第44話 星の返却
何でもいい。何か、ないのか。
潜行を継続しながらあちこちに視線を移して手がかりを探す。…………あった、気泡だ。
気泡が昇ってくる直線上に身体を移動させ、再び潜行。気泡が頬にぶつかる感触は風呂やプールで感じる自分たちの世界のそれと同様で、不思議な安心感を与えてくれた。深淵に身を投じたのだから当然なのだが、いくら潜っても光明は視えない。綻びから漏れる光が黒い可能性を考えてみたが、いくらなんでも無茶な発想だったかもしれない。でも、諦めて引き返す気にもどうしてもなれなかった。負けを認められなくて引き下がれなくなった感覚とは違う、第六感というべきものが僕に「もう少し、あと少しだけ」と繰り返し語りかけてくる。眼を細めたり焦点をズラしたり、僕の世界では視力が悪いだけの裸眼をフル活用して綻びを探す。いつもなら光る綻びを見つけさえすれば解決だけど、今回はその光そのものが視えない色をしているかもしれないからお手上げだ。依頼品の星を松明よろしく周囲を照らしてもみても闇が光を吸収するだけで何も手がかりを見つけられない。星がカチリとハマるのだから、綻びも球状のはずなのだけど、闇はいくら眼を凝らしてもであって濃度の違いを見分けられない。参った、さすがに考えなしだった。
僕の脳内で「諦め」という選択肢がじわじわと得票数を伸ばし、過半数を越えてしまったときには僕の身体は勝手にきびすを返してしまっていた。
「……ん?」
すると、ずっと後方に僕が来るときにはなかった光の帯がゆらゆらと揺れているのが目に入った。
「――待ってろって言ったのに」
自分の頬が緩むのを感じる。光の先端。遠くて表情は伺えないが、きっと口を尖らせているに違いない。
「ごめん」
追いついた綾見に僕は開口一番謝った。
「勝手すぎるよ」
怒った口調だったが、どこかほっとした感情が混じった声音だった。
「ごめん、やっぱり無謀だった」
見つけられなかった。つぶやくように敗北宣言すると、
「一人でやろうとするから」
綾見が僕のわき腹をつんと突いた。
「眼は二つより四つある方が良いに決まってるし、明るい方が眼に良いのも決まってるの」
視力、ますます悪くなっちゃうよ? と綾見は僕を責めた。
「で、それの出番ってわけか」
「そういうこと」
綾見は得意気に握った光の帯をひらひらさせた。
「それってやっぱり――」
「ご明察。海月の触手だよ」
「でも、なんだか変化してないか?」
綾見が握る触手は僕が上で触っていたそれと形状がだいぶ異なっていた。木の幹ほどあった太さが今は海草みたいに薄っぺらな帯状になっている。
「懐中電灯の代わりになればと思ってちぎろうとしたら全然ちぎれなくて。ゴムみたいに伸び続けて、いつの間にかこんな薄っぺらになっちゃった」
「伸びきったゴムって感じか」
千切れそうな様子がないのは違いとして最高だ。
「そんなところ。でも、見てのとおり光は弱まってない。おまけに……見てて。凄いんだから」
期待を促す言葉と同時に綾見は力一杯触手を引っ張った。
「え? 何したの?」
「上で千切ろうと試したときに偶然知ったの。もう少ししたら『来る』から」
期待して待って、と綾見は言う。
だから何が。そう言おうと思ったとき、僕の目の前にひらりと光る何かが舞い落ちてきた。見上げると、無数の星くずが輝きながら粉雪のように頭上から降り注いできた。
「これならよく視えるよね!」
周囲が明るくなり、表情がはっきり見える綾見が得意そうに胸を張る。
「私だって役に立つんだから」
「ところで、これって何なんだろう? 海月の何かってことは確かなんだろうけど……」
「現実的な想像は禁止! ほら、ここから先は二見くんの出番なんだから余計なこと考えてないで目を凝らして! これだけ明るかったら二見くんなら視えるでしょ?」
少しだけ悔しそうな綾見に背中を叩かれ、僕は自分の役目を思い出す。
「ああ、十分だ」
星だけでは数メートル先までしか見えなかったが、今は光る粉雪が覆っていた闇を取り払ってくれたおかげで全体が見渡せる。ぐるりと視線を走らせる。…………視えた! 僕たちがいる場所からほぼ真下、ほんの僅かだけど周囲の暗闇とは明らかに異質な黒い穴を僕の眼はしっかりと捉えた。
「見つけた」
「ホント? じゃあ早く星を戻しちゃおう。急いで、粉雪もずっと降り続ける保証はないし」
「そうだね、だから」
僕は綾見に星を差し出す。
「一緒に戻そう」
彼女は微笑み、星の上に手を置いた。
「ここまで近づけば私にも視える」
綻びを前にして、綾見も黒い光をようやく視認した。
「二見くんの眼、ホントに凄いんだね……。私だけじゃ見つけるの絶対無理」
「僕だって一人じゃ無理だって。どっちかが見つけた、じゃなくて、二人で見つけたんだ」
「二見くんって、ときどき凄く優しいこと言うよね」
「時々? 僕はいつも優しく言ってるつもりだけど」
少しだけ心外だ。こんなところで考える場面じゃないけど、女の子ってやっぱり良く分からない。
「そうだっけ? でも、ありがと。そう言われると救われる」
「別に慰めで言ってるわけじゃない。この世界では僕がたまたまハマったけど、図書館のときは綾見のほうがハマっていただろ? それでいいんじゃないかな」
「……次は私が活躍したい」
「うん。次も、その次の次も……一緒に頑張ろう」
粉雪が舞う宇宙の中、僕と綾見は依頼品の星を丁寧にあるべき場所に返した。カチッと音を立て、星が丸い綻びの中に隙間なく収まる。すると、歯車が動き出すように星が自転を始め、ゆっくり一周すると暗幕が取り払われた。一体どこに隠れていたと訴えたくなるくらいの無数の星々が目映い姿を現し、奈落の底かと思うほど暗かった宇宙が明るく照らされる。
「ミッションクリア、だね」
綾見が片手を上げて僕を待ち構える。
「土産話がたっぷりだ」
僕らが交わしたハイタッチの音は、広大な宇宙の中で綺麗に鳴り響いた。
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