とんでもない夢(1)
駅の西側にある『ひまわり公園』の近くの道を、ランドセルを背負った女の子二人が歩いている。
パステルピンクのランドセルを背負い、黒髪をポニーテイルにした女の子は去年私と同じ5年1組だった園田さんだ。
パステルブルーのランドセルを背負い、イチゴの髪飾りをつけて、園田さんと一緒に歩いているのは2年生の妹のここねちゃん。
園田さんたちの周りには中学生や黒いスーツを着たサラリーマンがいる。
多分、これは登校中の風景なのだろう。
園田さんたちは『ひまわり公園』を通り過ぎ、横断歩道の前で足を止めた。
信号待ちをしている間、園田さんたちは姉妹で楽しそうにお喋りしていた。
そこに、突然、白い軽自動車が突っ込んできた。
――危ない!
叫びたくても声は出ない。
これは夢だ。
だから、私にできることは、ただ見ているだけ。
姉妹のうち、迫り来る自動車に気づいたのは園田さんのほうが先だった。
お喋りに夢中のここねちゃんが音に気付いて振り返るよりも早く、園田さんはここねちゃんを思いっきり突き飛ばした。
そして、園田さんは突っ込んできた車にはね飛ばされて――
――そこで私は飛び起きた。
とんでもない夢を見てしまったせいで、心臓がものすごくうるさい。
花柄のパジャマは汗で濡れていて、身体はぶるぶる震えている。
どうしよう、どうすれば――そうだ、千聖くんに電話!!
嫌な夢を見たらとにかく電話しろって言われてるんだった!!
私は枕元で充電中のスマホを手に取った。
4年生になってクラブ活動が始まってから、お父さんが連絡用にと買ってくれたスマホ。
とっくに充電が終わっているスマホからケーブルを引っこ抜き、千聖くんに電話をかける。
千聖くん、起きてるかな。
まだ寝てたらどうしよう。
ハラハラしながら待っていると、千聖くんが電話に出てくれた。
『もしもし? どうしたんだよ、こんな朝から』
起きてはいたらしく、千聖くんの声はしっかりしていた。
『また
予知夢。千聖くんは私が見る未来の夢をそう呼ぶ。
『夢の中で見たことが本当に起きること』を予知夢っていうんだって。
「うん、『ひまわり公園』の近くの横断歩道で事故が起きるの!! 園田さんわかるよね!? 去年私たちと同じクラスだった園田さん!!」
『うん、わかる。わかるから落ち着け。耳が痛い』
私が叫んでいるせいで耳がキーンってなったのかもしれない。
反省して、私はちょっとだけ声を小さくした。
「園田さんと妹のここねちゃんが信号待ちしてて、そこに車が突っ込んでくるの! 園田さんがここねちゃんを庇って車に轢かれちゃう!」
『いつ?』
「朝! 今日かもしれない!」
私は半泣きで言った。
これまでの経験からして、私が見た予知夢は三日以内に必ず現実になる。
だから、さっきの夢がただの夢ではなく、予知夢だったのなら。
今日か明日か明後日の朝、園田さんは事故に遭う。
『なら急がないとまずいな。おれも急いで家を出るから、玄関前に集合な』
「うんっ!」
私は電話を切ってベッドから飛び下りた。
カーテンが閉め切られた薄暗い部屋の中で服を着替える。
脱いだパジャマをベッドの上に放り投げ、シャツを着て、その上にパーカーを羽織ってズボンを履いた。
机の横のフックに引っ掛けていたランドセルを背負い、ドタドタと足音を立ててリビングへ行く。
リビングの棚には亡くなったお母さんの写真が飾られている。
端っこに置かれたテレビからは明るい音楽が流れ、天気予報が表示されていた。
4月18日、今日の天気は晴れ。
でも、酷い夢を見てしまった私の心の中はちっとも晴れじゃない。
晴れどころか土砂降り、今年最大の台風が吹き荒れている。
「おとーさんごめん、予知夢を見たの! 朝ごはんは帰ってから食べるから冷蔵庫に入れといてっ!!」
エプロン姿でキッチンに立っているお父さんに叫ぶ。
それから、私は玄関に突撃した。
「えっ!? 待って
「ないっ!!」
キッチンから出てきたお父さんにきっぱり言い返して、スニーカーに足を突っ込む。
急がないと友達が車にはねられちゃうかもしれないの、なんて言えない。
言ったら、そんな危険な場所に行かせるわけにはいかないって、お父さんは私を止めるに決まってる。
「そ、そうか。なんだか大変そうだけど、くれぐれも気を付けてね?」
「うん、気を付けるね、行ってきます!!」
スニーカーを履き終えた私は玄関の扉を開けて外に飛び出した。
春の風が吹く廊下に千聖くんの姿はない。
早く、早く来て。お願い!
気持ちばかりが焦って、その場で足踏みする。
十秒と経たずに302号室の扉が開いて、さっきの私みたいに千聖くんが飛び出してきた。
太陽の光を浴びて金色に輝く茶色の髪。
大きな茶色の瞳。
今日の千聖くんは縞模様のシャツに上着を羽織り、黒いズボンを履いている。
私のランドセルは水色で、彼のランドセルは紺色。
一緒にお店に行って、同じメーカーのものを買ったから、お揃いの色違いだった。
さらに、彼と私のランドセルにはお揃いの猫のキーホルダーがついている。
これはハンドメイドが得意な優夜くんが作ったもの。
私が飼っているハチワレ猫をモデルにして作られた、お気に入りのキーホルダーなんだ。
「おはよう!」
「おはよう! 行こう!!」
私は千聖くんと一緒に廊下を走り、マンションの階段を下り始めた。
5階建てのこのマンションにはエレベーターがないのだ。
お父さんは「エレベーターがないと不便だし、もっと大きくて綺麗なマンションに引っ越そう。我慢しなくていいんだよ? お金ならあるんだよ?」ってこれまで何度か言ってくれたけど、私が反対した。
マンションの隣同士、家族ぐるみで仲良しの
急いで階段を下りていると、足を踏み外してバランスを崩した。
ぐらりと視界が傾く。
――やばいっ、落ちるっ!!
階段の踊り場まではあと四段。
この高さなら落ちても死にはしないだろうけれど、それでも落ちれば痛いに決まってる。
心臓が恐怖でぎゅっと縮まった。
そのとき、千聖くんの手が横から伸びてきて、抱き留められた。
強い力で引っ張られ、浮いた足が再び階段に戻る。
「………………」
ドキドキしながら横を見れば、千聖くんが私を抱きかかえてくれていた。
くっついた腕に、千聖くんの息遣いすら感じる超至近距離に、頬の温度が跳ね上がる。
私を強く抱きしめたまま、千聖くんは安心したように息を吐いた。
その息が私の顔にかかって、心臓の音がさらに大きくなる。
「……あのさ」
千聖くんは私の身体に回していた手を離し、私の肩にその手を置いた。
「園田さんを助けたいっていう気持ちは立派だけどさ。園田さんを助けようとして愛理が怪我したら何の意味もないだろうが。気を付けて。マジで。本当に。頼むから」
私の両肩を掴んでお説教する千聖くんは苦い薬でも飲まされたような顔をしている。
「うん……助けてくれてありがとう。ごめん」
私はしゅんと項垂れた。
もうちょっと速度を落として階段を下り切る。
マンションの前の通りを走り、『ひまわり公園』に向かう。
黒い鞄を持ったサラリーマンを追い越して、お喋りしている中学生の間を走り抜け、ひたすら足を動かす。
ぜえ、はあ。
息が上がる。
耳の横に心臓が移動したみたいにバクバク鳴る。
喉からヒューヒューと壊れた笛のような音がしている。
急げ、頑張れ、私!!
絶対に絶対に、あんな未来を現実にしちゃダメ!!
気持ちとはうらはらに、だんだん走る速度が落ちていく私を見て、千聖くんが私の手を掴んだ。
「えっ」
いきなり手を掴まれてびっくりした。
「おれが引っ張ったほうが早いだろ」
「う、うん……ごめん」
「いいよ」
体力のない私の手を引っ張って、千聖くんはぐんぐん先へ進んでいく。
汗だくになって走り、走り、やっと私は目当ての公園の前に着いた。
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