第3話 真っ黒なカプセル

 信号のない横断歩道を渡る。葵からみて、左右に別れたT字路の中央。そこには、住宅街に紛れて喫茶店が門を構えていた。


 ひらりとぶら下がった、赤、青、白の組み合わせで出来た氷の文字が躍る旗。ずしんと重みのあるレトロちっくな看板。表に貼り出されているメニュー表のなかで目を惹くのは、色鮮やかな緑色が弾けるクリームソーダの写真だ。恐る恐る近付いて、思わず「すご」と葵は言葉を零した。


「ガチャポンのやつと、一緒だ」


 葵はいつも動物系のカプセルトイを集めているけれど、最近のカプセルトイは精巧なうえ種類が豊富だ。コンビニ弁当や定食のミニチュアもあれば、アニメキャラクターのフィギュアに、知恵の輪やパズル、ユニークな指輪、なんだかよくわからない光りものもある。

 そのなかに、喫茶店をテーマにしたミニチュアがあったのを、葵は覚えていた。メニューだけのものだったり、机や椅子などの家具や、看板だけのシリーズだってあったはずだ。

 大人たちからすれば、ミニチュアの現物がこれだよ、と指させるものなのかもしれない。けれど、喫茶店に馴染みがない葵にとって、目の前にある看板は、まるでそのミニチュアに魔法をかけて、大きく自分たちのサイズにしたかのように思えた。


 写真映りの良いクリームソーダやかき氷は、これから夕食を控えている葵のお腹をぐうと鳴らす。仕方ないと思う。だってこちらはバイトであくせく働いてきた上に、まだソフトクリームも食べられていないのだ。けれど、葵は誘惑を振り切るように首をぶんぶんと横に振って、視線を看板から横へとずらした。

 喫茶店に興味を惹かれたり、感動したのは嘘ではないが、横断歩道の向こうから葵を引き寄せたのは、もっと別のものだ。

 看板やメニューボードから、重々しく見える扉を挟んで、反対側。

 そこにあった、葵にとって見慣れた「それ」が、百円玉を追いかけてきただけの葵をこの喫茶店の前まで連れてきた理由だった。


「……こんなところにもあるんだ」


 それは、さっきまで葵がにらめっこしていたものと同じ、ガチャポンの自動販売機だった。

 葵はまじまじとそれを見つめた。葵がよく見るガチャポンは、二種類のガチャポンの箱が上下に積み重なっており、それが横に何台も連なって、まるで駅のコインロッカーのような作りのものだ。

 けれど、いま葵の目の前にあるものは違った。古い型なのだろう、学校の教室にある机のようなかたちをした鉄製の台の上に、一台だけ四角いガチャポンの機械が置かれている。ウォータージャグのような見た目のそれは、黒く重々しい。コインの投入口はジュースの自動販売機のように縦にコインを入れるようなものではなく、十円ガムの販売機のように横に置くタイプのものだ。回転式レバーもプラスチック製ではなく鉄製で、ところどころ錆が見受けられたそれは回すのが大変そうに思えてしまう。

 そして極めつけはその見た目だった。

 カプセルが入っている透明な箱には、だいたい前面にガチャポンの中身の説明の紙が貼ってある。だいたい五種類ほどのラインナップと、引くための値段がかかれているのだが、この箱にはその説明が全くなかった。ただ黒い紙に、魔法陣を彷彿とさせる白の図形が描かれており、なんの説明もされていない。ただ、とってつけたように百円と書かれた段ボールの切れ端が、回転式レバーの横にガムテープで張り付けてある。張り付けるくらいならいかにも力任せに千切りました、みたいなものではなく、ちゃんと鋏で長方形に切り取ってほしい。

 見た目は古めかしくて、もう使えなさそうなのに、段ボールの値札だけがついさっき書いたばかりのように真新しくて、なんだかちぐはぐだった。黒い紙と謎の魔法陣に関しては、まあこういうのもあるのかな、とそこまで違和感を葵は覚えない。だって、たまに書店とか、日帰りの温泉施設に、何が出るのかわからない完全シークレットのガチャポンが置いてあるし。きっとこれもそれの類なのだろうなと葵は思う。


「……一個だけ入ってる」


 好奇心で、横から箱の中身を覗き込む。すると中には真っ黒なカプセルがひとつだけ一番下に沈んでいて、ここから出るのを今か今かと待ち望んでいるようだった。


(……どうしよう)


 葵は、自分の気持ちがうずうずしはじめたのが分かった。

 右手には、ずっと握りしめていたせいで温まった百円玉がある。


 さっき回すのを諦めた酉の魔法使いシリーズは三百円なんだよな。

 ソフトクリーム、これから買う予定だし。値段も同じくらい。

 でもこの百円、もしかしたら側溝に落ちて取れなくなってたり、見失ってたりしてたかもしれない。

 別にこの百円が無くても、ソフトクリームを買えるお金はあるし。

 あれだけ必死に走って捕まえたのに、これに百円使うの?

 中身わかんないし、引いたら後悔するかも。


 頭の中で葵が二人に分裂して、言い争いをしている。どっちも葵の姿をしているから、どっちの言い分にも頷けてしまうのが困ったものだと思う。さきほど時間をかけて重さを計った天秤が、皿の上を取り換えて再びぐらぐらと揺れている。


 ――でも、知らない場所にきて、見つけたガチャポンはラストワンって、これって運命的じゃないですか?


「――うん。確かに」


 ふいに響いた内側の声に、葵はパッと顔を上げた。


「これは、引かない方が、後悔する!」


 えいや、と葵は掛け声と共に百円を窪みに嵌めこんで、夏の暑さで温まっていたレバーをぐるりと回した。


 思っていたよりも、すんなりとレバーは葵の手の中で回った。

 がこん、と。心の中の天秤が大きく傾く音と同時に、黒いカプセルが排出される。古い型だからか、カプセルはそのまま外に飛び出してきて、鉄製の台についていた籠のような取り受け皿の上に転がって、端っこで止まる。

 葵はそれを手に取った。黒いカプセルなんて珍しいと思いながらまじまじと眺めてみる。いつもなら、色がついていても半透明のカプセルだから、だいたいこの時点で中身が何であるのかわかったりするのだが、このカプセルは全部が真っ黒なプラスチックでできていて、中身が全く見えない。そっと振ってみる。音も無い。けれど少しだけ重みがある。

 葵は自分の表情がゆるゆると解けるのが自分でわかった。

 ガチャポンの何が楽しいって、レバーを回す瞬間は勿論、この手のひらの中に納まっているカプセルを開ける時だ。何が出てくるかわからない、胸いっぱいのわくわくとドキドキ。同じものが当たってしょんぼりすることもあれば、お目当てが当たって飛び跳ねるようなことだってある。その一喜一憂すら、葵は楽しくて仕方ない。


(……それに)


 先程自分の心のうちに響いた声のなかに、より葵に焼き付いて離れない言葉があった。

 手に入ったのが欲しかったものでも、既に持っていたものでも。

 ランダムという方式のなかで、葵が引いて、葵の手元に来たものならそれは。


(それはきっと、運命って呼んでもいいはずだ)


 ぱかん、と音をたてて黒いカプセルが割れる。

 その瞬間、目がくらむような光がカプセルの内側から溢れ出して、葵は思わず目を瞑った。

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