第38話 精神安定剤
どんな場所でも陽は上る。それはこの世界の覆らない常識であり、普遍の事象である。また新しい一日が始まるこの瞬間はどんな場所に居ようと心を奮い立たせてくれる。俺にはまだ為すべきことがある、成し遂げ叶えたい未来がある────ならばこの学院生活も甘んじて受け入れようじゃないか。
────龍を殺すためならば。
どれだけ疲れていようとも体は勝手に目が覚める。
二度目の学院生活は異常な変化の連続から始まった。まあ、一度目と全く違うことをしているのだから当然と言えば当然なのだけれど、やはり実際にそれが身近に起こると驚くというか、身構えてしまう。
————落ち着く……。
そんな非日常の連続の中で、ふといつもしていることするというのは思った以上に精神を落ち着かせてくれる。
「2056。2057。2058————」
入学式から翌日。時刻はまだほとんどの人間が寝静まっている早朝で、現在地は学生寮裏庭。そこで俺は日課である早朝の鍛錬をしていた。
結局、七年近く続けているこの鍛錬を今日まで辞めることはなかった。自分のことながらよくやっていると思う。一度目の人生では考えられないし、こんなに何かが長続きしたことはあっただろうか。もはや素振りは呼吸をするのと同じように当たり前と化し、昨日でさんざん疲弊した自身の精神を研ぎ澄まし落ち着かせてくれる精神安定剤と化していた。
————完全に毒されているな。
脳裏にクソジジイの腹立つ笑みが過るが、いったん無視する。今は過去に思いを馳せるのも無駄に思えて仕方がない。ただその一瞬、剣の一振り一振りに全神経を研ぎ澄ませて、没入していたい。
それほどまでに俺はこの時間にえらく充実感を覚えていた。
「はあッ!!」
「せいッ!!」
流石はクロノスタリア魔剣学院と言ったところか、未来の騎士や武人を育成する場所だけあって早朝の鍛錬と言うのは珍しくない。俺のほかにも裏庭には鍛錬に勤しむ生徒の姿が多々ある。そのどれもが洗練されており、長年研鑽されてきた一振りであることは容易に分かる。やはり魔剣学院、相当な手練れがここだけでも相当いた。
————参考になるな。
眺めているだけでも勉強になる。見たことのない流派だったり、身体の使い方、技術が間近で見られるのはここでしかできない経験であった。何よりも士気が上がる。
今まで惰性で鍛錬を続けてきたつもりはないし、クソジジイもそれを許さなかった。確かに俺は全力で鍛錬を続けてきたが、こうも年の近い者たちの鍛錬を間近で見ると刺激されて、自身の素振りにも意気が籠るというものだ。
「────ッ!!」
思わず、周囲の事を忘れて思い切り素振りをすると一気に視線が集まる。
————やべ……。
たった一振り、然れど一振りだ。辺り一帯を剣圧で震わせれば嫌でも視線が吸い寄せられてしまう。俺でも多分そうする。しかし、自覚したところで時すでに遅し。明らかにこちらの実力を読み取ろうとしてくる寮生たちの視線に晒される。
————逃げよう。
即座に撤退の判断に至り、俺はそそくさと鍛錬用の剣を鞘に納めて裏庭を後にする。まだ普段の鍛錬の半分も熟せていなかったが致し方なし。
「目立つのは勘弁だ」
それは龍を殺すことには必要じゃない。
・
・
・
汗を軽く拭いながら部屋に戻ると同室の勇者ことヴァイスはまだ熟睡していた。
「おいおい、大丈夫かよ……」
時間的にもう起きて朝食を食べていないと初日の授業には間に合わない時間だ。だというのにこの勇者殿と来たら全く起きる気配がない。熟睡を通り越して爆睡だ。軽い物音を立てても起きる気配がない。
————初日から寝坊で遅刻はさすがに可哀そうだよな。
「仕方ない。起こすか……おいブライトネス、起きろ。遅刻するぞ」
「んん……あと一時間」
「またベタな寝言を……」
声をかけてみるが逆に勇者殿は陽の光を遮るように毛布を頭から被りなおす。子供じゃあるまいし、そこはきっぱりと目を覚ましてほしかった。こちとらまだ声をかけるのに抵抗があるのだ。
────仕方ない……。
少し手荒だが毛布を剥ぎ取ってみる。すると彼は毛布に縋りつくようにしてベットから崩れ落ちながら、少し不機嫌そうに言葉を続けた。
「やめてよ母さん、まだ寝てても別に――――」
「寝てても構わんが、初日から遅刻は勘弁じゃないか?」
「こひゅ……」
そこで漸く勇者殿の目が覚めて、数舜ばかり視線を巡らせれば彼は状況を理解したのか空気の抜ける変な音を出して白目をむいた。
「ご、ごめんな――――」
「同室の好だ、気にしなくていいよ。その代わり、俺が寝過ごしそうになったら今みたいに起こしてくれ」
「よ、よろこんで……」
土下座をしようとするヴァイスを制して俺は制服に着替え始める。なんだこの人畜無害でベタな寝ぼけ方をする少年は? 本当に勇者か? 感覚が狂わされる。一度目の勇者を知るからこそ、今目の前にいる彼との差異に違和感がすごい。
「さっさと着替えて食堂に行こう。朝を抜くのは死活問題だ」
「え……い、一緒に行ってもいいの?」
「逆になんで行かないんだよ?どうせ行く場所は同じなんだ、それに一人で食べるよりは誰かと一緒の方がよくないか?」
なんだか変にトラウマを引きずっているこちらがバカみたいに思えてきた。もうこれはこれで別物だと完全に割り切って普通に接した方が楽なのでは、とさえ思えてくる。
だからこそトラウマの塊である勇者を普通に朝食へと誘うことができてしまった。まるで何の変哲もない学友のように。「俺だけ?」と尋ねるとヴァイスは首を勢いよく横に振って準備を始めた。
「そ、そんなことないよ!一緒に食べたほうがおいしい!!」
「ならよかった」
よくよく考えずとも一度目の人生では同性の友人なんてのは居なかった。なんなら男は全て敵だと思っていた節すらあるし、相当ヤバい奴だった。あの時はもっぱら彼女としかつるんでいなかったような気がする。
————この際、仲良くなって、敵対する未来を回避するのもありか。
何より、今の彼とならば友人になれるような気がした。
「じゅ、準備できたよ――――ブラッドレイくん!」
「じゃあ行くか」
「うん!!」
先ほどまでの寝ぼけ顔が嘘のように元気よく破顔する勇者殿。その表情は女と言われても普通に信じてしまうぐらいには可愛いと思えてしまう。
————だが、男だ。
一瞬でもその事実を忘れそうになった自分自身に恐怖を覚えた。慄く俺をヴァイスは不思議そうに見ていた。
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