勇者フルート物語3・謎の海の戦い

朝倉玲

プロローグ 死闘

 激しい犬の声が耳をつんざきました。

「ワンワンワンワン! フルート、ゼン、上です!」

 ポチが空に向かって吠えたてていました。

 フルートとゼンは、はっと頭上をふり仰ぎました。


 とたんに、空をおおいつくす黒い影が目に飛びこんできました。

 夜のように真っ黒なドラゴンが、翼を打ち合わせながら少年たちを見下ろしています。

 その長い首は根元まで裂けて、何百もの牙がずらりと並ぶ口になっています――。


 フルートは思わず自分の目を疑いました。

「そんな……まさか」

「エレボスだ! 生きてやがったのかよ!?」

 とゼンも叫びます。

 空に浮かぶ天空の国で彼らが倒した闇のドラゴンでした。世界を支配しようとしていた魔王と一緒に、空の彼方で消滅していったはずです。


「くそっ」

 ゼンが素早く自分の弓矢を構えました。

 狙ったものは絶対に外さず、いくら撃っても矢がつきることのないエルフの弓矢です。ゼンはドワーフですが、白い石の丘のエルフからもらった魔法の武器を得意としています。

 けれども、ドラゴンが大きく羽ばたくと、どっと強い風が巻き起こってゼンの矢を押し返しました。

 向きを変えた矢が射手めがけて戻ってきます。

「危ない!」

 フルートはとっさに自分の盾を構えて前に飛び出しました。堅い音をたてて、矢が跳ね返されます。


「ちっ、やっぱりこいつに弓矢はダメか」

 ゼンは素早く弓を背に戻すと、今度は腰からショートソードを抜きました。

 フルートも自分の背中から剣を抜きました。炎のつるぎと呼ばれる魔剣で、切ったものを焼きつくし、切っ先からは炎の弾を撃ち出すことができます。

「ワンワン! ぼくに乗ってください!」

 とポチが幻のような大犬になって飛んできました。

 人のことばを話せるこの子犬は、風の犬という魔法の生き物に変身することができるのです。

 半ば透きとおった白い姿は蛇のように長く空に伸びていて、後ろ半分が途中から見えなくなっています。


「俺が行く!」

 とゼンが幽霊犬のようなポチの背中に飛び乗りました。

 フルートが止める間もなく空に舞い上がると、まっしぐらに黒いドラゴンへ飛んでいきます。

「ゼン! ポチ!」

 後に残されたフルートは空に向かって叫びました。

 何故だかとてつもなく嫌な予感がしてきて、胸が苦しくなります――。


 すると、すぐ後ろから、せっぱつまった声が上がりました。

「だめよ、行っちゃだめ! 危険よ!」

 宝石のような緑の瞳に赤いおさげ髪の少女が、真剣な顔で空のふたりを見上げていました。星の輝きをちりばめた黒い長衣を着ています。

「ポポロ……?」

 フルートは一瞬わけがわからなくなって、少女を見つめました。

 どうして、ということばが頭の中をよぎっていきます。彼女がここにいることが、何故だかひどく不思議に思えたのです。


 けれど、それがはっきりした疑問にならないうちに、少女がまた悲鳴を上げました。

「ふたりとも、危ない!」

 空を飛ぶゼンとポチにドラゴンが襲いかかっていました。

 小魚をひとのみにするワニのように、ドワーフの少年と風の犬を巨大な口で飲み込もうとします。

 フルートは、とっさに炎の剣を振って炎の弾を撃ち出しました。

 が、ドラゴンは空のはるか高みです。炎は敵に届く前に燃えつきて、空中で消えていってしまいました。


 すると、ポポロが右手を空に突き出しました。指先をドラゴンに向けて呪文を唱え始めます。

「ローデローデリナミカローデ……」

 雷を呼ぶ呪文です。ポポロは、一日に一度だけですが、とてつもなく強力な魔法を使うことができるのです。

 華奢きゃしゃな白い指先に星のような淡い光が集まり、緑色に輝き始めます。


 フルートは息を詰めてそれを見守りました。かたわらにいても、ぴりぴりと肌にかすかな痛みが走ります。空気が帯電してきているのです。

 魔法使いの少女は、指先に集まった魔力を闇のドラゴンめがけて放ちました。

 光の球が散って消え、青空は一瞬のうちに黒雲におおわれます。

 次の瞬間、雲から太い光の柱が降ってきて、轟音ごうおんと共にドラゴンを打ちのめします。


 ところが、ドラゴンの体がいきなり黒い光に包まれ、稲妻が見えない力にねじ曲げられました。

 光が地面を直撃して土煙が上がり、枯れた草が燃え上がります。

 ドラゴンはかすり傷ひとつ負っていません。


 驚くフルートたちの耳に、高らかな笑い声が聞こえてきました。

「無駄だ! わしをそんなもので倒せるとでも思っていたのか!」

 黒ずくめの人物がドラゴンの背中に立ち上がりました。

 巨大な怪物の上でも存在感のある、大きな男です。黒一色の服に黒いマントをはおり、頭には二本のねじれた長い角を生やしています。

 フルートの背中を、ぞぉっと冷たいものが駆け抜けていきました。

 やっぱり、と心の中でつぶやきます。

 半年前、天空の国で倒したはずの魔王が、黒いドラゴンと共に復活して、空からフルートたちを見下ろしていました。


「やっぱりおまえか! また世界を狙ってやがるな!?」

 とゼンが空飛ぶポチの背中からどなりました。彼だけは魔王を見ても恐れる様子がありません。

 魔王がまた笑い声をたてました。

「わしは不死身だ。あれしきのことでわしがやられるものか。今度こそ、きさまらの息の根をとめてくれるぞ、チビの勇者ども!」

「へっ、やれるもんならやってみやがれ!」

 ゼンは言い返して剣を構えました。

 ポチが真っ正面から魔王に飛びかかっていきます。


 闇のドラゴンが巨大な口を開けたので、フルートとポポロは思わず叫びました。

「危ないっ!!」

 とたんにポチが大きく身をかわしました。

 ドラゴンの横をかすめながら、背中の魔王に攻撃をしかけようとします。

 すると、ドラゴンの裂けた首がぐにゃりと曲がって、ポチの後を追ってきました。勢いよく閉じた口が、ポチの体の後ろ半分とゼンをかみ裂きます。


「うわーっ!」

「キャーン……」

 赤い血と青い霧のような血を噴き出しながら、ゼンとポチは空から落ちていきました。

「ゼン! ポチ!」

 地上にたたきつけられた仲間にフルートは駆けつけました。

 ふたりはひどい傷を負っていました。ポチは風の犬から元の姿に戻っています。乾いた土に、ふたりの血がどんどん吸いこまれていきます。


 フルートは急いで首から鎖を外しました。

 あらゆる怪我や病気を治す魔法の金の石のペンダントです。

 輝く石を二人に押し当てると、みるみるうちに血が止まり、傷口がふさがって跡形もなく消えていきました。

「良かった……!」

 また目を開けたゼンとポチを、フルートがほっとして抱きしめたときです。

 背後からいきなり悲鳴が上がりました。

 今度は少女の声です。


 少年たちが驚いて振り返ると、荒野に立つポポロめがけて、黒いドラゴンが急降下していました。

 背中の魔王が黒い大剣を振り上げています。

「ポポロ!!」

 フルートは跳ね起きて駆け出しました。立ちすくんでいる少女に飛びついて、自分の体でかばおうとします。

 が、それより一瞬早く、魔王の剣が少女の上に振り下ろされました。

 少女の衣が肩から斜めに切り裂かれ、真っ赤な血が噴き出します。


 フルートは倒れていく少女の体を抱きとめました。

 二人の上に、飛び散った血が雨のように降りかかってきます。

 大あわてで金の石を押し当てようとしたフルートは、はっと、その手を止めました。

 ポポロは息をしていませんでした。

 血にまみれた胸に耳を押し当てても、心臓の音も聞こえてきません。


「ポポロ! ポポロ!」

 フルートは必死で呼び、何度も魔法の石を押し当てました。

 けれども、少女はぐったりと目を閉じたまま息を吹き返しませんでした。その顔がみるみる血の気を失っていきます。

 フルートは少女を抱きしめました。手の中で少女の体がどんどん冷たくなっていきます。

「ポポロ! ポポロ! ポポロ――!!」

 呼んで呼んで、涙を流しながら呼び続け……



 ……フルートはようやく目を覚ましました。


 そこは自分のベッドの上でした。

 東に面した窓の隙間から、朝の光が差し込んでいます。

 魔王もドラゴンも仲間たちも部屋にはいません。ただフルートだけがいつものようにベッドに寝ています。


 フルートは布団の中で深いため息をつきました。

 夢だったのです。

 けれども、悪夢があまりに生々しかったので、夢で良かったという気持ちさえ、すぐにはわいてきませんでした。全身が冷や汗でびっしょりぬれていました。


 フルートはベッドに横になったまま、部屋の壁を見ました。

 すらりとした銀の剣と大きな黒い剣が、何事もなかったように鈍く光っています。

 フルートのロングソードと炎のつるぎです。

 フルートはまた大きなため息をつくと、布団の中で目を閉じました。


 そこへ、外からポチの声が聞こえてきました。

「ワンワンワン! フルート、フルート! 来てください!」

 フルートはぎょっと跳ね起きました。

 夢が正夢になったような気がして、思わず息が詰まりそうになります。

 ベッドから飛び下りると、はだしのまま窓に駆け寄り、勢いよく窓を押し開けます。


 とたんに、白い輝きが目を刺しました。

 窓の外は一面の銀世界でした。 荒野に降り積もった雪に、朝日が反射してきらめいています。

 雪の中でポチが元気に吠えていました。

「ワンワン! フルート、雪ですよ! やっと雪が積もりましたよ!」

 そう言ってポチは嬉しそうに飛び跳ねました。

 小さな体が雪の中にもぐりこみ、雪を蹴散らしてまた上に出てきます。

「フルート、早く早く! 冷たくてすごく気持ちいいですよ!」


 人間のことばをしゃべれても、ポチは犬です。大好きな雪が降ってきたのが嬉しくて、ずっとフルートを呼んでいたのでした。

 それが眠っているフルートの耳に届いて、あんな悪夢を形作ってしまったのに違いありません。

 フルートは肩の力を抜いて、ようやく笑顔になりました。

「待ってて。すぐ行くから」

 と答えると、大急ぎで服に着替え、手袋と外套がいとうを抱えて部屋を飛び出していきました。

 子ども部屋には誰もいなくなりました。二本の剣だけが、壁の上で静かに光り続けています。 


 すると、机の引き出しの隙間から、ふいに光がもれました。

 一筋の澄んだ金の光です。

 光は音もなく立ち上って天井を照らすと、淡いきらめきを放ちながら、薄れて消えていきました――。

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