第39話

 気付けば、マグダレア領は近隣貴族家からも注目を浴びるようになった。

 社交シーズンが始まって以降も、彼らと縁を繋ごうとする人々が引っ切りなしである。


 ロビンとアナも今回は初めての社交シーズンということで王都で過ごしているのだが、こう毎日夜会だの茶会だのに誘われてはさすがに困惑する。


 大きいところからの誘いを断るわけにはいかないからといくつか選ぶことに決め、その日はモルトニア侯爵家の夜会に参加することにしたのである。

 かつて婚約解消した家とはいえ、円満な・・・解消であったこと、まもなく婚礼を執り行うジュディスとの仲が良いことを周囲に改めて知らしめるためにも、この参加は必要なのであった。


「けれど私も社交場に出るのは久しぶりだから、とても緊張するわ……」


「大丈夫だ、アナ。頼りない夫だが体だけはデカいから、何かあってもアナを連れて逃げるくらいはできる」


「ロビン様ったら」


 至極真面目な表情でそんなことを言うロビンに、緊張から僅かに顔色を悪くするアナも笑う。

 果たして冗談であったかどうかはともかくとして、緊張しているという点ではロビンも同じだ。


 かつてモーリスの言葉に苛立ちを覚え、我慢も仕切れずアナに求婚してしまったのは彼にとっても苦い思い出である。

 結果がこうして幸せなのだから良かったものの、早計すぎると思われてこの幸せな時間がなかったらと思うとゾッとするのだ。


(今日ばかりは大人としてしっかりとしなくては……アナにいいところを見せたい)


 貴族関係の立ち回りは、マグダレア家ではすっかりアナの仕事になっていた。

 それは女主人として家周りの采配を執るだけではなく、近隣貴族への挨拶や社交、取引などでの書類、手紙のやりとりなど多岐に渡る。

 勿論、ロビンが何もしていないわけではない。

 補佐官に頼りがちではあるものの、慣れない書類作業や領地内の治水、開墾などの陣頭指揮、夜盗や害獣の駆除にも走り回る日々である。


 そういう面で努力を重ねているロビンのことをアナは頼もしいと思っているが、それでもまだまだだとロビンは有能な妻にがっかりされないためにも今日は気を引き締めるのであった。


「それにしてもロビン様、本当にこんな素敵なドレス、いいのでしょうか……」


「何を言っているんだ。とても似合っているよ、アナ」


 アナが着ているドレスは王都でも人気のデザイナーが作ったオーダーメイドドレスだ。

 本来なら予約するだけでも大変なのだが、そこはロビンがアナの祖父に頭を下げて協力してもらい、金銭は予算の他にこれまで貯めていたへそくり・・・・をつぎ込んで用意した逸品である。


 確かに新婚夫婦として考えるならば少々贅沢なのではないかとも考えられるが、それでもロビンは普段慎ましやかで欲もなく、節制に励みながら侍女たちと家庭菜園で笑い合う、そんな健気な妻にプレゼントがしたかったのである。


 実際、ロビンが褒め称えるアナの姿はとても綺麗だった。

 今日のアナは既婚者らしくまとめ髪だ。

 

 艶やかな赤い髪をサイドにまとめ、後ろでしっかりと結い上げて青みの強い大ぶりの花飾りをつけている。

 片方だけ落とされたサイドの髪が花と一緒に揺れる姿が、なんとも艶やかであった。


 ドレスは露出が低めの青いもので、所々に黒いレースがあしらわれ、そこに真珠が散らされていることで優美さが加わっている。

 動くとその青い布地の光沢が、まるで月に照らされた海の夜のようにキラキラと輝く。


 モルトニア侯爵家の夜会は、見事なものだ。

 マグダレア夫妻と侯爵家は親しい間柄だと訪れた客たちには見えていたことだろう。


 事実、侯爵夫妻が率先して彼らを出迎え、そして周囲に紹介して回ったのだ。

 加えてジュディスがアナと親しく話す姿は、周囲からは『将来の王妃が親しくしている貴族』として十分に印象付いたに違いない。


 そのパーティー会場では多くの視線が、マグダレア夫妻に向けられていた。

 だからだろうか。


 和やかに会話する夫妻を、強く見つめる視線が紛れていたのは。


 会話を重ね、ダンスをし、また会話をし――基本的に夫婦一組で動くこの夜会で、ロビンとアナが離れることは殆どない。

 さすがに引っ張りだこにされた二人は少しばかり疲れを感じて、テラスの方へと夜風にあたるため足を運んでいた。


「凄いな、世の貴族の方々はあんな風にやりとりしてるのか……」


「そのうちロビン様も慣れます」


「慣れたくないが、慣れる必要があるんだろうなあ。領民たちのためにももっと流通とかに力を入れてやりたいし」


「そうですね……」


 テラスには他の貴族夫婦たちの姿もある。

 窓ごとに小さく作られたそこは憩いの場でもあるようだが、ロビンとアナがやってきたのは広々としたテラスであった。


 テラスでは適度な会話をする以外、基本的には軽く会釈をする程度で済ますのがこの国ではマナーだ。

 一息つきたい人が他にもいてくれることに、ロビンがあからさまにホッとしたのを見てアナは笑った。


「ロビン様――「アナ!」――えっ?」


 アナが何かを言いかけて、彼女の名前を呼ぶその声に思わず戸惑う表情を見せる。

 ロビンは咄嗟にアナの肩を抱き、自分の後ろに隠すように庇った。

 周囲が俄にざわめいたが、それもアナの耳には入っていない。


「……ブラッドリィ伯爵令息……?」


 どうしてここに、とは言わない。

 モルトニア侯爵家が開いた今回の夜会は、大規模なものだ。

 貴族派と国王派の多くが参加しているのだから、ブラッドリィ伯爵家に招待状が届いていたとしてもなんらおかしな話ではない。


 アナの気持ちはどうであれ、ブラッドリィ伯爵家との関係も円満に・・・破棄されているのだから。


「アナ……アナ、いや、マグダレア男爵夫人……その、久しぶりだね」


(どうして)


 縋るように見てくる幼馴染みが、本当に知らない人のように思えて。

 アナは、知らず知らずに恐怖を覚えて夫の背に庇われながら、ギュッと持っていた扇子を強く握りしめるのだった。

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