第25話 置いて行かないで

 「緊張してる?」

タクシーを降りてからメンバーに声を掛けるのはいつも幸だった。


 「そりゃね」

「しないわけないじゃん」

「......緊張しすぎてお腹痛い」

「かなりしてる......」

口々に言うメンバーの方を振り向く幸。


 「楽しもうね」

ストレートな言葉に思わず笑みがこぼれた。

幸はいつも回りくどい言い方をしないし、飾らないから。

ただダイレクトにその言葉が胸に沁みる。


 「うん」

このグループの一員であることに誇りを持って頷いた。

声の震えが緊張のせいか、高揚感のせいかは分からない。

ただ胸の辺りが燃えるように熱かった。


 控室に荷物を置いて、バッグから髪をまとめようと髪ゴムを取り出す。

櫛でまとめながら縛ろうとしたのを「ちょっと待って」と麗香が止めた。

「あたしが結ぶから」


 ゴムを渡すと麗香はそれを慣れた手つきで腕に通し、ジャージのポケットからもう一本のゴムを取り出した。

そして器用に髪を分けて結んでいく。


 「出来た出来た!」

嬉しそうな声が聞こえて鏡を見ると、そこには見慣れないツインテール姿の私が映っていた。

「鬼可愛い」

麗香は満面の笑みで私の肩を掴み、鏡を見つめた。

それから首筋に軽く唇を当てられる。


 咄嗟に麗香の方を見てから後ろのメンバーを確認する。

誰一人とこちらを見ているメンバーは居なかった。

居なかったけれど。


 「......麗香」

「何?」

「人が居るところは、嫌」

「大丈夫だよ。だって女同士だもん。友達ならキスぐらいするよ」

意地悪、と心の中で呟く。

何も言い返せないのは、返事をしていない私のせいだけれど。


 「皆、行ける?そろそろ裏移動するよ」

幸の呼びかけに、「はーい」と明るい声で麗香が応える。


 こうやって。

すぐ表情を変えるところも、ずるいと思った。


*

 リハーサルが終わって。

控室に戻ると幸は「三時間後だからね」と呼びかけた。

メイクも着替えも終わらせてしまうと、三時間というのはかなり長い時間に感じられる。

メンバーも同じことを思っていたようで、一時間も経てば全員がスマホを触りながら時間を潰していた。


 沈黙の続く室内で、唐突に麗香のスマホから声が聞こえた。

全員が麗香の方を向くと、彼女は慌てて「あ、ごめん。音オフってなかった」と言って音量を下げるボタンを連打する。


 どうも流れ出た声に聞き覚えがあって、彼女のスマホの画面を覗くと。

『TOONS麻生佳世乃の愛嬌まとめ』と題された動画が流れていた。


 麗香を咎めるように見つめて「何見てるの」と言うと、彼女はバツが悪そうに「だってこの動画可愛いんだもん」と呟いた。

「......一緒に見る?」


 「絶対に嫌。恥ずかしいからやめて」

「残念。じゃあ音無しで見るから気にしないでね」

「止めてよ!!私が嫌なの!」

「隣に実物が居るからそっちを見ろってこと?」

言葉も出ない。

「......もういい」


 幸と心晴の吹き出す声が聞こえて後ろを振り向く。

「ああ、ごめん。良いよ続けてて」

幸が手を振って言った。

頬を膨らませて幸を見つめると「いじけないのー。もうちょっと優しくしてあげなー」と心晴が私の頬を摘んだ。


 「やめてよ。メイク落ちちゃう」

「だって佳世乃って触りたくなる顔してるんだもん」

「心晴ちゃん」

はいはい、と手を離す心晴。


 顔を戻してもまだ麗香はスマホを触っていた。

「あんまりスマホばっかり見てると目悪くなるよ」

「......うん」

「何見てるの?」

「......ううん」

適当な返事に苛立ちを覚えて彼女の顔を覗き込む。


 麗香は珍しく険しい顔をしていて、寄せられた眉が彼女が上機嫌ではないことを物語っていた。

「......どうしたの?」

返事すら返ってこない。

ただ画面を見つめて、顔を歪める麗香。


 「あたし、ちょっと裏行ってくる」

唐突にそう言ったかと思えば、数秒後には私を突き放すかのようなドアの閉まる音が響いていた。


 麗香を追いやったドアをただ見つめる。


 「......え?」

ドアの音で仮眠を取っていた胡桃が目を覚ました。

「あれ?麗香ちゃんは?」


 「......裏行ったよ」

心晴もよく状況を飲み込めていないような様子で答える。

「大丈夫かな?なんか変だったけど」と幸。


 おかしい。

麗香が私のことを無視して、勝手にどこかに行くなんておかしい。

今までになかった話だ。あり得ない。


 「......あたしも裏行ってこようかな」

ふと口にすれば、

「やめときなよ。衣装のままあんまりうろつかない方が良いし、麗香もなんか真剣そうだったじゃん」

と当たり前ながら幸に止められた。


 「......じゃあトイレ行ってくる」

「じゃあ、って」

呆れたような心晴の声を無視して控室から出る。


 私も麗香と同じくらいにおかしかった。

なんだか唐突に見放されたような気分だった。

冷静に考えてみればかなり自分勝手な話だけれど。


 ただ足に身体が引っ張られるようにして歩いた。


 ステージ裏で知り合いのスタッフを見つけ、思わず声を掛けていた。

「あ、すみません。あの......麗香って見ましたか?」

「麗香さんですか?さっきお兄さんがいらっしゃったからってマネージャーさんがメールしてましたけど......聞いてませんか?」


 ___お兄さん?


 「......本気ですか?」

「え?はい。麗香さんもさっきこちらにいらしてたんですけどね、駐車場近くに移動しちゃったと思いますよ」


 まずい。

 

 「何でですか......?」

「何でって......もしかして、あんまり兄妹仲がよろしくないんですか?お兄さんは好意的で良い人そうでしたけど。もしそうだったらまずいなぁ、本人確認だけしてマネージャーさんに通しちゃいましたよ」


 耳鳴りがうるさい。


 ふと病院の匂いを思い出す。

薬品と、老人と、血の匂いを。


 ふと血の色を思い出す。

真っ白だった制服のブラウスを真っ赤に染め上げた血の色を。


*


 目を覚ます。


 時計の針は夜の六時を指していた。

私の家の時計でもないのにその時計には見慣れている。

先輩の部屋に置かれている、無機質な時計。


 もう隣に先輩は居なかった。

少し前まで先輩が居たはずのベッドを指でなぞっても、温もりすら感じない。

こんな時はいつもどうしようもないほどに切なくなる。


 生々しく脱ぎ捨てられた下着と制服を拾って身に着ける。

姿見に目をやると、私はひどい顔をしていた。


 人と付き合っている女子高校生とは思えないほどにひどい顔で、とても幸せな女性の顔には見えなかった。


 私の身体は先輩で満たされていたのにどうしてこんなに疲れるのだろう。

本当はその答えも分かっているけれど、私は誰の前でもないのに分からない振りをする。

私も馬鹿になっちゃったな、なんて馬鹿らしいことを思う。


 疲れた身体を引きずって階段を降りる。

今日の先輩は私を見送ってくれるだろうか、なんて考えながら。


 しかし、眠っていた身体は唐突に麗香の声で現実に引き戻された。


 「お兄ちゃん」


 ___ああ。

また麗香か。


 恋人の妹に嫉妬するなんて、こんな馬鹿らしいことがあるだろうか。

彼女のように愛されたい。独占されたい。


 この願いほどに惨めなものはない。


 「あのな、麗香」

優しい声がする。

幼い子供に語りかけるような声を聞いて、先輩の中の麗香は何歳で止まっているのだろう、とふと思う。


 階段を降りきってもキッチンで話す二人が私に気づくことはなかった。 


「俺は麗香の為に大学に行かなかったんだ。お義父さんとお義母さんじゃ麗香のメンタルケアは出来ないだろ、だから上京して一人暮らしなんて馬鹿な真似もしなかった。全てお前の為なんだよ、分かるだろ?」

「分かるよ。分かるけど、あたしが大学行くのは自由じゃん」

「......裏切るのか?」

「違うよ。お兄ちゃん、落ち着いて聞いてよ」


 彼女が家にいる時でも彼は妹と話をしなければ気が済まないらしかった。

しかも頭が痛くなるような大学の話。

先輩が麗香の為に何をしたとか、聞きたくなかった。


 麗香の為に生きているような話し方をする彼を見たくもなかった。


 「あたしは卒業したら一人暮らししたいの」

「......俺は?俺はお前の為にそれを諦めたのに、お前は裏切るのか?」

「......お前お前って」

呆れたような、恨みが込められたような声が響く。


 「お兄ちゃんが勝手にやったことでしょ。あたしは頼んでない」


 その瞬間に、変なことが起きた。


 キッチンに二人が居たせいで何が起きたかはよく分からなかった。

けれど急に麗香が目を見開いて、しゃがみ込んだんだ。


 何かがおかしい、そう思い私の立場を忘れて麗香に駆け寄っていた。


 「......あれ、佳世乃ちゃん?まだ寝てるかと思ったよ」


 最早先輩の声は聞こえなかった。


 血管の浮いた先輩の手で握りしめられた包丁と、お腹を抑えてしゃがみ込んでいる麗香。床に敷かれたカーペットに滲んだ血。


 その光景は一生忘れない。


 ___私の恋人が手錠を掛けられる姿も、私の親友が救急車に搬送されるその姿も。


*


 ___ああ。

行かなきゃ。




 他でもない、この私が。




 麗香を守らなきゃいけない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る