第13話『術師は辛いよ 鏡の嫁』


 鼻歌混じりにぴたり。鏡の手が、電柱に触れる。

 それが離れた後には、一枚の白い札が貼られていた。呪符である。


「……」


 その都度、緩やかに目線を泳がせる。まるで、何かを警戒するかの様に。

 真冬の昼日中、弱々しい陽光にいささか影が長く伸びる。

 行き交う人々の息も白く、厚着でもこもこ。その流れに溶け込み、黄色いエプロンにジャンパーを引っ掻けただけの、少し寒そうな鏡がよろよろと次の電柱へと近付く。と……


「ちょっと!」

「へ?」


 不意に呼び止められ、振り向くと、そこには仁王の様に顔を赤く染めたどっかのおばちゃんが。


「困るのよね!! こーいうの!! 条令違反でしょ!!?」


 びりっとお札を引きはがされ、くしゃくしゃ!


「あっ、それは!」

「どこの業者!!? まー、そこの店のね!!!」

「へ!? あ~、これは~」


 慌てて前を隠すが、もう遅い。ばっちり店名を見られてしまったみたいだ。


「ちょっと、こっちに来なさい!!」

「やべ!」

「こら、逃げんじゃないわよっ!!!」


 慌てて逃げ出す鏡。それを追う怒れるおばちゃん。

 鏡がひょいと細い路地に逃げ込むと。


「馬鹿め! そこは袋小路よ!! 何ぃっ!!?」


 サンダルもぱたぱたと鏡を追って飛び込むや、まるでガンダムのやられ役みたいに呆然と立ちどまった。


「どこだ!? どこに消えた!?」


 猟犬の如く鼻をひくひくさせ、おばちゃんはぎらついた瞳で、その袋小路をねめつける。人間が消える訳が無い。どこだ!? どこだどこだどこだ!!?


 ゴミのポリバケツをガっと開ける! いない……


 人の家の裏口に手を! ガチャガチャとノブを回し、ドアをダンダンと叩く! 叩く!!


「ここね!!? こらっ!! 出て来いや!! 出てこーいっ!!!」


 見る間に集まる野次馬達。次々とスマフォが掲げられ、カシャカシャとシャッター音が響くが、おばちゃんはおかまいなしだ。かくして、このちょっとした騒ぎは動画サイトやSNSを賑やかす事になった。




「おっとっと……」


 大通りの角にあるカレー屋の横に、文字通り転がり出た鏡は思わずたたらを踏んでいた。


「やれやれ、あんだよあのおばん。妖魔に襲われても知らねぇぞ」


 ぶちぶち言いながら、そのまま神田明神の方へと信号を渡るのだが、数人の通行人が鏡の出て来た店の壁を、不思議そうに凝視し、ぺたぺたと壁を触っていた。


 奇術の壁抜けでは無い。


 怪奇大作戦のキングアラジンの様に、視覚を誤魔化す様なトリックでも無い。

 鏡の術は、空間を渡る。


 故に、のりこが遭遇した事件について、鏡は空間の異常について報告をしている。

 知能の低い妖魔ならば、雑に歪みを残すのですぐに判る。そして、今回の痕跡は綺麗なものであった。

 まるで、凄腕の術者がそこに一時、間口を開けていたかの様な。となると、敵はかなり上級の妖魔か、それ相応の術者と言う事になる。東京の霊的安寧を守る神田明神のすぐ傍で、この数か月の間、怪しい蠢動を匂わせていたのだ。ただ者の仕業であろう筈が無い。


 故に鏡は、のりこやいずみを外させた。


 未熟な、人と殺し合いをする覚悟も無い様な若者を、危険な最前線に配備する訳にはいかない。それは栗林やボビーとも示し合わせた事だった。


「たく……やれやれだぜ……」


 信号を渡り終わった鏡は、ぼやきながら懐から紙の束を取り出す。白地に朱と黒い炭で探知の術を施した呪符である。先ほど、例のおばちゃんにはがされた奴だ。


「参ったな……もっと楽な筈だったんだが……」


 そう呟きながら、物陰に身を隠す。そして、紙の束をもう一つ取り出した。左右の手に、呪符の束と、白い紙の束。


「むん! むむむむ……」


 鏡が眉間に皺を寄せ、キッと凝視すると、無地の白い紙の束がむくむくと蠢き出し、見る間に白い小鳥と化す。式だ。鏡は式を打つ。小鳥は羽ばたきながら、呪符を一枚ついばむと、次々と空に舞っていく。

 果たして何羽の式を打ったのだろう。やがて、がっくりと脱力した鏡は、その場に腰かけた。


「ったく、余計な力を使わせやがって……」


 後は式神任せである。当初は、枚数が多い事から一枚一枚手で貼って回る予定だったが、あんなおばちゃんに目を点けられたら最後だ。


「こりゃあ、直帰だな。やばくて店にも近付けねえぞ」


 すっかりへたり込んだ鏡は、徐に腰のポケットから財布を取り出し、数枚の万札を指でどかし、一枚の紙片を取り出し、それをにんまりと見つめた。


「ぐふ……ぐふふふ……」


 それは昨日手に入れた、鏡にとっては特別なもの。

 今度発売されるプレミア付き限定フィギュアの予約チケットだった。鏡は、昨日最後の有給を使い、これを手に入れる事が出来た為、祝杯をあげて深酒をし寝坊したのだ。


「俺の嫁……ちゅっ」


 先頬までの真剣な表情はどこに消えたか。すっかりだらしなく緩んだ顔で、その紙片に唇を押し当てる2.5次元人だった。





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