まだ見せたくない。

エコエコ河江(かわえ)

お題:可惜夜(あたらよ)

 星座の生き残りがいた。足元に見たばかりのカマドウマと同じだ。生活圏からつまみ出されて山奥に隠れ棲む。肌寒くなるのは予想外だが、今は僕一人だ。もう少し眺めていてもいい気がした。


 高校生っぽいことをしたい下心もあった。アルバイトで学費を稼ぎ、やっと入学した定時制だ。似たような事情の者が多いと思っていたが、実際は中学を出てすぐらしき生徒に囲まれて、勝手に仲間のような気持ちになっていた。性格も体格も大人しいから目立たないだけなのに。


 地上で光が揺れた。僕の体を照らした時間はわずかで、地面を揺れながら近づいた。最後に持ち主の顔を下から照らし、僕の驚き声に満足して消えた。


「よ。邪魔するね」


 彼女はひとつ先輩の梶朝日かじ・あさひ、同じ授業を週に三つも取っていたのをきっかけに仲よくしてもらっている。


「消灯が近いけど、どうしたのよ」

「星が見えたので」


 梶さんも上を向いた。天体望遠鏡を持つほどのお方が満足するかはわからないが、じっと眺めているので、とりあえず悪くはないらしい。


「ナイススポット。初修学旅行の初夜空は綺麗でした、と」


 その間、僕は空よりも横を見てしまった。首が細くて凹凸が少ない、今は催したくない情が色白のシルエットに気づいたら、ちょうど天の川のような輝きに感じた。


「梶さんは何を?」

「トイレ。つまらない理由でごめんね」

「もしかしてトイレが外にあります?」

「見てなかった?」

「パーキングエリアと、さっきコンビニで済ませちゃったので」


 暗闇でも呆れ顔でこっちを見ている気がするから、頑なな横顔で誤魔化した。首の疲れを感じたので手元の袋へ向けた。静かにしようとしても、ポリ袋はガサガサと鳴るし、缶はカシュッと気味のよい音で主張する。


「おっと待ちたまえ後輩よ、お酒じゃあないかねそれは」

「僕こう見えて二十ですよ」

「あらそうなんだ。内緒にしとくね」

「飲みます?」

「や、私は未成年」


 先輩が歳下で、後輩が歳上。しかも今は修学旅行で、手元にはビール。高校生としては珍しい組み合わせに見えても、文明の舗装で隠れがちなだけで同じ国に住んでいる。


「しかし君、二本も飲む気とはね」

「明日の分ですよ。本当は、他にも欲しかったんですけど」

「ポテトくらいならつまめるけど」

「僕、中学を出てからバイト漬けだったんですよ」


 友人たちが高校生や大学生になっている頃に、僕は品出しをして、レジ打ちをして、誘導灯を振り、段ボール箱を丁寧に運んでいた。家はほとんど歯磨きとごみ出しと風呂と眠るだけで、たまに余裕ができた日にはノートと練習問題で遊んでいた。


 スーパーマーケットやコンビニにあるもの以外を忘れてしまった。一年目の途中からは、それ以外なんか最初からなかった気さえしていた。たまに思い出しても、半端な時期だからと後回しにした。その結果が娯楽が酒だけの暮らしだ。


 修学旅行は二年に一度で、入学年と関係なく参加できる。一年目にいきなりでもいい。


「なのでその缶ビールを飲まずに済むようなお楽しみが欲しい、と」

「結果といえば、一人の世間知らずが見つかっただけですが」

「気が早いよ。明日も明後日もあるのに」

「明後日は帰るだけじゃないですか」

「ただいまと言うまでが遠足だよ」

「そう言われると何年も帰ってない気がします」


 小さな安アパートに一人暮らしだと、独り言でさえも不興と喧嘩の押し売りに繋がる。しかも四方八方から来る。梶さんはそんな事情を知らないはずなのに、思い浮かんだからつい口走ってしまった。


「梶さんも聞いていいですか」


 慌てて話題を逸らす。やり方も言葉選びも滑稽に感じたが、取り繕う風を装えた。缶ビールの話では深掘りをされたくない。


「悪いけど、ただの二浪だよ」

「すみません」

「意外かい? 私がおバカちゃんだと」

「頼りになるイメージはありましたね」


 梶さんは笑ってくれた。頼った実績があるので話は弾ませられる。いかに助かったかを語るチャンスだ。たった四半年の思い出はすぐに尽きるが、広げるに十分ではあった。


 ひと通りを言い終えたら、梶さんは訥々と話した。


「文字が苦手なんだ」


 表情が見えたので、つられて僕も神妙な顔になった。


「声でなら覚えられるとわかるまでが半年、音読できる場所で追いつくまでが一年半。言ってしまえばこれだけだよ」


 言葉はすぐに止んだ。止んでも頭の中では響き続ける。雨が水溜りを作るのと同じく。


 文字が苦手ならどうなるか。一番に思い浮かんだのは、不興と喧嘩の押し売りだ。僕はそんなアパートでも少しとはいえ勉強ができた。黙読ができたからだ。


 思い返すと梶さんは、ラウンジの自販機に新しい飲み物を見つけたら、読み聞かせるように名前や金額を口にしていた。紹介してくれただけだと思っていた。


「お互い、重いみたいですね」

「かもね。内緒話だ」


 下を見ていた。暗闇に慣れた目を改めて上に向けると、星が輝きを増していた。比喩でないほうの天の川まで、はっきりと。


可惜夜あたらよだねえ」


 梶さんがつぶやいた。


「なんですか、それ」

「知らないか。百人一首の」

「かるたみたいなやつですよね。ほとんど覚えていませんが」


 梶さんは何か企んだように上機嫌になった。何かメッセージがあるに違いない。そういうことをする人だ。とはいえ調べるのは後で、まずは目の前にある楽しみを味わい尽くす。


 修学旅行の土産は重かった。

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