アトル王子
あたしらは、植物学科第四研究室を出た後も大学内をあちこち見学した。そして大講堂の前を通りかかった時、中で何か集会をやっているらしい沢山の人の声が聞こえてきた。キアラ女史が説明してくれる。
「そういえば、大講堂で法学部などの学部代表が公開討論をやるって言っていました。少し覗いて行きましょうか。中々ない機会ですし、個人的に興味もあります」
あたしらは、キアラ女史を先頭に大講堂に入った。中には熱心に議論を戦わせる数人の大学生と、その議論に耳を傾ける数百人の学生たちがいた。
「イスバルは数百年専制君主制でうまくやってきたけど、とうとう限界を迎えたじゃないか。やっぱり専制君主制は、完全ではないんだよ」
「おい! 具体的な政体の固有名詞は出さないルールだ」
「ああ、悪い。別にイスバルでなくたっていいんだ。問題は国家という巨大な組織を一人、もしくはごく少数の人間が治めることができるかという話なんだよ。『安定した統治』という意味でだぞ」
「政治について学んだ者なら、誰でも他星系における民主共和制の政治体制がいかに腐敗しやすいか知っているはずだ。大衆をより望ましい形で導けるのは、知恵と高潔な精神を持ったごく少数の人間なんだよ」
「大衆って言い方は嫌いだな。そのごく少数の人間に問題があったらどうするんだ。言いたかないが、ごく身近にいい例があるじゃないか」
「なあ、本当にアトル王子が即位すると思うか?」
「今関係ないだろ? それ?」
「悪い……、どうしても気になって……」
「今この大学でその話題が気にならない奴なんていないよ、でも今は大勢の人の時間をもらって話す場を作ってるんだ、討論会に集中してくれ」
「そうするよ、……で、なんだっけ?」
「結局、国民全体が高い精神性を持っていなければ同じことなんだよ! いずれ政体や国全体が腐敗に向かうリスクが消えることはないんだ!」
「おいおい……、それを言っちゃ身も蓋もないだろう? 僕たちはファンタジーを語るために集まったんじゃない。現実的な話をするために集まったんだ」
「つまり専制君主制は、君主に問題がなければ国民を腐敗から遠ざける機能を持つが、君主に問題がある場合に備えて、君主から国民を守る仕組みが必要だってことなんじゃないか? 人は過ちを犯すものだし、永遠の命を持ってるわけでもない」
キアラ女史が、しばらく感慨深そうな表情で議論を聞いた後に言う。
「ファティマ様が、今ここにいらっしゃらないことがとても残念です。きっと議論に加わりたいとお考えになったでしょう」
クリスが驚いた顔でキアラ女史に聞く。
「彼らは専制君主制を否定するかのような議論をしているように聞こえますが、ファティマ様は失望されたりしないのでしょうか」
キアラ女史がにっこり笑って言う。
「いいえ。ファティマ様は、常にあらゆる可能性を模索していらっしゃいます。あまり勝手なことも申せませんが、もしファティマ様がイスバルを民主共和制にすることが必要だとご判断され、国民の負うリスクを回避する方法をお持ちであれば、躊躇なくこの国を民主共和制に移行させようとなさると思いますよ」
いくらあたしでも、キアラ女史がどれだけ大変なことを言っているかくらいのことはわかるつもりだ。ファティマ王女らしいとも思ったが、やはり同時に危うさを感じないではいられなかった。クリスがキアラ女史に答えて言う。
「そうなのですね。キアラさんが、ファティマ王女が本質的な部分では革新的なお考えをお持ちだと仰っていた意味が少しわかった気がします」
キアラ女史がため息をついて言う。
「とはいえ、ファティマ様も先日のアトル王子の王位継承宣言については、頭を抱えておいでです。王立総合大学で聞いた学生の声も、ファティマ様へご報告申し上げないといけません」
翌日、あたしらはファティマ王女とキアラ女史が待つ執務室に行った。あたしらが執務室に入ると、そこにはキアラ女史の弟、シャム氏もいた。シャム氏とお互いの自己紹介を済ませた後、シャム氏がにっこり笑って言う。
「姉から聞いていた通りです、皆さんお美しいですね。軍人さんの印象が変わりましたよ」
あたしは、他人の外見を褒めることはあっても、自分の外見を褒められたことがほとんどなかったので、『美しい』なんて言われるとどうにも落ち着かない……。
キアラ女史が、『アトル王子の王位継承宣言』について説明してくれる。
「二日前のことです。アトル王子がイスバル全国民に対して、一方的に次期国王として王位を継承する意思があると宣言したのです。そしてこの国を発展させるために何が必要かについて、王子のお考えを語ったのです。……それはそれはご熱心に」
ファティマ王女がため息をついてキアラ女史の言葉を続けて言った。
「兄は、こう言っていました。現状行われているいくつかの愚かな政策の中で、国民の教育に割いている予算こそもっとも無駄なものであり、早急な打ち切り、もしくは大幅な削減が必要であると。教育は成果に見込みのある者、つまり王族、もしくは大臣の家系のものに限るべきだそうです」
キアラ女史がその後を続けて言う。
「そして、教育全般に割いている予算を星系内外から食料を輸入することにまわせば、現在食料生産に使っている、王子曰く、莫大な予算を節約できるそうです。元々イスバルの土壌は食料生産に向いていないのだから、イスバルの大いなる恵みであるフォースニウムから得る財源で食料需要を賄うのが最も効率のよいやり方であると」
ファティマ王女は、ゆっくり首を振って言った。
「できればもっと時間を稼いでいたかったのですが、そうも言っていられなくなりました。ラスタマラ家のエージェントが妙な知恵を付けたのでしょう。兄のあの宣言のお陰で、特に大学の学生たちには深刻な動揺が広がっているようです。彼らは、イスバル経済全体から見れば重要な位置にいますが、彼ら自身はそのことを自覚しにくいのです」
キアラ女史が心配そうな顔をファティマ王女に向ける。
「ファティマ様……」
ファティマ王女がキアラ女史に笑顔を向けて答える。
「心配しないで、キアラ? 私は大丈夫です、わかっているでしょう? 想定していた範囲です。イスバルをラスタマラ家の思い通りにはさせませんよ」
そして、ファティマ王女は力を込めた表情で言った。
「イスバルの全六領主、及びイスバルの全国民に対し、二週間後の全イスバル臨時合同会議開催を通達します」
キアラ女史によれば、全イスバル合同会議とは、年に二回、イスバルの全ての領地から代表者が集まって行われるもので、会議の後には全国民に対して議決内容の報告を行うそうだ。今回のように臨時で行われることはほとんどないとか。前回臨時合同会議が行われたのは、四十年程前になるそうだ。
王宮の中が臨時合同会議の準備で騒がしくなった。臨時合同会議の間は、会議に出席するイスバル全六領地の代表団が宿泊するので、その準備に追われることになったのだ。アトル王子は、王宮内の騒がしさに迷惑そうな顔をしていた。
「またファティマが何か言い出したみたいだな。迷惑この上ないよ。もう少し他人を気遣う心を持って欲しいものだ」
第一王妃も同意する。
「全くアトルの言う通り。これだから一般庶民の血というのは嫌になるわ」
ファティマ王女も、キアラ女史やシャム氏も、臨時合同会議の準備で大忙しだった。クリスやあたしとデイジーは、この喧噪の中でファティマ王女に危険が及ぶことがないか、目を光らせていたが、特に気になるようなことはなかった。
ラスタマラ家のエージェントとも何度か顔を合わせた。王宮では今回のような合同会議の他、大臣と王女が出席する小会議を三日に一度開いているのだが、臨時合同会議の開催が決定してから開かれた小会議に王子が顔を出すことがあり、その際にラスタマラ家のエージェントが一緒にいたのだ。
ラスタマラ家のエージェントは、何とも複雑な空気感を持つ男だった。重たい不快感と強烈な甘さを同時に感じるような、今までに感じたことのない匂いだった。姿を見た瞬間、あたしは鳥肌が立つのを感じた。恐怖というより、言いようのない警戒感を刺激される感じだった。
ファティマ王女派の法務大臣が、小会議の開かれる小広間に入ってきたラスタマラ家のエージェントを見て嫌な顔をする。
「星間宇宙軍がファティマ様の護衛としてここにいるのはわからないでもないが、なぜラスタマラ家のエージェントがここにいるのだ? 彼はアトル様の護衛ではないだろう?」
ラスタマラ家のエージェント、ロバートと名乗ったその男が愛想のよい笑顔を浮かべつつ、うやうやしくお辞儀をして言う。
「全く大臣様の仰られる通り、大変恐れ多いことではございますが、偉大なるアトル王子様がお許しになられましたので、この場にご同行させていただいております」
アトル王子派の厚生大臣が口を挟む。
「偉大なるアトル王子様がそう仰られているのであれば、何の問題もない」
厚生大臣の言葉を受けて、アトル王子が法務大臣を睨んで言う。
「私に何か文句があるのか? 法務大臣?」
さすがに王族に向かって『あなたの連れは虫が好かない』とは言えないらしい法務大臣が下を向いて言う。
「……いいえ、滅相もないことでございます」
あたしがロバート氏の方を見ると、あちらもこちらを見て会釈をしてきた。クリスとあたしは会釈を返したが、デイジーは知らんぷりをしていた。やはりラスタマラ家には拒絶反応がでるらしい。無理もないが。
通常の小会議は、各大臣からファティマ王女への業務報告とそれに対する王女の質問、もしくは指摘が主な内容だが、アトル王子が出席しているときは王子がファティマ王女の言うことにいちいち文句をつけていたので会議の進行が遅かった。ファティマ王女はアトル王子の文句に一つ一つ丁寧に返していたが、アトル王子はその度に論点をずらしてしまうので会話が成り立たないのだ。
例えば、こんな感じだ。
「……王立総合大学の研究は、イスバルの将来を見据えた取り組みの一つです。定期的な成果を見込む必要はありません」
ファティマ王女が口を開と、すかさずアトル王子が口を挟む。
「教育機関への予算投入なんて、いつまで無駄なことに金を使っているんだ。大学なんてさっさと潰して輸入食糧の取引先を見つけるようにした方がイスバルのためだろう?」
ファティマ王女は、辛抱強く説明しようとする。
「兄上の仰るお話は、フォースニウムに継続的な一定以上の需要が見込まれる場合にのみ有効なのです。百年後も同じ状況であるとは限らないのですよ」
ファティマ王女の誠意は、アトル王子には通じない。
「ファティマ! お前は、イスバルの偉大なる恵みたるフォースニウムが全銀河から不要とされる日が来るとでもいうのか?! それはイスバルへの不忠を示すものなのではないか?!」
……まあ、こんな調子だ。そんなやり取りが行われている間、王子派の大臣たちはもっともだというように頷き、王女派の大臣たちは頭を抱えていた。ロバート氏は終始にこにこしていた。クリスは冷静に会議の成り行きを見ていたが、あたしは王子の態度にいらいらしていた。デイジーは……、あくびをかみ殺すのに苦労していたようだ。
全イスバル合同会議の議題は、イスバルの各領地の近況や技術交流などをテーマにしたものが多いそうなのだが、今度の臨時合同会議の場合は、通常の合同会議よりもずっと重要なことが話されることになっている。
「臨時合同会議では、私も王位継承について意思表示をする必要があります。成人前なので正式にではありませんが、成人までの暫定王位という形を提案します」
ファティマ王女の言葉にキアラ女史が答えて言う。
「しかし……、アトル王子と王子派の諸侯が納得するでしょうか」
ファティマ王女が言う。
「そこは臨機応変に話を持っていくしかないでしょう。それ程難しいことではありません。要は兄が王位に就くことを阻止できればよいのです。私が王位継承の意思を明確に示すことで、少なくとも兄と同じ立場であることを国民全体に意識してもらう必要があるのです」
ファティマ王女がそこまで話した時、クリスがファティマ王女に話しかけた。
「ファティマ様、臨時合同会議開催にあたり、いくつかお願い事がございまして……」
「はい、何でしょう?」
ファティマ王女がにっこり笑って答えると、クリスが少し緊張した様子で言う。
「実は、臨時合同会議当日の星間宇宙軍護衛の増員と、緊急脱出用
これは、この日の前にベティからあたしら三人に話されたことだ。正直、その内容は衝撃的だった。
ファティマ王女が少し不思議そうな顔をして尋ねる。
「何かご心配されるようなことがございますか?」
クリスが答えて言う。
「はい。ベティの申すところでは、この数日間、イスバル星付近の宙域から正体不明の重力波を検出しているそうです。ベティのよく知っているものに近いが、別のものだと」
「ベティ殿のよく知っているものとは?」
ファティマ王女の問いにクリスは答えて言った。
「ジャンヌ・ダルク号……、私たちの
「それは……、どういうことでしょう?」
キアラ女史も不思議そうな顔になる。クリスが説明する。
「説明しないとわかりませんが、私たちの
状況を掴みかけたらしいファティマ王女が、真剣な表情で言った。
「つまり、星間宇宙軍よりも進んだ技術を持った何者かが、イスバルの近くまで来ていると?」
クリスの眉間に深い皺が寄る。
「……あくまで可能性の一つです。しかしジャンヌ・ダルク号は、星間宇宙軍でも捕捉できないステルス機能を持っています。同様の技術で建造された
つまり、クリスの叔父さんが絡んでいるってことだ。それこそ可能性の話ではあるが、クリスの叔父さんが
ファティマ王女がため息をついて言った。
「成程……、その何者かが何を考えているにせよ、星間宇宙軍の技術だけでは太刀打ちできないということですね。クリスティーナ殿御一行なら、対抗できるのですか?」
クリスが答えて言う。
「後手に回ってしまっているところではございますが、私たちであれば何某かの手段を講じることは可能であると考えています。しかし、ハトマの街の人々や王宮の方々の安全まで考えると、私たち三人だけでは戦力不足である可能性が高いのです」
ファティマ王女が頷いて言った。
「わかりました。王宮としても協力は惜しみません。クリスティーナ殿御一行のよろしいように手配してください。他に必要なものがあれば、何なりと仰ってください」
イスバルに来るとき、当分クリスの叔父さんとは縁がなくなるだろうと考えていたあたしは、甘かったのだろうか。クリスの方を見ると、険しい表情のままだった。叔父さんのことが絡むと、どうしても故郷の最後を思い出してしまうのだろう。
この話をしていた時のベティの言葉を思い出す。
「もう一つ、このところジャンヌ・ダルク号の回線がアタックされているようなのです」
「アタック? 攻撃されてるってことかい?」
あたしがベティに尋ねるとベティは答えて言ったんだ。
「はい。つまり不正アクセスを試みられているということです。アタックの速度で私を上回っていませんので、アタックそのものが成功することはありませんが、こちらがラスタマラ家の業務回線に侵入していることに気付いたのかもしれません」
ラスタマラ家もやられっぱなしじゃないってことか。あたしは、合同臨時会議開催に向けて、皆の緊張感が高まってきているのを感じていた。
to be continued...
イマジナリーズ マキシ @Tokyo_Rose
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