第5話 おっさん、弟子と向き合う

 翌朝。

 洋一は昨晩から行方をくらませた弟子のヨルダの捜索を始めた。


「全く、あいつめ。まだやってもらいたいことはいっぱいあるっていうのに。どこいったんだ?」


 洋一はどこかで隠れて息を潜めてるヨルダに向けて声をかけて回った。

 昨日は迂闊だった。

 まさか女の子だったとはな。

 相変わらず人を見る目がないものだと愚痴が口をついて出る。

 

 洋一とて、別に相手が女の子だろうと態度は変えやしないのに。

 そんな考えではあるが、それは男であるがゆえに至らぬ考えでもあった。


 かつて相棒の藤本要ヨッちゃんが言っていた事。

 能力が低い、搾取される側の女は、男とは求められる需要が異なると。

 それが尊厳に向くとは思いはしても、男であるが故の危機感の低さが招いたすれ違いでもあった。





「──はぁ、はぁ。ここまでくれば大丈夫」


 ヨルダは周囲を見回して、洋一の追跡がないことを目視で確認して安堵した。


「ってなんでオレ、師匠の元から逃げちゃったんだろ……」


 あんなに良くしてもらったのに。

 裸を見られたぐらいでテンパりすぎだ。


 師匠と慕い、弟子として一緒に暮らした。

 一度たりともそういったことを求められた覚えはない。

 騎士団のむくつけき男達とは違うのに。


 どこかでその顔がフラッシュバックした。


 あろう筈がない。

 あの男達とは根本的に違う。

 わかっているのに、体は震えた。


 家を出て、男になろうと決意して髪を短くした。

 口調も可能な限り男っぽくしたし、雑務でもなんでもやってみせた。


 騎士団に入るまではそれこそ食べられない日もあった。

 でも騎士団に入れたら、そこからはきっと仕事がもらえるから。


 そんな希望だけで生きていた。

 その希望は叶えられることはなく、平民に向けられる貴族からの暴力が日常に加わった。


 何かをしたわけではない。

 ただ目の前を通ったから。

 むしゃくしゃしてたから。


 そんな理由で殴る蹴るの毎日。

 男であるとわかっていても、体を求められた。

 もし女だとバレたらどうなってしまうかわからない日々を生き抜いて……


 涙が溢れる。

 手のひらで拭っても、次いから次から溢れてきて。

 罪悪感で泣き叫びたいほどだった。


 ヨルダとてわかっている。

 洋一は貴族の男とは違うと。

 でも、洋一に押さえつけられたらきっとヨルダは抗えない。

 一緒に暮らしていたからこそわかる力量差。


 だから、重なった。

 組み敷かれた記憶がフラッシュバックする。

 そこに洋一の顔が重なって、気がついたら逃げ出していた。

 逃げたところで帰る場所なんてないのに。


 わかってる、あの場所が、洋一場所が安住の地だと。

 実家からはまだ指名手配がかかっている頃だろう。

 騎士団に捕まったら、乱暴された後にあの家に送り返される。

 だったらここで死んだ方がマシだ。


「やっぱり帰ろう」


 洋一の話を聞いて、この人なら大丈夫だって。

 自分でそう思ったんじゃないのか?


 男だと偽ったヨルダを、洋一はどこか困ったような態度で引き取ってくれた。

 女じゃないから残念だったという訳じゃない。


 もっと深刻な、自分も食うのに困ってたのにも関わらず、引き取ったのだ。

 もし自分が同じ立場だったとして、同じ事が出来るか?

 

 出来るはずもない。

 この身に流れる貴族の血が、何よりも自分の命を優先する。


 何が独り立ちするだ。

 そんな事、できやしないのに。

 洋一に頼り切った生活を送って、すっかり勘違いしてしまった。


 そうだ、帰ろう。

 帰って、逃げてごめんなさいって言おう。


 ヨルダは駆け出し、そして何かにぶつかった。

 尻餅をつき、見上げた先には屈強な鎧を身に纏う騎士の姿があった。


「あっあぁ……」


「おいおい、こんな場所に上玉が転がってるじゃねぇか。ぐへへ、ツキが回ってきたぜ」


 同じ隊の、上級騎士だ。

 散々いじめられた。

 汚いクソガキだと。

 生意気だと何度も何度も蹴られた記憶が蘇る。


 体の傷のほとんどが、訓練の時に負った傷などではなく、騎士団の訓練と称したイジメによって負ったものが殆どだ。


「やっやぁ!」


 フラッシュバッグするトラウマに、腰が抜けて起き上がれない。


「おいおい、何をそんなに嫌がってるんだ。すぐ気持ち良くしてやるぞ? 俺に可愛がってもらえる事を感謝するんだな、ひひひ」


 下卑た笑み。

 そしてゴツゴツとした腕がヨルダの両手を拘束する。


 カチャカチャとベルトを外し、顕になった場所からは吐き気を催す悪臭。

 洋一との生活ですっかり匂いが気にならなくなっていたはずなのに、それはヨルダには到底受け入れられない匂いに感じられて。


 足をばたつかせて距離を取ろうと逃げようと暴れるがそれが余計に男を興奮させた。


「こんな場所、誰も来やしねぇよ。観念して諦めるんだな、おら!」


 男の空いた拳がヨルダの顔面のすぐそこの地面を抉る。


「ヒッ」


「お前もこうなりたくねぇだろう? だったら観念して俺に体を預けるんだな。天国を見せてやるよ」


 男の舌が、ヨルダの頬を伝う。

 臭い、臭い、臭い。

 怖気が走る。

 洋一が一緒にいた時には感じられない嫌悪感が湧き上がった。


「ヒヘヘ、興奮してきたぜ。すぐにヒイヒイ言わせてやるろ?」


 男が言葉を紡ぐ途中で、ヨルダの服を捲ろうとした腕が消えた。

 代わりに大量の血飛沫が上がる。


「ヒッ、ヒィィィイイイイ!!」


 森の中で男の絶叫が響き渡った。

 見れば、近くに見慣れた包丁が突き刺さっている。

 洋一のだ。

 

 洋一が助けに来てくれたのだ。


 勝手に怖がって逃げ出した自分を。

 弟子だからって理由で


「師匠!」


 思わず叫ぶ。

 どの口が、そう思うがこんな場所からさっさと抜け出したい一心で大声で叫んだ。


「そこか、ヨルダ!」


 師匠の、洋一の声がヨルダの耳に届く。


「ヨルダァ!? お前ヨルダか!」


 だが、声が届いたのはヨルダにだけではない。

 騎士の男にも届いて、相手にしていたヨルダを改めて認識する。


 今嬲っていたのは、森で出会った女ではなく。

 騎士団でいじめていたオモチャであったのだと。


 逃げ出したオモチャが戻ってきた歓喜の声で、騎士の男はさらに興奮してみせた。

 とんでもない変態である。

 片手を失っているというのに、股間は先ほどよりも大きく膨らんでいた。


「散々世話してやったのによぉ、俺様を裏切るつもりか?」


「どっちがだ! お前らが先にオレを裏切ったんだろ! 今更またオレに何をするつもりだ!」


「はん、口の聞き方をしらねぇガキだぜ。利用価値って言うのを教えてやる!」


「何を?」


 残った右手でヨルダの細い腰を抱き上げては拘束する。


「ウガッ」


「そこのおっかねぇダンナ。こいつの命が欲しいんだろ? だったら俺は見逃せ。そうしてくれない場合、今この場でこのガキを殺す!」


 男は本気だった。

 本気でヨルダを殺すつもりだ。


 そのくせ股間はさらに隆起している。

 殺すのは勿体無いとどこかで思っている顔だ。


「師匠、オレのことは見捨ててくれて良い!」


「そうだぜ、ダンナ。こんなガキ、社会じゃなんの役にもたちゃしねぇ。だったら俺のような有能な存在を生かs……グギャペ!?」


 男は全ての言葉を並べ立てる前に突然息を引き取った。


「師匠?」


 ヨルダが居るのに、それを無視して男を殺して見せる技術。

 それ以上に、洋一が普段見せないような怖い顔をしていた。


「もう喋るな。お前のような権力を翳す輩には反吐が出る」


 今まで見せたことのない、殺し屋のような顔。


「無事か?」


「ヒッ……」


 自分も殺されるのではないか?

 そんな錯覚がヨルダに襲いかかり、声をあげてしまった。


「…………そうか、お前も俺が怖いか」


 ヨルダの反応に、洋一はしょぼくれた。

 弟子として、似たような力を使ってきた時はただすごいと誉めてくれた。

 だから使っても大丈夫だと踏んでいたのだが、やっぱり恐怖を感じさせてしまったかと反省した。


 洋一の能力は、当然ながら人間にも通用する。

 なるべくやりたくないと思いながらも、弟子を助けるためにはこれしかなかった。


 寂しそうな顔。

 信じていたものに裏切られた時のような顔。

 そんな寂しさを思わせる洋一は、ヨルダが思っている以上に繊細で、壊れやすい存在だとその時になって気がついた。


 自分が世界で一番可哀想だと思っていた。

 貴族としての存在価値はなく、平民としての役目も果たせず、騎士なんてもってのほか。

 意味もなく殴られ、蹴られ。帰る場所もない。

 いつ死んだって、誰も悲しまない。


 だから、こんな自分に価値はないと思い込んでいた。

 強い師匠にはわからないことだと思っていた。


 でも違うのだと気がついた。

 師匠もまた、行く場所がないのだ。

 ヨルダに存在価値をみつけていて、いなくなられても困るとその顔が物語っている。


「オレ、師匠のそばにいてもいいのかな?」


「勝手にいなくなられたら困るぞ。俺はお前と一緒の時間を楽しいと、そう考えているんだから」


「うん、うん……」


 ヨルダは洋一に抱き止められた。

 最初こそ騎士の男の顔がフラッシュバックするが、そこには一切のいやらしさのない、暖かさだけがあった。

 

「オレ、まだ生きてていいのかな?」


「勝手に死なないでくれよ。まだまだお前にやってもらいたいことがあるんだから」


「うん、うん……」


「お前は俺の弟子なんだから」


「師匠……」


 感極まってヨルダは洋一の胸で泣いた。

 泣いて泣いて泣き止んで。

 そのあと足元に転がってるいじめっ子の死体に気がついた。


「これ、どうしよう」


 ヨルダは汚いものでも突くように、距離をとって足で踏んだ。


「自然の掟に従おう」


 洋一達はジェミニウルフの生息地に死体を置き捨てた。

 あとは自然によって始末されるだろう。



 

 パチパチッ

 いつもの拠点で、焚き火に温まりながら洋一はヨルダを乗せて胡座をかいている。


「師匠」


「なんだ?」


「オレ、師匠が突然騎士団の奴みたいに豹変するんじゃないかって、ずっとどこかで恐れてた」


「ああ、年頃の女の子はそう言う被害に遭いやすいって聞くよな」


「師匠はそう言うのに興味ないの?」


 どこか言葉を濁しつつ、洋一はなんと答えたものか考えあぐねる。

 年頃の少女のご機嫌伺いと言うより、なんて答えた方が無難か。

 この男にトークセンスを求めることの方が無理難題であろう。


「ないと言えば嘘になるが、誰でも彼でもではないな」


「そうなの?」


「ない。どうも俺は色気より食い気の男らしい。ヨッちゃんにもそう言われたもんさ。お前、色恋に興味はないのか? って」


 笑い話のように語る洋一。

 実際ヨルダを抱き抱えているのにも関わらず、今洋一の関心は焚き火の上で油を滴らせる串肉へと注がれている。


 この時点でヨルダはなんの興味を抱かれてすらいないことに気がつく。


 安堵と同時に、ものすごく寂しい気分に襲われた。

 もうちょっとくらい、興味を持ってくれても良いと思う。

 年頃の少女は、非常に面倒くさい感情を発露した。


「なんかわかるかも。オレも別にそっちはやってる余裕がなくて。でも社会はこんなだから。嫌でもわからせられるって言うか」


 ヨルダもまた本音を語る。

 少しでも洋一に興味を持ってもらえるように。

 せめて串肉から意識を離すぐらいはしたいと半ばムキになり始める。


「ヨッちゃんも似たような苦労をしてたみたいだな。あの人はまるでそんな気配を匂わせないからなぁ」


「そのヨッちゃんさんについてのお話、ちょっと興味ある」


「聞いて面白い話じゃないぞ」


「それでも」


 聞きたい。

 聞いて少しでも洋一を理解したい。

 孤独には慣れてるみたいな顔で、誰よりも人に飢えているこの男を、誰よりも身近に感じていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る