第8話『魔都市あきばはら』
薄もやがかった乳白色の空から、わずかばかりの陽光が降り注ぎ、この秋葉原という街を白く浮かび上がらせていた。
そこは表通りから、一本内へと入った四つ辻の交差点。
血の様に紅いレンガ風のビルが、ショーウィンドウにそこならではの美しくも可憐な造型物をはべらせるその前に、のりこといずみの二人は、それぞれにそれぞれの趣味の防寒着を上に羽織り、ある意味羞恥プレイ的な黄色いそれを隠して立っていた。
雑多な人が行き交う路上。
メディアやPCアクセサリー、違法な海賊版ソフト、ゲーム機用モッドチップの類、中古ジャンクPCやら様々な出店が軒を連ね、飛び交う言葉も異国の響きがかなり混じる。
何かを求める人々の欲望が渦巻き、それを満たすだけの器がそこにはあった。
ある者は、冗談混じりに口にする。
魔都市『あきばはら』と。
「出物PCパーツ、ジャンクPC、アクセサリー、シロ携帯、その他色々、お求めの方は、一度ご来店下さい! よ~ろしくお願いしま~す!」
「お願いしま~っす!」
行き交う人々の眼前に、黄色い紙に黒インクで薄く印刷された店のチラシを、満面の作り笑顔で差し出し、それを受け取る気が無いと察知するや、手首をくいっと返してまた別の人の前へと差し出す。その繰り返し。
流石に慣れた。
(人間慣れって恐ろしい……)
そう時折想いながらも、のりこはこの異様な気配渦巻く『あきばはら』にあって、何かを積極的に求めるのでは無く、ただ非日常であったものが日常と化した日々を甘受するのみ。山梨から出て来て、ほんの半年かそこらでその事を実感していた。
「どうせ、こんなんじゃ何も起きないし~」
あってもスリやかっぱらいに置き引き程度。そりゃまぁ、何年か前には大きな刃傷沙汰もあったらしいけど。そういうのは、そういうの専門の人達が居る訳で、あれからこの界隈ではもの凄く力を入れてるって話だからね。
そんなのりこの視界の隅に制服姿。
うんうん、しっかり仕事しとるね~感心感心。
「の~りこさん」
「おう!」
どうやらあっちも持って来たチラシがはけたらしい。
人混みを避けながら小走りに駆け寄って来たいずみは、少女らしい陰りの無い眼差しを真っ直ぐに向けて来る。
こちらもほんの数年前までは、と思いかけ、五人の兄貴達と壮絶なバトルを繰り広げていたあの頃に想いを馳せれば、無理無理無理無理と全否定。
育ちが違う。
生まれが違う。
あの親父にしてこの娘(私)ありだ。
きっと、ドラマにでも出て来る様な、普通の家庭で育ったんだろうなぁ~……
たちまちある種の羨望の眼差しとやらで、いずみの顔をまじまじと見つめてしまった。
「のりこさん?」
「うわわっ!?」
ずいっと踏み込まれ、我に返って大慌て。
近い!
近過ぎるよ、いずみちゃん!
どうにもこうにも、自分に無いもの。特に可愛らしいものにのりこは弱かった。自分で言うのもなんだが、小さな頃から男兄弟の中で粗雑に育った性か、実際問題この手の可愛らしい生き物に免疫が無いのだ。
正直どう接して良いのか判らない。バイトの時間内だったら、それなりに忙しいから、そんなに話をする事も無いのだが、面と向かうと思わず視線を逸らしてしまう。手の届く範囲に近付き難い。何だかちょっとした拍子に壊してしまいそうなヒヤリ感があって。こればっかりは今のところ、どうしようもない。
「大丈夫ですか? あんまり寝て無いんでしょう?」
「え? あ……そうそう! 明け方まで始末書書かされてたから、あんまり寝て無いんだよ。だからちょっとね……」
あらぬ方を向きながら、頭をボリボリ。掻いてから、どうにも女の子らしく無い仕草だと気付き、髪を撫でながら、ゆっくりと腕を下げてごまかす。どうにも恥ずかしく、頬が赤くなるのが自分でも判った。
すると、いずみはそんなのりこの事情を知ってか知らずか、ポンと両手を拝む様に合わせ、決まったとばかりに大きく頷いた。
「じゃあ、もうお店に戻って、早めにお昼休みにしてもらいましょう! 一応、それなりに配った訳ですし。ね?」
「え? ああ……でも……」
そう、言い澱んでから、また頭をボリボリ掻いてしまった。
「昨日の現場、もう一度見ておきたいんだ……」
◇
今朝、陽が昇り切る前に、現場検証した筈のその細い路地は、明るくなってから来てみると、また違った印象を受けるから不思議だ。
そこには人の生活が、確かに存在している。
狭い敷地に、ほとんど隙間無く建てられた古い家屋からは、何とも香ばしい焼き魚やら煮物やらの美味しそうな香りが漂い、光沢を帯びた黒い油汚れが飴の様に滴る換気扇の、悲鳴にも似たブンブン唸る声が、バラエティ番組の効果音らしい笑い声と合わさって、平凡な人の営みがとうとうと流れる川の如くに行過ぎていくのが判る。そして、この路地の向こう、正面の電柱に残るタイヤ痕が、確かにここであると告げている。
「へぇ~、ここなんですか~?」
くるり見渡す様に一回転したいずみは、上着のポケットから水のペットボトルを一本取り出し、ゆっくりと続くのりこを顧みた。
「そう。その筈なんだけど……」
苦々しく呟くのりこは、古びてぼろぼろのアスファルトに手を置き、昨晩の猫女がやっていた様に自分の掌を眺めた。
今朝の現場検証では、血だまりの流れらしき痕跡は、古い家屋とは反対側に建つ、ビルの壁面の手前でふっつりと消えていた。
後から聞いた話だが、周囲にルミノール反応は無かったらしい。
飛沫痕が無いという事は、ここで流された血では無いという事か?
だが、あの時感じた禍々しい気配は、間違いなくここだった。
パキッと音を発て、ボトルの封を開けると、いずみはその水をさっと一振り、周囲に蒔く。まるで舞う様な、軽やかな動きで。
そして、ボトルを地面に置くと、パンと手を叩き、祈る様に両の掌を合わせ、静かに、恭しく、それでいて凛とした声音で唱え出す。
「掛巻も畏き大己貴大神の大前に、恐み恐みも白さく~」
どうやら、目と鼻の先にある神田明神に奉られている大黒様にお伺いを立て始めたらしい。
邪魔すると色々悪いし、楚々とした仕草の美少女が真面目に祈る様は、傍で眺めていても実に絵になるものだから、ついつい口元を緩ませ思考停止。
ビルの壁に背を預け、腕を組んで寄りかかった。
流石、水天宮の巫女さんだ。門前の小僧、経を読む、じゃないけれど、八百万の神様と対話出来るってんだから、びっくりさ。
「さて、どれくらいかかるのかな?」
問題は、どれくらいでこの儀式が終わるかだ。
人目もある事だしね。
そう思って路地への入り口を、左右交互に眺めていた、その時だった。
ゾクリ。
思わず、跳ねる様に壁から離れた。
誰かに見られている、そんな気配がしたのだ。
別に通行人に、携帯で動画を撮影されたところで、この街なら何でもOKって感じで、路上パフォーマンスの一種とでも誤魔化しは利くだろうさ。
でも、問題なのは、この路地を覗き込んでる人が誰も居ないって事。
少なくとも術者の端くれを自負しているのりこにとっては、とてもただの勘違いでは済まされない。
見られている。
確かに。
「これって……」
左右上下と見渡しながら、胸の前で合わせた掌へと、足元から立ち昇る大地の気脈を、ゆっくりと下腹部にある丹田に留め、練り、それから頚椎を通して両の腕に巡らせる。
胸に呑む結晶がその助けとなり、イメージが収束し、涼やかな結晶と化す。
雑踏を行き交う人の気配。
いずみのあげる祝詞の響き。
TVから流れる笑い声。
ガタガタ唸る換気扇。
掌には水晶の小刃。
冬の冷気に乾いた唇をそっと舐め、己の内なる感覚をより確かなものへと、拡大しようとした。
「こらこら、ちょっとそれは物騒じゃな~い?」
「いいっ!?」
その言葉と共に、突如、男の腕が目の前の空間より生えると、のりこの腕を掴もうと。
とっさに反応したのりこは、体を翻して間を取ろうとしてビルの壁にドスン。衝撃でくらっと来たところを、その腕に抱きすくめられた。
と同時に、酒臭い息が顔の真横からぶは~っと。
その声だけで、全身鳥肌、相手の正体は判っていた。
「か、か、鏡ぃ~っ!!」
「よ! のりちゃん。相変わらず、すげえおっぱいしてんのな~?」
我に返ると、下からすくう様に、顔だけは良い男、鏡一郎(かがみ・いちろう)の左の掌が右の乳房を鷲掴み。ぽよんぽよんと弾ませて来る。
「ななっ!?」
かあっと頭に血が昇るより早く、残る一郎の右腕が、まるで別の生き物みたいにのりこの頭へ絡みつき、背後を取ってがっちりロック。
「てめぇっ! セクハラ魔神! アル中! 遅刻魔! 離せっ、離せっ!!」
きゅ~っと絞められ、手足をばたつかせようにも絞まる一方だって事は判っていたし、
生じさせた水晶の小刀は今のショックで胡散霧消しちゃったもんだから、も~必死になって胸を揉んで来る腕を引き離しにかかった。
「はっはっは……女の子はもっとおしとやかにしないと駄目だな~。学校で習わない?」
「言いたい事は……」
思い切って、右足を振り上げた。狙いはこいつの右ひざだ。皿の一枚でも砕いてやる!
「それだけかよっ!!」
伸び上がった脚に力の入った瞬間、パッと首のロックが開放され、勢いのりこの身体は前のめり。宙に浮く。
やばいと思った瞬間、のりこは全身の気脈を一点に集中させ、空中に踏みとどまった。力のベクトルを操作し、スっ転ぶのを防ごうと……
「おおっと」
「のわっ!?」
くいっと腕が引かれ、のりこはそのままの体制でくるっと反転。ぽむっと、あろう事が一郎の酒臭い胸へ顔面から軟着陸。
「あぱぱぱぱぱぱ!?」
肺いっぱいに広がる、多分シャワーくらい浴びて来たろう、酔っ払いのアルコール臭にくらくらっとしながら逃れようとしたが、この体制のまま、これまたがっちりハグされてしまっていた。
ぎゃーーーーーーーーーっ(心の叫び)!!!!
「良かった……」
全身全霊を以って拒否るのりこの耳元に、顔だけは良い男、一郎の言葉が。
どういう意味かと思考に割り込みが入り、抵抗する力が一瞬だけ緩んだ。
「また少し太ったかと思ったけど、やっぱり変わらないね。体重」
ぎゃーーーーーーーーーっ(心の叫び2)!!!!
「あら、鏡さん。お早う御座います」
祝詞をあげていたいずみが、鏡の出現にようやく気付き、額の汗を少しぬぐう仕草でにっこり笑顔。
「やだなぁ~、いずみーる。今はもうお昼だよ」
「あら、そうですね~うふふふ……」
ハグられじたばたするのりこを前に、いずみはいつもの事と涼しく微笑み、心の中ではいつ見ても仲が良い二人だなあ~と、ちょっぴり羨ましく思った。
魔都市『あきばはら』の住人は、田舎出の小娘には、まだまだ手強いらしい。
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