第16話

 モーリスは、理想的な婚約者だった。

 少なくともアナが彼に対して不満を思うことはなかったのだから、そういうことなのだろう。


 ジュディスも何回かの町歩きである程度は満足したのか、毎週末に出かけることはなくなったのでモーリスが頻繁に学園を訪れることはなくなった。

 だが毎週末には手紙が届くし、贈り物も添えられる。

 アクセサリーやドレスのようなものは学生の身なので、花や小物、菓子などが主であった。


 出かける際にはきちんとした格好で現れ、アナの姿を見て褒め称え、そして完璧なエスコートを見せるのだ。

 

 デートの内容は様々だ。

 王都内の観光案内であったり、年若い女性に人気の雑貨店であったり、貴族御用達のドレス店やレストランなどもあった。


「夜間の外出が可能なら、オペラハウスも案内したいところだったんだが……」


「それは寮の規定に違反してしまいますから」


「そうなんだよなあ。まあ、それは卒業後結婚してからの楽しみにしておこうか」


「……は、はい」


 モーリスは理想的な婚約者だ。

 それはアナも思う。


 だがそこに恋愛感情があるのかと問われれば、少なくともモーリスの側にはないのだろうと思う。

 彼は心の底から貴族だと、アナは感じていた。

 貴族だからこそ、その矜持と義務を理解して政略的なものも飲み込み結婚し、子を生していけるのだろう。


 ベイア子爵家は特にどこの派閥に入っているわけでもないが、下位貴族の中では裕福な方であるし、母親が平民とはいえ王都でそれなりに顔が広い商人の娘である。

 加えてジュディスと親しいことも考えるなら、モルトニア侯爵家が自身の派閥、ないし身内にと取り込もうと考えるのは当然のことであった。


 そしてそれは、同時にベイア子爵家を守ることにも繋がるのだ。


(……オーウェンの時とは違う。これは、本当に政略結婚)


 だが、少なくともその中でモーリスはアナに対して誠実であろうとしてくれていることを感じ取っている。

 だからこそ、彼女も良い婚約者、そしていずれは良い妻になろうと心に決めていた。


 彼から見れば、妹の友人なのだ。

 つまり妹と同じ年の少女など子供にしか見えないはずだとアナは理解している。


「そういえば、学年の終わり前の長期休暇なのに領地に戻らないんだって?」


「……はい。ブラッドリィ伯爵令息が、私が領地に戻るなら直接謝罪をしたいと言っておられるようで。お断りはしているのですが……」


「そうか……」


「済んだ話ですし、新しい婚約者の方も良く思われないでしょう? ですが学園でも周りの目があるから、領地で落ち着いて話したいとそればかりで……」


「ふむ……伯爵家に苦情は?」


「どうしようかと思いましたが、これ以上お二人にご負担をかけたくなくて」


「そうか……」


「領地の父には相談してありますので、モーリス様にご迷惑がかかることはないと思います」


「いや、それは心配していない。むしろ俺を頼ってくれていいんだが」


「ありがとうございます」


 オーウェンが何を思って謝罪を申し出ているのかはわからない。

 少なくとも学園で彼を見かけても、彼の新しい婚約者はアナに声をかけようとするオーウェンをよく思っていないことは明白だ。


 今更謝罪を受けたところで両家の間での取り決めはすでに決まっているし、慰謝料も払われている以上ほかに何かあるわけでもない。


(良心の問題なのかしら)


 アナは少なくとも、恨んでいない。

 オーウェンのことを考えると胸はまだ少し痛むが、それももう落ち着いている。


 だが新しく婚約を結んだばかりで元婚約者といざこざがあったなどという醜聞はないに越したことはないし、モーリスが前面に出てしまえば今度こそブラッドリィ伯爵家は窮地に立たされることが予想できた。

 アナとしてはオーウェンの罪はオーウェンの罪で、これ以上ブラッドリィ伯爵夫妻に負担が行くことを恐れたのだ。


 そのことをあえてモーリスに説明することは、アナには躊躇われた。

 婚約者になったからといって、全てを明かす必要はあるのか。明かしてしまったことにより何が起こるのか、それを彼女は考えなければならなかったのだ。


「……アナが領地に戻らないなら、少し遠出をしないか? ちゃんと日帰りできる距離だ」


「遠出、ですか?」


「ああ。ここから馬車で少し行ったところにある小さな町があるんだが、祭りがあるんだ。そこに旅の一座がやってくると聞いた」


「まあ……!」


 アナも幼い頃は領地の祭りに両親とヨハンとよく行ったものだ。

 オーウェンと婚約してからは貴族令嬢として淑女の振る舞いを彼に求められていたこともあって足が遠のいていたが、懐かしい気持ちに思わず笑みがこぼれる。


「その表情が返事と受け取っていいのかな? 婚約者殿」


「ありがとうございます、モーリス様。是非!」


 領地に帰れない寂しさを察してくれたのだろうか。

 それを思うと、アナは嬉しく思ったのだった。

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