第10話 金木犀(満たす)


 あ、散ってしまう。

 おばあちゃんが干していった洗濯物が、庭で大きくはためくのに、私はそれらの洗濯ばさみがちゃんと止まっているのを確認してから、庭の端の生け垣へと駆け寄った。おばあちゃんは買い物に行ったらしい。居間に書き置きが残してあった。

 生け垣の下まで行くと、とたん、甘い香りが鼻の奥を膨らませる。シロップみたいな、とろりと溶けるような匂い。

 庭の生け垣の、金木犀の香りだった。

 オレンジ色の小さな花が、緑の合間に鈴なりに咲いて、辺りに甘い匂いを漂わせている。強い風が吹くと今にも落ちそうに揺れるので、私は瞬きするのを堪えつつ、縁側からレジャーシートを持ってくることにした。先日、中学の体育祭の時にも使ったシートだ。おばあちゃんが見に来てくれた。それを金木犀の下に敷き、着替えたばかりの服の裾を押さえて、ごろんと寝転がる。

 ふわりと、甘い匂いが降ってきた。風に煽られて、柔く、強く。広がって、鼻から全身を満たして、けれどすぐに拡散していく。私はもう一度香りを確かめようと、深く、息を吸う。

 おばあちゃんが心配しているのは、分かってるんだけど。

 三年前、おばあちゃんの家に預けられてからもうずっと、私は、眠くて仕方がなかった。先月からは本格的に睡魔に勝てなくなって、体育祭も、危うく遅刻をしかけたのだ。今日だって洗濯物のはためく音で起きた。時刻はお昼の二時を回っている。

 私は目をしばたたかせて、金木犀を見上げる。さっき起きたばかりなのに、もう眠い。溜息の後に大きく息を吸い込めば、あの、とろりとした甘い匂いがする。


 どうせ眠ってしまうなら。

 私は、金木犀の下が良かった。


 だって、こんな、私を甘やかすみたいな香りが、お腹いっぱい、吸えるのだ。この香りの下でなら、私はちゃんと、目を覚ませる気がする。

 この香りを閉じ込めたくて、おばあちゃんと作る庭の金木犀のシロップは、私の毎年の、楽しみだった。

 だから、帰ってきたら。

 一緒に、シロップ作ろうね、おばあちゃん――と、玄関の門扉の方に耳をそばだてながら、私はそっと、目を閉じる。

 辺り一面、甘い香りが、満ちていく。






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