第33話 Dask Till Dawn

 署に戻ってきた陽大はるとの不機嫌さに周囲が声をかけられないでいる中、壮介はいつも通りに揶揄うように背中を叩いて迎えた。

 「やっと戻ってきたか。おまえが来るまで昼飯を我慢していたんだ、食いに行こうぜ」

 「そんな気分じゃない」

 「いいから、俺のために行こう」

 「瀬那ちゃんのとこか」

 「そこ以外にどこ行くんだ」

 すでに車のキーを手にしていた壮介は、陽大の肩を抱きかかえるようにして部屋を出ていった。やや張り詰めていたような空気だった室内の雰囲気が少し和らぎ、自分のデスクで見守っていた坂本もその様子を見てほっとした表情を見せた。

「嫌味なことでも言われたか?」

 運転席に乗り込んだ壮介は、シートベルトを装着している陽大にさりげなく尋ねた。

 「……嫌なことは言われたな」

 「言葉遊びをしてるわけじゃないぞ」

 「あそこが取調室じゃなかったら、おそらくぶん殴っていた」

 「穏やかじゃないな」

 「許せないからだ」

 「まぁ、そうだよな」

 それ以上は何も聞かず、壮介は明るい音楽をかけてレストランCorkへと車を走らせた。

 壮介たちが入っていくと、瀬那がパッと顔をほころばせていらっしゃいませ、と迎えてくれた。かつてダブルデートをしたことがある美優みゆは、今は2人の仲を知っているからか、笑いながら肩をすくめて別の客の給仕に向かった。

 「お二人ともいつものランチでいいですか」

 「そうだな、たまには違うのにしてみるか」

 「任せる」

 「陽大さんは疲れているみたいですね。疲労回復に効くスープにしましょうか」

 「ああ、それと少し辛いものが食べたい」

 「わかりました」

 オーダーを取っている瀬那の腕を壮介が触って引き寄せる。瀬那は軽く睨みながらも、そのまま壮介の隣に腰かけた。

 「こいつさっきから機嫌悪くてさ、怖いんだよね」

 「全然思ってないだろ」

 「いろいろ大変なんですよ、きっと。いじめちゃだめですよ」

 「そうだな、虐めるのは夜の君だけにし……痛っ」

 やや強めに腕を叩かれ、壮介は顔をしかめてシャツから覗くほんのり赤くなった腕をさすった。

 「力加減を考えてくれよ」

 「普通の女子より力ありますから」

 笑いながらそう言うと、瀬那は立ち上がって厨房へと歩いていった。

 「見せつけるために来たのか」

 「何を苛々してるんだよ。おまえだって散々蒼空そらくんとあんなことやこんなことしてんだろ」

 「うるさい」

 水滴が滴るグラスの水を一口飲み、壮介はそれまでより少しトーンを抑えた口調で訊いた。

 「何を言われた?」

 「……おまえも疑問に思ってたんだろう?」

 「疑問?」

 「いや、他の連中も思っていたはずだ。なぜはたはVanilla Skyで撃たれたのか、なぜ班長はそこに行ったのか」

 「元班長な」

 「……薄々わかってはいたけど、認めたくなかったというか……怖かったんだ」

 「……大丈夫だ、もう捕まっているし、蒼空くんにはおまえがいる」

 やはり壮介も気付いていたのだ。しかし敢えて言わないでいたのは彼なりの気遣いだったのだろう。

 殺人犯から四本目の薔薇を贈られる予定の相手が自分の愛する人だった。蒼空が相原の標的だったという事実に、陽大は心の底から怒りを覚えると同時に震えるほど恐ろしかった。

 花屋の聞き込みの時に蒼空を見かけたのだろうか。しかし偶然にも自分たちが秦を疑い始めたことを知り、自分の犯行を隠すことを優先したおかげで蒼空は助かった。撃たれた秦には気の毒なことをしたが、意識を取り戻し、後遺症も残らないという連絡も入ったのが幸いだった。

 「あいつは俺に何も言わないんだ」

 「おまえを心配してるからだろ」

 「だからって隠し事をするのか?」

 「それと、俺らの想像以上に怖い思いをしたんだと思う。だから蒼空くんの記憶の中で封印したいのもあるのかもな」

 それも確かにあるのだろう。カフェに駆けつけた時、蒼空は青ざめた顔で呆然と立ち尽くしていた。人がいてもお構いなしにキスを求めてきたのは、相原が怪しいということを伝えるのと同時に、自分は陽大のものだということを見せ、そして自分でも再確認したかったのかもしれない。

 「おまえ、蒼空くんを責めたりするなよ」

 「それは、まぁ」

 「せっかく楽しいバカンスに行って愛を深めてきたんだろ。少しは恋人の想いを汲んでやれ」

 「……わかってる」

 陽大は軽く上唇を噛むと、何かを考え込むように窓の外に見えるVanilla Skyの外観を眺めた。そんな陽大を壮介は気遣うように見つめていた。


 仕事帰りに家に行くと連絡をすると、いつも通りの可愛い絵文字をつけてわかった、という返信がきた。陽大はよく二人で行くスープ店に寄り、蒼空の好物のビスクを買っていった。

 学生時代から変わらないコンドミニアムの部屋の暗証番号を押すと、パタパタと足音がして蒼空が出迎えてくれた。いつもと変わらない優しい口調とエプロン姿でおかえりと微笑むその姿に、陽大は思わず今すぐ抱きしめたい衝動に狩られる。かろうじて抑えたのは、手に持っているスープが零れるかもしれないという妙に現実的なことが頭をよぎったからだ。きっとこれを床にこぼすようなことになれば、相変わらずの憎まれ口で陽大を責め立てるに違いない。その様子を想像し、陽大はふっと小さく笑った。

 「人の顔見て何笑ってんの」

 口を尖らせて蒼空が文句を言う。陽大はキッチンのカウンターの上にスープが入った袋を置き、そのまま振り向くと蒼空をしっかりと抱きしめた。

 「お土産買ってきてくれたんだ」

 「一緒に暮らそう」

 「え……?」

 「おまえのそばにいたい。いや、俺のそばにいてほしいんだ」

 「陽大……」

 驚いたように目を見開き、こちらを見つめる蒼空の淡いピンク色の唇に、陽大は優しく唇を重ねる。蒼空はゆっくりと目を閉じ、逞しい陽大の背中に腕を回した。何度もキスを繰り返し、ようやく唇を離すと微かに唾液が糸を引く。陽大はその唾液を舐めとるようにもう一度口づけた。

 「愛してる」

 「……今言うの?」

 「だめか?」

 「星空を見ながら露天風呂に入ってた時とかいくらでも雰囲気がいい瞬間があったのに」

 「そうだな」

 本気でしまったという表情をしている陽大を見て、蒼空は思わず声を出して笑った。

 「まったく……」

 「あの時は、余裕がなくて……悪い」

 「やらしいことで頭がいっぱいだったから?」

 顔を覗き込みながら意地悪そうに囁く。

 「そんなことより、返事は?」

 「あ、誤魔化した」 

 「おまえこそはぐらかすなよ」

 「俺はそんなことしないよ」

 陽大の背中に回した腕を腰に下ろし、やや強めに引き寄せる。そしてその額に唇を寄せた。

 「ずっと、そうしたかったんだから」

 「俺と一緒に暮らしたかった?」

 「当たり前だよ。だって……」

 今度は唇にキスをする。

 「愛してるから」

 蒼空の瞳がやや潤んでいる。陽大はしっかりと抱きしめて再びキスを繰り返しながら、エプロンの紐をほどいていった。

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