真っ赤な髪に真っ赤な瞳が印象的なボスモンスター討伐隊隊員、魔術師の青年の姿を思い浮かべていた。

 ボスモンスター討伐隊隊員達からは鬼灯と呼ばれ仲間達から好かれていた爽やかな青年が、もしかしたらドラゴンの攻撃から逃れる事が出来て生き延びていたかもしれないと喜んだのもつかの間。

 冷静になって考える。

 現在ヒビキがいる場所は魔界にあるドワーフの塔。

 鬼灯が人間界から遠く離れた魔界にいるはずが無い。


 考えを頭の中で訂正して酷く落ち込んだヒビキは、沈んだ気持ちを表情には表さないようにと心がけ、声をかけてくれた青年に礼を言う。


「お兄さんが助けてくれたんだね。有り難う」

 表情に笑みを張り付けて出来るだけ明るい口調になるように、声のトーンを上げたヒビキに対して青年は安堵する。

 狐の耳付きフードを深々と被り仰向けに横たわっているヒビキの姿から予想をして、魔術師の青年はヒビキの種族を魔族だと予想していた。


「怪我は無いようで良かった。もう、人が傷つくのを見たくは無いから」

 小さな声ではあったものの、本音を口にした青年が指をパチンと鳴らすと、ヒビキの体を包んでいる透明な物体がパンッと音を立てて割れる。

 素早く空中で前方宙返りを行い、地面に着地をしたヒビキの元にヒナミとリンスールが駆け寄った。

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