冥土の土産屋『まほろば堂』3 ~美しく咲く花の名前は

祭人

序章

プロローグ

「ただいま……でいいのでしょうか?」


 突如、まほろば堂を訪れた女性はそう尋ねた。


 ◇


 店内の古時計がぼおんと時を告げる。

 午前十時。いつもならば昼営業の開店時間だ。


 倉敷美観地区の老舗土産屋『まほろば堂』。

 藍染暖簾の垂れ下がった引き戸には『臨時休業』の張り紙が。思いも寄らぬ来訪者に急遽対応するためである。


「どうぞ」


 逢沢あいさわ望美のぞみが、備前焼の湯呑を差し出す。


「つねき茶舗のほうじ茶です」


 望美は茜色の和装メイド姿。普段の仕事着だ。臨時休業とはいえ、通勤姿に着替える間が無かったのだ。


「あ、ありがとうございます」


 緊張が伝わる声で二十代前半と思しき色白の女性が会釈する。

 店内奥のテーブル席。いつも夜の接客で使用している場所だ。


 この店の密かな夜の業務内容は『冥土の土産屋』

 死後の世界への道先案内代理店だ。


 ――幽霊とかじゃない筈……よね?


 望美が最初にまほろば堂を訪れた時は、彼女自身が生霊だった。だから生身の人間である今の望美には、もう以前のように霊の姿は見えない筈なのだ。


 ――どうなんでしょう、店長?


 対面席に座る男性の顔をちらと見る。

 店主の蒼月あおつき真幌まほろ。藍染着流し姿だ。こちらもいつもの仕事着である。


 肩まである白髪から垣間見える、長いまつ毛に包まれた鳶色の瞳。対面の女性を真っ直ぐに見据えている。三十一歳で総白髪。その原因と思しき女性の顔をまじまじと。


 女性が店を訪れた直後、真幌はこれまで望美が見たことない程の動揺の色を隠せなかった。今はすこし落ち着きを取り戻したのか、冷静に襟を正そうとしている風にも見える。


 望美の無言の問い掛けに気が付いたのか、真幌が視線を返す。


 ――ご、ごめんなさい。あたし出過ぎた真似を。


 慌てて望美はカウンター席に目線を逸らした。倉敷硝子の蒼い一輪挿しに活けられた花水木ハナミズキが風もないのに微かに揺れている。


 気を取り直そうと呼吸を整える。真幌の前に備前焼の湯呑を置くと、望美は藍色の丸いお盆を胸に抱え、逃げ腰で背を向けようとした。


「待ってください、望美さん」と真幌が引き止める。


「一緒に話を伺って貰えませんか」

「……へ?」

「ええ、ご迷惑でなければ」


 望美の返事を聞く前に真幌は立ち上がり、カウンター席の椅子を取りに向かった。


「そうして頂けると助かります。自分もこの状況を詳しく把握しておきたいので」


 来訪者の女性も望美にそう問い掛ける。


 真幌が戻り、自分の席の左側に椅子を置く。

 望美は「では、お邪魔します……」と居心地の悪そうな顔で真幌の隣に座った。


 真幌ががぶりとほうじ茶を飲み干す。余程喉が渇いていたのだろうか。

 刹那、小声で「熱っつ」と呟く。普段、冷静沈着な店主には考えられない挙動だと望美は感じた。


 ――なんかこのシチュエーションって……。


 側から見れば不倫ドラマの修羅場みたいかも。変に誤解されてなければいいけど。そう思いつつ、望美は改めて対岸の女性の顔を見る。


 年齢は二十三歳の望美と同じぐらいだろうか。

 しかしその美しさは、自分とは圧倒的に異なると望美は率直に感じた。


「あの」と、うつむき加減に女性が口を開く。


 長いストレートの黒髪に透き通るような白い肌。人形のように整った顔立ちだ。病的なまでに細い肢体。レースの白いワンピース。つばの長い帽子をひざ元に置いている。


 その麗しい顔には、望美にも確かな見覚えがある。

 忘れもしない。以前、真幌の義理の姉である中邑なかむらしのぶのスマートフォンの画面に映っていた女性だ。


「あの、わたしは……」


 例えるならば、花水木の可憐な白い花。

 その女性は真幌の妻で六年前に他界した――。


蒼月あおつき美咲みさき。それが、わたしの名前でしょうか?」

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