第31話 Dask Till Dawn

 目の前に広がる渓流の涼しげな音を聞きながら、陽大はると蒼空そらはのんびりと短い夏休み旅行の最後の夜を過ごしていた。何かあればすぐ駆けつけられるように、陽大は普段はほとんどアルコールを口にしない。そんな陽大の朝食を準備するために早起きの習慣がついていた蒼空も、滅多に酒を飲むことはなかった。しかし、今日は特別だ。二人の横にはワイングラスが置かれている。

 ほんのりと頬を赤く染めて外を眺めている蒼空の、その整った美しい横顔を見つめる。そっと手を伸ばし、柔らかな黒い髪を優しく撫でると、蒼空がこちらを向いてにっこりと微笑んだ。

 「おまえとここに来れてよかった」

 「俺もだよ」

 そのまま顔を傾け、口づけを交わす。

 「俺たち、つきあい始めてから何回キスしたんだろう」

 「まだ1ヶ月もたってないのに、もう数えきれないくらいしてる」

 「おかしいな。そんなにしてるのに、まだまだ足りない」

 「じゃ、もっとする?」

 甘く囁く蒼空の唇を軽く噛むようにキスをする。ふっくらとしたピンク色の唇を味わいながら何度もキスを繰り返し、舌を絡め合っていく。

 「……おまえ、本当にエロいよな」

 「何言ってんの」

 「こことかさ」

 少しはだけたバスローブの隙間から覗く白い太腿を撫でる。

 「人のこと言えないよ」

 「俺が?」

 「こんなにセクシーな刑事さんだと心配になる」

 蒼空は陽大のバスローブの前から手をすべらせ、逞しい胸筋を撫で上げる。その動きに呼応するように、陽大は蒼空の腿を触っていた手を徐々に上の方へと移動させた。蒼空の吐息が少しずつ乱れていく。

 「今日はもう無理なんだけど……」

 「あんまり激しくしないようにするよ」

 「そういう問題じゃない」

 「でも、ここはして欲しそうだぞ」

 「それは……陽大が触るから……」

 火照った表情のいやらしさにすぐにでも押し倒したくなる衝動をぐっと堪え、陽大は敢えてゆっくりとバスローブを蒼空の肩からずらす。全部脱がさずに腕の途中にかけると、露わになった太腿とともに灯りに照らされて、さらにエロティックさを増している。

 「俺のも脱がせて」

 言われるがままに蒼空は陽大のバスローブを脱がせる。胸筋から脇へと肌に這うように蒼空の手が滑っていく感触に、陽大はすっかり興奮していた。蒼空の体に引っかかっていたバスローブを剥ぎ取ると、そのまま手を取って部屋についている半露天風呂へと抱きかかえるようにして入る。

 「さっき温泉入ったのに」

 「せっかくだから部屋の風呂も入らないとな」

 抱きしめて首筋を強く吸い上げる。

 「もう無理だってば……」

 「おまえは何もしなくていい。気持ち良くなっていればいいから」

 「そんなこと……あ……やぁっ……」

 結局、抗えない自分に軽いもどかしさを感じながらも、それ以上に押し寄せてくる快感に蒼空は身を委ねていった。


 チェックアウト時間は昼の12時だったが、それでも時間ぎりぎりになってしまった陽大と蒼空がフロントへ向かうと、ロビーで女性とホテルのスタッフが何やら言い合っていた。近づいていくと、昨日の道路で泣いていた女性だった。

 「どうかしましたか?」

 陽大が声をかける。

 「あ、いえ……」

 「警察です。管轄はここではありませんが」

 「警察の方ですか」

 「何かトラブルでもあったんですか?」

 「いえ……」

 「聞きたいことがあるだけです」

 女性は挑むような目つきで陽大に言った。

 「聞きたいこととは」

 「こちらで対処いたしますので、お客様はどうぞあちらでおくつろぎくださいませ」

 「宿泊客の情報を教えてほしいって言ってるだけなのに」

 「宿泊客の情報?」

 「姉が泊まっていたかどうか聞きたいだけです。それなのに教えてくれないから」

 「大変申し訳ありません。お客様の個人情報をお教えするわけにはまいりませんので」

 「家族のことですよ? 姉が泊まってたかどうか、それだけなのに」

 「申し訳ありません」

 「俺が聞いても、おそらく無理ですよね」

 「申し訳ありません、私どもでは判断できかねますので」

 それはそうだろう。高級リゾートホテルのフロントが、正式な捜査であれば別だが、警察と名乗っているだけの男においそれと客の個人情報を漏らすわけがない。昨日のように地元の警察が相手であれば、すぐに身分証明証で陽大の身元を照会してもらえるが、ホテルマンにそこまではできない。ましてや、一般の女性に簡単に客の情報を流すことはできないだろう。

 「ここは高級リゾートホテルですから、簡単に客の情報を見ず知らずの相手には教えたりはしない」

 「見ず知らずじゃない、姉だって言ってるでしょ」

 「あなたは、見ず知らずの人間でしょう」

 「だけど……」

 「なぜ知りたいんです?」

 「……姉がここに泊まると言ってたから、泊まったかどうか知りたいんです」

 陽大はちらっと時計を見る。飛行機の時間まではまだ余裕がある。蒼空の方を見ると、わかったというように軽く頷いた。陽大は女性を大きなモニュメントがあるラウンジの方へと促し、ソファに腰かけた。蒼空が無料サービスの林檎ジュースをコップに注いで女性に手渡す。

 「お姉さんがどうかされたんですか」

 「……一昨日の夜、亡くなりました」

 陽大と蒼空は顔を見合わせた。やはり昨日見かけた時に泣いていたのはそういうことだったのだろうか。

 「この近くで倒れて亡くなっていた女性ですか?」

 「そうです」

 「警察は事故と見ているようでしたが」

 「聞きました。酔っ払って転んで頭を打ったんだろうって。でも、姉が転倒して死んでしまうくらい泥酔するとは思えないんです。でもわかりません。本当に酔っ払ってたのかもしれない。ただ私は知りたいんです。姉がなぜ亡くなったのか、どうやって、どんな状況だったのか、それを知りたいんです。その結果、本当に酔って転倒したんだとしても、何も調べてもらえずに"こうだったと思う"じゃ、あまりに辛いです」

 話しながらまた思い出したのか、女性は目に涙が溜まってきていた。一筋こぼれた涙を見て、陽大は近くに置いてあったナプキンを取り、渡す。涙を拭きながら、女性はスマホを取り出した。

 「これが姉のSNSへの投稿です。亡くなった当日、ここで写真をアップしてます」

 目元がよく似ている優しい印象の女性が、写真の中で微笑んでいる。確かにこのラウンジの背景とよく似ている場所で自撮りをしているようで、後ろには男性らしき人の手首のあたりだけが写っていた。その部分を拡大して見せる。

 「誰かと一緒にいたんです。それにほら、"リゾートホテルに泊まるの、楽しみ"ってコメントも書いているから、ここにこの人と一緒に泊まったはずなんです。その人なら、きっと何か知ってると思うんです」

 おそらくここの警察は、すでに事故として処理しただろう。管轄が違う陽大がここで調べることは難しい。

 陽大は財布の中から名刺を取り出し、女性に渡した。

 「札幌で刑事をしている都築陽大つづきはるとです。もし、どうしても埒が明かない時は、連絡をしてください。管轄が違うのでどこまで手助けできるかはわかりませんが」

 「ありがとうございます」

 それを見て、蒼空も同じように名刺を差し出した。

 「俺はVanilla Skyというカフェのオーナーの仲川蒼空です。もし札幌に来たらコーヒーでも飲みに来てください。話くらいなら聞きますよ」

 「カフェのオーナーさんなんですね……。ありがとうございます」

 「ところで、君の名前は?」

 「あ、すみません」

 女性は立ち上がって頭を下げた。

 「岡崎すみれといいます。亡くなった姉はあおいです」

 すみれと名乗ったその女性は、まだ涙に濡れている瞳をしっかりと二人に向け、強い眼差しで陽大と蒼空を見つめた。


 水平飛行に入った飛行機の窓から、蒼空は雲と青空のコントランスを眺めていた。隣に座る陽大がリクライニングを少し倒し、蒼空の肩へともたれかかる。

 「さっき、何でおまえも名刺を渡した?」

 「宣伝しちゃ悪い?」

 「いや……珍しいなと思って」

 「一応、営業も兼ねてるんで」

 「……やきもち妬いたのかと思った」

 蒼空は陽大の方を向くと、おでこを軽く指で弾いた。

 「いてっ」

 「うぬぼれるな」

 「そうか? 俺が女の子に名刺を渡したから、ムキになったのかと」

 「ばか」

 「そうだったら、ちょっと嬉しかったのに」

 「……」

 蒼空に寄りかかったまま、その手を握る。唇を尖らせている蒼空の表情が、言葉とは裏腹に肯定していることを示していた。

 「やきもち妬かれるのは嬉しいんだ。俺のこと好きなんだなって実感できるから」

 「けっこうひどいこと言ってるの、わかってる?」

 「わかってる。でもさ、俺の気持ちは揺るがないから。俺はいつだっておまえだけを見ているし、おまえのことだけを考えてる」

 「でも、やきもちなんか妬きたくない」

 「そっか……そうだよな」

 陽大は握っていた蒼空の手に優しくキスをすると、起き上がって今度は蒼空の頭を自分の肩に乗せた。蒼空は自分で動いて陽大の体に寄り添うようにもたれかかり、そのまま目を閉じる。

 そんな蒼空の様子に愛おしそうに微笑むと、陽大も目を閉じた。

 短いバカンスを終えた二人を乗せた飛行機が、またいつもの日常へと向かって飛んでいた。

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