第23話 影の残滓

 ────絶望。


 まさにその一言に尽きた。


 世界を見下す七龍が一体〈影龍〉の。その言葉の通り俺達の眼前に聳えるその影は強すぎる龍本体の魔力の名残であり、絞りカスに過ぎない。しかし、その強さは今戦った眷属とは比べ物にならないくらい圧倒的であり、残滓であっても〈影龍〉の意思はしっかりとある。そうでなければわざわざ気まぐれで人類の前に残滓であれどその姿を現すことはない。つまり、この龍には明確な目的がある。


 目的とは何か?


 それは目の前の現実を直視すれば明白である。


「お兄様!!」


「アリス!!」


 アリス────アリス・ブラッドレイ、俺の妹だ。どうして眷属を使い、自らの残滓を用いてまで〈影龍〉は彼女を欲しているのか。その理由はやはりわからない。しかし、ひとつだけ確かなことは、今から俺達は超越した存在である七龍の一体と敵対するということだ。


 それは傍から見ずとも無謀であり、不可能であり、馬鹿げた蛮行である。一夜にして大国を亡ぼせるほどの天災とたかだか人間が戦う?


 ────バカげてる。


 本来ならばそう一蹴して一目散に逃げることだろう。多分……と言うか絶対に一度目の俺ならばそうした。大切な家族を見捨て、自分一人だけ意地汚く生き残ろうとしたことだろう。けれど、相手がこれじゃあ仕方ないと思ってしまう。


 だって龍だ。世界を見下す超越種だ。そんなのと対峙したら正気でなんていられるはずがない。恐怖で気がどうにかなってもおかしくはない。家族を見捨てても仕方がない。


「クッソ……!!」


 それでも今の俺は大切な妹を見捨てる選択肢など無かった。


 すぐにアリスを助けるために立ち上がろうとするが、依然として全身が軋むように痛み、今にもバラバラに解けてしまいそうだった。歯を食いしばり、無理やり痛みを無視をする。今だけは正常なふりをして思考をバカにすれば、不思議と立ち上がり龍の残滓を見上げ睨みつけることだってできる。


「無理をするなレイ。もう、限界だろう……」


「ハッ! こんなのいつもの鍛錬に比べればなんでもないね。寧ろ老いぼれな爺さんの方が厳しいんじゃないか?」


「抜かしおる────本当に大丈夫なんだな?」


「ああ」


 並び立った爺さんと軽口をたたき合う。他の騎士たちは残滓の魔力に充てられただけで戦意を喪失し、気を失う者までいた。戦えるのは俺と爺さんのみ。それも先ほどの戦闘で決して軽くはない負傷と消耗をしている状態、到底〈影龍〉の残滓と戦える状況なんかではない。それでもやるしかなかった。


 ────そもそも万全でも勝てるか怪しい相手だ。ならこんなボロボロな状況でも大して変わらないだろうさ。


 強がりだ。虚勢を張り、己自身を誤魔化さなければ俺も他の騎士たちのようになりそうだった。それでも張り通す、ここで崩れるわけにはいかなった。そう覚悟を定めたときだった。


『この姿で人の世に限界するのは実に200年ぶりか……存外、今の世も楽しめるくらいの強者はいるものだな』


「ッ────!!?」


 咄嗟に身構える。声が聞こえた。耳朶に響くのではなく、頭の中に直接入り込んでくるような気持ちの悪い声だ。


『”血”の守護者よ。貴様らの大事な姫君はこのオレが貰い受ける。これ以上の抵抗は万死に値すると知れ』


「ふざけ────」


「止めろレイ! 答えるな!!」


 反射的に気持ちの悪い声に怒鳴り声を上げようとする。しかし、それは途中で掻き消えて、途端に急激な吐き気を催す。


「お、おぇ────!!」


 我慢ならず、腹の底から競り上がるソレを吐き出すと真っ赤な血だ。ただ声を発しようとしただけ、それだけで俺は立つことも儘ならなくなり、意識が朦朧とし始めた。


『このオレに噛みつこう等とは身の程を知らぬ小僧が……だがその気概は買おう。まあ、お前のような奴を食う気にはならんがな』


 残滓は俺を見て興味深げに唸った。そこに怒りはなく、純粋な興味と僅かばかりの嫌悪感が感じられた。


『まさか〈逆行者〉がこの時代に生じるとはな。しかもこの残滓は〈時詠〉か……またアイツは何を始めようというのか』


 まるで俺の本質を、正体を最初から看破していたかのような、見抜いていたかのような……いや、すべてを理解しているのだろう。今、目の前にいるのは世界を破滅へ至らすこともできる強者であり、世の理を初めから見てきた賢者でもあるのだ。


『ふむ……このまま野放しにしておくのはちと面倒か。些細な芽でも歪には変わりない、排除しておいて得。それに、あのいけ好かない〈時詠〉の邪魔ができるなら実に愉快だ』


 途端に龍の残滓は俺に牙を剥く。奴が使役する影の刃が俺に襲い向かってくる。避けることは不可能、攻撃は視認できても今の俺は地べたを這いつくばり一心不乱に呼吸を整えるの精一杯だ。確実に死んだ。その場にいる誰が見てもそう確信したことだろう。ただ一人を除いては────


「誰が横で大人しくしてるなんて言った。俺の大切な弟子には指一本触らせん」


 振り落ちてくる無数の影の刃を寸でのところで爺さんが全て弾き飛ばす。その動きは先ほどよりも数段キレが増しているように思えた。


『────”血”の守護者よ、オレは言ったはずだ。無駄な抵抗は万死に値すると……』


「黙れ引きこもり野郎。中身の詰まってない伽藍洞なんざ怖くもなんともない。別に七龍の残滓に遭遇するのはこれが初めてじゃあるまいし……俺はお前よりも格上の七龍の残滓を退けたことがある。その時と比べればお前なんざ怖くもなんともないな」


『なんだと?』


 安い挑発だ。けれど〈影龍〉は確かに爺さんの発言に不快感を示す。


『随分と面白いことを抜かすな、”血”の守護者よ。どうやらお前は本気で死にたいらしい』


「お前に殺されるつもりは毛頭ねぇよ。いいからさっさと俺の大事な姪っ子を返しやがれ」


『最初に言ったはずだ。”血”の姫君は貰い受けると。これは決定事項だ』


 何度かの言葉のやり取り。互いに予備動作なんてない────瞬間、衝撃波が生じる。


「うぐ────!!」


 森全体を揺るがすその元凶は一人の人間と一体の龍の残滓だ。


「そうか、やはりアリスが────それなら猶更やれないな。手下に任せてムリだったなら潔くあきらめろ」


オレは欲しいものは何が何でも手に入れる。そうでなければ気が済まん』


「そうかよ!!」


 戦闘は激化する。その場で傍観するなど愚の骨頂、凡庸な者は等しく余波だけで死ぬ。それを直感した騎士たちは一斉に逃げ出す。


「逃げるぞレイ!!」


「俺は……ここに残る」


「レイ!?」


「ゴードンさんは他の人と先に逃げて」


 辛うじて意識のあったゴードンさんが他の騎士と一緒くたに俺も抱えて逃げようとする。けれど俺はそれを拒んだ。残ったところで戦えるわけではない。戦えたところで足手まといになるだけだ。


「────クソ!死ぬんじゃねえぞ!後で絶対に拾いに来るからな!!」


 それでも俺は師匠の本気の姿を、この瞬間を見届けなければいけない気がした。


「ようやく温まってきた────!!」


 再び森全体を揺るがす衝撃が起きる。力は五分、爺さんは〈影龍〉の残滓と対等に渡り合っている。しかし、無傷と言うわけにはいかない。


〈影龍〉の残滓が使役する影は無限に等しい。そこにあるすべての影が奴の支配下であり、際限なく爺さんを押し殺そうと奔る。瞬く間に爺さんは大小限らずに全身から血が噴き出る。


「くはははははははは────!!」


 その度に彼は高らかに笑い、動きを加速させていく。〈影龍〉はこれ以上の戯れは不要と言わんばかりに爺さんを仕留めにかかった。


『────散れ』


 今までの攻撃とは明らかに密度が違う。到底、回避するのは不可能、必死の一撃に俺は絶望をする。だが、それでも老兵は倒れない。全身から血が噴き出ても当然と言わんばかりにその場に立つ。


 ────訳が分からない。


【紅血魔法】は肉弾戦に於いて最強、その耐久力から継戦能力も随一だ。そうだと分かっていても、分からない。どうしてあの老兵は平然と立っていられるのか理解できない。


『戯言を抜かすだけはある……存外やりおるな。”血”の守護者、貴様、名は?』


「フェイド・だ。別に覚えなくてもいいぞ、本当のお前と相対するのはたぶんしな」


『だろうな。所詮は残り火、お前では我の前にはたどり着けまい』


「燃えカスでも同じ残りカスの残滓オマエは退けられるさ。そろそろ終いにしよう」


『ハッ!! いいだろう、その強さに免じてお前の一撃を何もせず受けてやる。それで我を消せないのならば潔く死ね』


 途端に〈影龍〉の残滓は無防備に構えを解く。それは明らかに敵を見くびった態度であるが、それこそが強者の余裕。世界を見下した者の責務であった。


「ほんと、龍ってのはどいつもこいつも同じことを抜かしやがる……精々、後悔すんなよ────」


 瞬間、空気が張り詰める。大気の魔力が揺らぎ、とある一転に集中する。爆発的な集約、そしてそれは紅血の老兵の周囲に大乱の如く顕現する。


「〈紅血覇道ブラッドロード〉」


 老兵の魔法発動と共に視界────周囲一帯が真紅の血色に染まる。それはブラッドレイ家の秘奥にして最強の魔法の一つ。


「あ────」


 暴力的なまでに乱雑な血の衝撃の連続だ。時間にして僅か十数秒、しかし体感では永遠にも等しい血の暴力に俺は感動すら覚えた。


 一度目の人生では存在こそ、知識としてはその魔法を知っていても実際に目にすることはなかった。ましてや自分で扱うことなどもっての外。一度目の俺にそれほどまでの実力と実績はないのだから当然と言えば当然だ。だからその瞬間に立ち会えたことに感動すら覚えた。


『────ふむ。どうやらお前の言葉は真実であったらしい。見事だ……』


 血の暴力が止み、視界が晴れて最初に飛び込んできたのは〈影龍〉の残滓がその姿を半分以上消失させていたこと。姿を取り繕うにももう手遅れであろう。あとは自然と消えゆくだけ────そんな中であっても〈影龍〉は嬉し気で余裕がある。


「約束通り……失せやがれ……」


 対して、老兵は息も絶え絶え、今すぐに崩れ落ちそうだ。


『無論、そのつもりだ。これ以上の限界は不可能だ。だがその前に、我から祝福ノロイをやろう。お前はこのまま生かしておくには惜しい』


「んな────!?」


 瞬間、老兵の周囲を影が囲み、その影は彼の中へと乱雑に入り込む。


「あが────ああああああぁああああぁああああああッ!!?」


『いい気味だな。身の丈に合わないことをするからそうなる。大人しくしておけばいいものを────まあ、良い』


 激しい激痛にもがき苦しむ老兵を見て〈影龍〉はとても愉しそうに笑う。


『今は退こう。しかし必ずや我は貴様らの姫君を貰い受ける。はその証でもある』


「うっ……ぐうぅぅぅぅぅ!!」


 老兵の次はアリスが苦しげに唸る。


『それでは今度は本来の姿で相まみえよう、勇猛なる”血”の守護者よ』


 そうして世界を見下す龍の一体は自分勝手に表れたかと思えば、これまたあっさりとその姿を眩ました。不意に訪れる静寂、天災は過ぎ去った。


「────」


 その所為か今まで殺気をばら撒いていた老兵が地面に倒れ伏す。


「爺さん!!」


 俺は身を引きずりながら地面に倒れた爺さんとアリスのもとへ向かおうとする。しかし、俺も俺で限界らしい。寧ろ、今まで意識があった方が不思議なくらいだった。体は当の昔に活動限界を迎えている。ならば意識を保つのは不可能であった。


「な……こん、な、ところ……で────」


 不意に俺の視界は暗転し、意識は勝手に途切れる。


 こうして、龍との邂逅が成された。

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