第19話『迷宮』
手元のぐったりとした四足獣の精霊を撫でながら、いずみは小走りで公園へと向っていた。周囲を三匹の管狐が警戒しつつ、人ごみを縫う様に。
少し焦る。
何か大事に発展している予感がいずみにはあった。
やはり、夕べのりこさんが遭遇したという怪異が絡んでの事なのだろうか? 夕方には帰ってしまういずみには、深夜帯の怪しい動きというものは、知らされていたもののどこか遠い、自分にはあまり関係の無い事の様に想えていて……
「お待たせしました~」
とっとっと、呼び出された公園に脚を踏み入ると、ベンチに浅く腰をかけ、脚を投げ出す様に座るボビーを見つけ、駆け寄った。
「わあ~」
「ありがとネ。イズミール」
「凄い、ですね……」
ひらひらと大きな手を振るボビーに、手の中の精霊を渡すと、彼の周囲に集まってる無数の精霊に目を丸くする。日本では見慣れない、生き物の精霊ばかり。それらは彼の足元や肩、頭の上に留まり、鳥は羽を休め、四つ足の獣たちは身を寄せ合いまどろんでいる。
自分は代々引き継がれた三体の管狐だけ。その数十倍の精霊をまとわせるボビーは、正にいずみの上位互換に想えた。
両腕で抱えてたその子が、彼の大きな掌にすっぽりと収まってしまい、小柄ないずみは、ボビーを巨人の様だと改めて感じていた。
「大丈夫カイ?」
「キュ、キュー……」
優しく撫でられ、うっとりと目を細める様を眺め、いずみもホッと胸を撫でおろす。もう大丈夫と……
「一体、何が起きているんですか?」
「敵ネ」
ボビーのぶ厚い唇が、そう短く告げた。
「敵?」
「ミーとカガミはそれぞれに目を放ったヨ」
誰かが何かをしようとしている。下級の妖魔が無差別に人を襲っているそれとは違う、何か目的があって動いているかの慎重さ。高度な術を使役する敵の存在。それを察知する為の結界を敷くべく動いた途端、敵の攻撃を受けた。が、規模は小さい。ある意味、出鼻を挫かれた感じだ。
「興味深いネ」
「どうしてですか?」
「今までこそこそ動いてタのが、急な反応ネ。トリックと同じかもネ。右手に注目、左手でナニするかテ」
果たして、今見える動きが虚なのか実なのか。
「そう言えば、鏡さんは?」
「う~ん、連絡が着かないの~ネ」
そう告げ、ボビーは精霊を己の内へと。それからスマフォを取り出し、履歴を見せた。
「え~。大丈夫でしょうか?」
「ハッハッハ! まア、カガミが出ないハいつもの事ネ」
襲われた精霊はごく数匹。それも、駅前の大通りに近い地点。ボビーはわざとそこに注目が集まる様にしているのでは無いかと言っている。
という事は、敵はこちらを既に意識している?
周囲を見渡すと、公演はぽっかり空いた穴の様。周囲の建物が迫って来る様な違和感がいずみを襲う。植込みの木々の茂みも、敵が潜む影の様に思え。
「寒いカイ?」
そっと鳥肌が立つ腕をさするいずみ。小さく首を左右に振る。
「いいえ。それより、みんなは大丈夫でしょうか?」
「まぁ、カガミは殺してモ死なないネ」
そんな冗談混じりにボビーのウィンク。いずみは、苦笑を浮かべると共に、胸の内に別れた紀子の先行きを案じていた。
◇
「で? 何か言いたい事は?」
「あのね! 魔法少女は本当に居たんだよ!!」
「はぁっ!!?」
陽炎の様にあやふやな世界に取り込まれた鏡と紀子の二人は、背後がゆっくりと闇一色に引き込まれていく。そんなさ中、鏡の頭はやはり別次元に存在しているらしい。
「本当だって!!」
「あ~、はいはい。で、その魔法少女とやらはどこに?」
「う~ん……それなんだけどねぇ~、あれは確かに……いや! もしかして……」
「ダメだこりゃ」
頭を抱えぶつぶつと言い始めてしまう鏡に、呆れた紀子も頭を悩ませた。
油断している訳では無い。何しろ、どこから敵が現れるか判ったものでは無いのだ。だらり下げた切っ先は、いつでも振り抜ける様にしていた。
風は無い。
外気とは隔絶された、閉ざされた空間なのか?
かげろうの様な、周囲の人々からは時代劇の様なイントネーションのずれた日本語が聞えて来る。いわゆるべらんめえ調という奴だろうか。町人風の威勢の良い声だ。紀子は嫌いでは無い。どちらかと言うと、かなり好きなジャンルだ。好きな俳優は三船敏郎。荒野の素浪人とか用心棒とか、一剣士として突き進む原動力がそこにある。だからか、この光景の先に何があるのか、見てみたい気もかなりあった。
「まぁ、いつまでもこうしてる訳にはいかねぇよな?」
「……」
「やれやれだぜ」
未だ自分の世界に閉じこもってしまったかの鏡に、しびれを切らした紀子は、閉ざされた背後とは反対側。つまりはかげろうの如き過去らしき世界へと一歩脚を踏み出す。
とくにこれと言った妖気は感じられない。
敵意も殺気も感じられない。
何やら変化が無いか、じっと前を見据え、そしてまた半歩。すり足で前へ出る。
「うおっ?」
すると、世界がカチリと二重に映り、ぐるり反転。まるで冗談の様に、二つの世界が上下逆さまに張り付いたかに別れた。
「な、何だぁこりゃっ!?」
「あ~、ふんふん……」
身構える紀子に、ようやく現実に引き戻されたのか、のほほ~んと鏡が歩み寄る。
「こりゃ、一種の迷宮だね。出口があるかどうか、分からないけれど」
「どうやったら出れる!?」
「出口があれば……ね」
一歩、鏡が踏み出すと、世界がまたもカチリと二重映しになり、ぐるんと直角にずれた。
「あ~、四相か……こりゃ、古典だねぇ」
「知ってんのか!?」
すいっと前に腕を伸ばす鏡。
「陰陽四相八極十六卦。良くあるじゃん? 八門遁甲とか死門遁甲の陣とか言うヤーツ」
「それ、やべえ奴じゃ!?」
ぐるん。更に世界は二重映しになり、まるで万華鏡でも覗き込んでいるかの様相を呈す。
それと同時に、数個所から強烈な妖気を感じ始める。
「んー、歴史的には、みんな死んじゃうかな? あはははは」
「笑ってねぇで、どうにかしろーっ!!」
「あはははは、無理~。お札、全部使っちったし~」
「鏡くんのMPは0よってかぁー!!?」
そして、また少し、背後の闇が広がった。
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