第25話 隠れた敵

 ゼンとポチは渦王のことばにびっくりしました。

 ナイトメアとは悪夢の怪物です。

 風の犬の戦いのとき、黒い大きな馬や、馬に乗った人のような姿で現れて、彼らを悪夢の中に連れ去り、そのまま夢の迷宮に閉じこめようとしたのです。


 フルートは渦王から目をそらしました。何も答えません。

「自分でも気づいておったのか」

 と渦王に言われると、顔をそむけたまま低い声で言いました。

「体が悪夢の中に連れ去られることはなかったけど……感じが、ナイトメアの見せる悪夢とそっくりだったから……」

 唇が震えました。顔色は真っ青です。


「まさか! だって、俺たちはみんなナイトメアの悪夢を振り切ってきたんだぞ! なんで今さらまたナイトメアが襲ってくるんだよ!」

 とゼンが言ったので、渦王は振り返りました。

「おまえたちもナイトメアに出会っているのか?」

「ああ。俺もポチもポポロも。でも、みんなヤツには負けなかったぜ」


「では、おまえたちも気をつけることだ」

 と渦王は重い声になりました。

「一度ナイトメアに取り憑かれたことがあるものは、その後も奴につけ込まれやすくなる。生きている限り、夢を消し去ることはできない。そして、夢である以上、他人にその悪夢を破ることもできない。油断すれば、すぐに悪夢に取り込まれて、この世界に戻ってこられなくなるぞ」


 ゼンとポチは目を見張り、思わず顔を見合わせました。

 ナイトメアの悪夢は巧妙で残酷です。

 それを思い出して、ふたりはなんとなく背筋が寒くなりました。


 フルートがうつむきながら言いました。

「わかっていても振り払えないんです……。どうしても撃退できない。あれが、ぼくの一番怖がっていることだから……」

 また唇が震えてことばが途切れましたが、フルートは懸命にこらえると、また話し続けました。

「あんまりそれが怖いから、ゼンやポチを置いて、ぼくだけで戦おうかと思いました。ぼくだけならば――ぼくの命だけのことならば、ぼくは全然怖くないから。でも……やっぱり、それもできませんでした。ゼンやポチと離れたくないんです。絶対に危険に巻き込んでしまうのはわかっているんだけど、でも、それでも一緒にいたいから……」


 ポチがワン! と吠えました。

 ゼンも、ぐいと顎を突き出します。

「おい、あんまり当たり前のことを言うなって! 俺たちが離ればなれになってどうする? それこそ、どんな敵も倒せないじゃないか。心配するな、俺たちはそうそう簡単にやられやしないさ!」


 けれども、フルートはまだ青い顔のままでした。

 とまどうように視線をさまよわせ、迷いに迷ってから、また話し出しました。

「でも、ポポロはそうじゃないんだよ……。確かに、ポポロの魔法はものすごく強力だ。だけど、一日に一度しか使えない。それを使い切ってしまったら、彼女はもう普通の女の子なんだ。ぼくたちが戦うような敵には、とても対抗できないんだよ……」


 ゼンとポチは何も言えなくなって、フルートを見つめてしまいました。

 フルートはうつむいたまま、今にも泣き出しそうな顔で唇をかんでいました――。


「なるほどな」

 と渦王は低く言いました。

「敵は確かに巧妙だ。金の石の勇者と仲間たちを引き離そうとして、ナイトメアを送り込んできたのだ。フルートよ、おまえがそう思ってしまうこと自体、すでに敵の思惑にはまっているのだぞ」

 けれども、フルートは首を横に振り続けました。

 どんなに真相がわかっても、それが敵の計略だとわかっていても、やっぱりポポロを呼ぶことはできませんでした。

 脳裏に、赤い血の雨と冷たくなっていく少女の幻が繰り返し浮かんでは消えていきます……。


 渦王はそんなフルートを見つめてから、ふいに声の調子を変えました。

「城で作戦会議を開く。青海せいかいの広間だ。先に行っておるぞ」

 青い衣をはためかせながら、足早にコロシアムから去っていきます。

 後には少年たちだけが残りました。


 まだうつむいたままのフルートに、ポチが、そっと言いました。

「ワン。フルートはずっと戦っていたんですね、ナイトメアと……」

 ゼンも、もう何も言えなくなっていました。

 ナイトメアの恐ろしさはゼンも充分知っています。フルートと同じ目に遭わされたら、自分だって同じようになってしまうかもしれないのです。


 すると、フルートが足下の座席に座り込みました。

「もうひとつ……ものすごく気になっていることがあるんだよ……」

「ワン、気になっていること?」

「うん……ぼくが見る悪夢が、決まって魔王の復活になることさ……。闇の敵なら、闇の卵とかメデューサとか、他にも恐ろしい奴らとずいぶん戦ったのに、悪夢ではいつだって魔王しか出てこないんだよ」

「ワン。魔王が一番手強い敵だったからじゃないですか?」

「それは、そうかもしれない……。でも、考えてみてよ。強力な魔力を持つはずの海王があっさりさらわれた。東の大海の生き物すべてが大きな呪いに包まれて、たくさんの生き物たちが凶悪な怪物に変えられた。しかも、ぼくたちを海上で襲った嵐は、海の王たちにしか起こせないような強力なものだった。まるで、海王の力そのものを奪って、それを使っているみたいに。……なにか感じないかい?」


 ゼンとポチは、思わず目をぱちくりさせました。

「ワン。魔王のやり口にそっくりです!」

「だが、あいつは消滅したぞ! 天空の国で! 俺たちはそれを見たじゃないか!」

「消滅していく様子を見届けたわけじゃないよ。ドラゴンのエレボスと一緒に空を落ちていって、見えなくなったんだ。落ちていった下には、何があったんだろう? 果てしなく見えたあの青空の、その下には?」


 フルートは顔を上げて、仲間たちをじっと見ました。

 ゼンとポチにも、ようやくフルートが考えていたことがわかります。

「海か……! あいつ、消滅したようなふりをして、海に隠れて機会を狙っていたんだな!」

「ワン。じゃ、得体の知れない黒い水蛇っていうのは……」

「きっと、エレボスだ。魔王がドラゴンから水蛇に姿を変えさせたんだよ。ヤツは海のどこかに隠れを持っていて、そこで海王の力を奪って、この海を自分のものにしようとしているんだ」


「なるほど。で、海の次には地上の世界を征服しようってわけだな」

 とゼンは唸って、腕組みをしました。

 フルートは話し続けました。

「ぼくらが出発すると、きっと魔王が仕掛けてくると思う。奴の狙いは、東と西の二つの海のものたちをぶつからせて、全面戦争に突入させることだ。ぼくたちを海王の城へ行かせないようにするだろう。しかも、奴はぼくたちに恨みを抱いている……」


 ふっと、フルートは微笑を浮かべました。

 淋しそうな、弱々しい笑顔でした。

「奴が襲ってきたときに真っ先に狙われるのは、ぼくじゃなくて君たちだ。ナイトメアのせいで、ぼくの弱点が君たちなのは知られちゃってる。奴は絶対に一番弱いところを突いてくるんだ。君たちが危なくなるのは、本当に間違いがないんだけれど……」

 一瞬、フルートは口ごもり、仲間たちを見つめながら、思い切ったように言いました。

「ぼくと一緒に来てくれるかい? ぼくには、君たちが必要なんだよ」


 沈黙になりました。

 仲間たちは何も言いません。

 ただ、ポチが伸び上がって、懸命にフルートの顔をなめ始めました。そうすることで、自分の気持ちを伝えようとしているようでした。


 フルートが心配そうにゼンの顔を見ると、いきなりまたゼンに頭を殴られました。

「だから、何を当たり前なこと言ってるんだ、って言ってるだろうが! わかり切ってることを聞くんじゃねえ! それにな、おまえはものすごく大事なことを忘れてるんだぞ!」

 ゼンはフルートに指を突きつけました。

「魔王を倒すのは金の石の勇者の役目だ。もしも、おまえに魔王が倒せなかったら、他の誰にもヤツを倒すことはできない。魔王が世界を支配したら、俺たちはどうなる? たとえおまえが俺たちを巻き込まなくても、結局、俺たちは魔王に殺されることになるんだぞ。へっ、そんなのはまっぴらごめんだ。俺は、自分の命を守るためにも、絶対に魔王と戦うぞ。おまえと一緒に戦って、今度こそヤツの息の根を止めてやる!」


「ワンワン! ぼくだって一緒に戦いますよ! ぼくだって、金の石の勇者の仲間だ!」

 とポチも吠えて言います。


 フルートは泣き笑いの顔になりました。また、ひしと仲間たちを抱きしめます。

 ゼンが照れたように苦笑いしました。

「おまえなぁ、たいがいにしろよ。泣き虫はポポロ一人で充分だ」


 海から吹く風が森を揺らし続けていました。島の気温はぐんぐん上がっています。

「さぁて、そろそろ城に入らなくちゃいけないな。作戦会議が始まるぞ」

 とゼンが言って、コロシアムの後ろに建つ王の居城を見ました。緑の植物に半ばおおわれた、二階建ての建物です。

「だが、その前に腹ごしらえしないとな。朝飯がまだなんだから。会議に出る前に台所に立ち寄って、何か食わせてもらおうぜ。まずは――」


「まずは食え、だね」

 とフルートがゼンの十八番おはこのセリフを奪って、悪戯いたずらっぽく笑って見せました。

「そうしよう。ぼくももう、お腹がぺこぺこだよ」

「お、おう……」

 フルートが食事なんかいいから早く会議に行こう、と言い出すような気がしていたゼンとポチは、なんとなく面食らってしまいました。

 すると、フルートはすまして続けました。

「敵と戦う前に腹ぺこでぶっ倒れたんじゃ、笑い話にもならないよ――そうだろう?」

 そして、また悪戯いたずらっぽく、くすくすと笑います。

 その顔がようやく以前の元気を取り戻してきていました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る