第8話 浦島太郎異聞

 ツーリングって、整備された曲がりくねった道を、止まることなく何処までも何処までも、走り続けている時が一番気持ちが良い。その道が人間の力が遠く及ばない大自然の中を突き抜けていたりすると、自分自身がその大自然に混じり合い一つになっていくような没入感に襲われます。現実の社会の中で生活していると、自分がこの宇宙を構成している一因子だということを忘れがちです。忘れるどころか、自分は一人ぼっちで、この世界から見放されてしまったような疎外感を感じることもあります。キャンプにしろハイキングにしろ大自然と触れ合うアクティビティに需要があるのは、そうした自然と一つになりたいという欲求が人間には本源的にあるからではないでしょうか。


 経ヶ岬から伊根までの道のりは、正にそうした大自然を感じれるワイディングロードでした。丹後半島は400mから500m級の山々で構成されています。伊根まで続く国道178号線はその山の急斜面に張り付くようにして伸びていて、右に左にと曲がっていました。進行方向の左手には日本海が広がっており、海面は100メートル以上も下になります。スーパーカブを停めて覗き込むと、岩を洗う静かな白波が見えました。見えましたが、あまりの高さに下腹部辺りが怖さで委縮します。視線を上げると青い水平線が見えました。とても見晴らしが良い。あまりに景色が良いので写真を撮りました。撮りましたが、そうした写真では壮大な素晴らしさは伝えきれない。キックペダルを踏みこんで、エンジンを回しました。再び走り始めます。ただ走っているだけなのに、まるで空を飛んでいるような気持にさせられました。朝が早いということもあり、誰もいない。丹後半島独り占めです。


 海岸線を走っていた国道が蒲入トンネルに入ると、海とはしばらくお別れになります。低い山々に囲まれた谷間に川が流れており、その川に沿うようにして集落がありました。いくつかの集落を抜けていくと、有名な伊根の舟屋に到着します。8時すぎという朝の早い到着でしたが、すでに多くの観光客が各所で活動を開始していました。


 伊根湾は、コップをかぶせたような形で南側に入り口があります。その湾の入り口を塞ぐような位置に青島が鎮座していました。そのような外海からの影響を受けにくい伊根湾は漁村として栄えていたようです。伊根が舟屋と呼ばれるのは、その独特な二階建ての木造建築によりました。二階が居住区になり一階部分は船の収納庫になっていて海と直接繋がっているのです。そのような特殊な家が一軒だけなら話題になりませんが、舟屋が山を背にして海岸線に所狭しと並んでいました。何だかその姿が可愛い。個人的な感想ですが、アフリカに棲むミーアキャットを思い出しました。ミーアキャットは集団で狩りをします。狩りをするとき、横一列に並んで二本足で立ち上がり獲物を伺うのですが……そんな様子を舟屋から感じました。


 ただ、現在の伊根の舟屋は漁村ではなく観光地でした。僕はスーパーカブの利点を最大限に利用して、海岸に沿った細い道を端から端まで走ってみましたが、朝早くからどこもかしこも観光客で一杯です。写真だけはたくさん撮りましたが、早々に退散することにしました。ただ、目的の一つであった向井酒造の「伊根満開」だけはゲットします。「伊根満開」とは、赤い古代米で醸造した珍しい日本酒でして、杜氏が女性ということでも有名な酒蔵でした。お酒が好きなら是非とも立ち寄りたい酒蔵になります。訪れた時は朝が早く営業時間ではなかったのですが、観光客が多く集まっていたこともあり対応してくれました。実はこの紀行文を起こしている今は、まだ飲んでいません。だから飲んだ感想は伝えられません。タイミングを見て嫁さんと一緒に飲むつもりです。その時のアテは、やっぱり干物にしようかな……。


 ところで、日本には多くの昔話があります。僕のような50代は子供のころに、アニメ「まんが日本昔ばなし」を観ていました。だからなのか、昔話にはかなり馴染みがあります。桃太郎を筆頭に、鶴の恩返し、かちかち山、かぐや姫、花さか爺さん、猿蟹合戦……挙げだしたら切りがありません。そうした昔話のうち、丹後半島には有名な昔話がいくつか残されています。それが、浦島太郎と羽衣伝説と鬼退治になります。今回は、浦島太郎について少し掘り下げてみたいと思います。


 経ヶ岬から伊根に至る道中に、本庄という村がありました。その村にその名も「浦嶋神社」があります。浦島太郎といえば、有名な童謡がありますね。


♪むかしむかし浦島は

 助けた亀に連れられて

 竜宮城に来てみれば

 絵にもかけない美しさ


 話の結末は乙姫様からもらった玉手箱を開けてしまい、浦島太郎は白髪のお爺さんになってしまいました。他の昔話と違う大きな特徴は、時間の概念がぶっ飛んでいることです。竜宮城で楽しく過ごしている間に何百年も経っていました。ちなみに、光速に限りなく近づいていくと時間が相対的に遅くなりますが、この現象を「ウラシマ効果」と呼びました。昔話でありながら、最先端の物理学にコミットする浦島太郎の物語ですが、その起源がここ浦嶋神社にあるのです。神社にあった解説を少しばかりご紹介します。


◇◇◇


 伝承によると、浦嶋子は雄略天皇二十二年七月七日美婦に誘われ常世の国へ行き、その後三百有余年を経て淳和天皇の天長二年に帰ってきた。常世の国に住んでいた年数は三百四十七年で、淳和天皇はこの話を聞き浦嶋子を筒川大明神と名付け、社殿が造営された。


◇◇◇


 因みに、雄略二十二年とは西暦478年と記されていました。今から1546年前のことです。浦島太郎の元ネタは、日本書紀や丹後国風土記にも記されているくらいに古い物語でした。ただ、この段階では、竜宮城も玉手箱も出てきません。そうした要素は、室町時代に編纂された御伽草子の時に付加されたようです。もともと浦嶋子は、この地域を治める地方豪族でした。それが昔話として編纂される際に仏教的な影響を受けて、浦嶋子は両親を養う心優しき漁師の青年に改変させられます。更には、亀を助けるという道徳的なドラマが盛られました。


 そうした浦島太郎の物語ですが、実は古事記にある神話からも影響を受けているという考察があります。それが、山幸彦と海幸彦の話でした。あらすじだけ紹介すると、兄である海幸彦の釣り針を失くしてしまった弟の山幸彦が、釣り針を求めて海の中にある綿津見神宮(わたつみのかみのみや)に赴きます。そこで、豊玉毘売命(とよたまひめ)と出会い結婚しました。三年後、釣り針を返すために地上へ帰る時に、山幸彦は霊力のある玉を貰いうけます。その玉の効果によって、山幸彦は兄の海幸彦を従えることが出来ました。この山幸彦の孫が神武天皇になります。


 この神話において、山幸彦は天孫族(てんそんぞく)、海幸彦は隼人族(はやとぞく)との認識が通説になっています。天孫族とは日本神話において大和王権をつくった古代勢力で、隼人族は大和に抵抗する海の一族でした。薩摩の男性のことを隼人と呼ぶのですが、薩摩から近畿地方に移住した人々のことも隼人と呼ぶようになります。また隼人は大和王権において宮門の警衛などに当たったことから、そのような衛兵のことも隼人と呼びました。ただ、山幸彦と海幸彦の話は九州南部の薩摩の伝承になります。丹後半島とは、直接には関係がない。


 ところが丹後半島には、もう一つの浦島伝説がありました。それが天橋立の北側にある籠神社(このじんじゃ)に伝わっています。第10代崇神天皇の御代に、国民の半数が疫病により死んだことが切っ掛けで、宮中から天照大神の化身でもある「八咫の鏡」と、「天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)」が豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に預けられます。姫は神器を祀るのに相応しい地域を探しました。最終的に伊勢に落ち着くのですが、それまでに神器を預かった神社のことを元伊勢と称します。籠神社はそのうちの一社であり、格式が高い。


 籠神社の主祭神は、彦火明命 (ひこほあかりのみこと)ですが、この神は饒速日命(にぎはやひのみこと)だという説があります。饒速日命は、物部氏の祖神であり神武天皇の天孫降臨よりも早くに畿内を制圧したと伝えられています。その後、饒速日命は神武天皇に帰順して大和王権が始まりました。詳細は省きますが、籠神社は代々海部氏が護ってきたのですが、この海部氏と物部氏が饒速日命という同じ祖神で繋がるのです。


 それだけでも驚きなのですが、同じ丹後半島の南に石川という地域があり、その名も物部神社があります。物部神社の主祭神は宇摩志麻遅命(うましまぢのみこと)で、饒速日命の子供でした。それ自体はそれほど驚くことではないのですが、この主祭神が蘇我石川宿禰命だという伝承も残されているのです。蘇我一族の代々の系譜をここで参照します。


 武内宿祢→蘇我石川→満智→韓子→高麗(馬背)→蘇我稲目→蘇我馬子


 蘇我の系譜について色々と調べてきたのですが、石川の所在は河内国石川が有力です。ところが、飛鳥から遠く離れた丹後国に石川村があり、且つ物部神社があり、且つその祖神が蘇我石川宿禰命という伝承がある……この事実は、僕の頭を打ち抜きました。丹後半島に蘇我の形跡は無く物部の支配地域であったと考え直していたのですが、その矢先に蘇我の名前が浮かび上がったのです。僕はこの事実を、どのように捉えたらよいのでしょうか。謎は深まるばかりです。

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