第4話

教皇のホノリウス5世は昼下がりの陽光を浴びながら足取りも軽く、畑や野原の中を通るコマースウィック村に続く道を歩いていました。


本当に久しぶりの、一人で自由に歩き回れる外出なのでご機嫌なホノリウス5世の目に、コマースウィック村を囲む防護のための高い柵が見えてきました。

見張り役らしい男が、柵の上からじっとこちらを見下ろしています。しかしホノリウス5世は気にせずに、村の入り口に辿り着きました。


こちらにも怪訝な表情の、頑丈そうな大男の見張り番がいて、さりげなく立ちはだかりました。

頭巾も外套も地味な色ですが一目で上質とわかる布地で、両手にはめた白い皮手袋にも金糸で華やかな刺繡がされています。どこからどう見ても裕福な貴族らしい男性が、従者も連れずに一人でいる事に警戒している大男にホノリウス5世は明るく声をかけました。

「良い天気だな。ここはコマースウィック村で間違いないな?」

「はあ、そうです。失礼ですが旦那はどちらから?」

「アラペトラ国からだ。あの国に滞在中だが、明日からこの村で大きな市が開かれると聞いて視察も兼ねて遠出をして来た。今日からはしばらくロドリック殿の屋敷に世話になる」

ロドリックの名前を聞いて、大男は安堵した表情を見せました。

「ロドリックの旦那のお知り合いですか。しかしまた、どうして馬にも乗らずに歩かれてるんで?」

「乗って来た馬が足を痛めてな。それに私は歩くのが好きなんだよ。ところでロドリック殿の店は村のどのあたりだ?」

「この道をまっすぐに進めば広場に出ますが、そこに面した一番大きな店です。行きゃあすぐにわかりますよ」

「そうか、ありがとう」

ホノリウス5世は手を振ると、さっさと通り過ぎていきました。その後姿を見送りながら、お忍びで出歩く貴族にも色々いるもんだなと大男は思いました。


明日から市が開かれるというので準備のために人通りが多く活気のある道に面して、果物などを並べている店を見かけたホノリウス5世は足を止めると頭巾を外しました。

「邪魔をする。少々尋ねたいことがあるのだが」

声をかけられて面倒くさそうに顔を上げた老齢の店主は、背の高い、濃い灰色の髪と黒い瞳の整った顔立ちの男性が店頭に立っているので驚きました。しかし金はたっぷり持っていそうなので、素早く態度を変えて愛想笑いを浮かべます。

「はいはい、何でございましょう」

「実は私は蜂蜜を探している。この村で入手できる店はあるだろうか?」

「ありゃあ、蜂蜜は今は無理ですよ旦那。普段扱っている店の店主野郎も全然手に入らねえと毎日嘆いてます。養蜂の村からミツバチが全部いなくなっちまったそうなんですが、原因不明ってのが気味が悪いですやね」

「……ふむ。残念な事だな」

「まあ明日からの市にはあちこちの商人連中が大勢集まりますから、蜂蜜もかき集めて持ってくると思いますぜ。今なら高く売れるでしょうし」

「確かにそうだ。やはり市で探すしか無いようだな」

ホノリウス5世は礼代わりに店頭のザクロを籠ごと買い、気前良く金を払うと頭巾をかぶり、笑顔の店主に見送られながら籠を抱えて再び広場に向かいました。

そんなホノリウス5世を少し離れた建物の陰から見つめている人影がありました。


広場に到着すると、織物などを扱っているロドリックの大きな店はすぐにわかりました。しかし客や商人が大勢出入りしているようですし、顔を出して色々つき纏われるのも面倒です。

ホノリウス5世は抱えていたザクロの籠を、壁の前に幼い子供と並んで座り込んでいる若い女性に「私は不要になった。皆で食べなさい」と言いながら手渡し、彼女が目を丸くして何か言う前に素早くその場から立ち去りました。


その後、ホノリウス5世は明日からの大きな市を控えてお祭り気分で賑やかなコマースウィック村の中を気の向くまま歩き回り、酒場でぶどう酒を飲みながら干し肉を齧り、あちこちの店を冷やかし、十分に気晴らしを満喫しましたが気づくと辺りは夕刻の色に包まれています。さすがに夜の一人歩きはまずいでしょう。明日もあるし、そろそろロドリックの屋敷に戻るかと考えながら歩いていると、ホノリウス5世の足元に何かが飛んできてチャリンと音をさせて落ちました。

驚いて足を止めた次の瞬間、背後から頭に分厚い布をかぶせられ、胸や腹を強い衝撃が襲いました。

しまった、と思った時には既に遅く、ホノリウス5世は殴られて気を失っていました。


どれくらいの時がたったのでしょう。

ホノリウス5世は体のあちこちの痛みで気が付き、目を開けました。

冷たい石畳に転がされています。

後ろ手で縛られていますが、指を動かしてみると幸い手袋はそのままなのようなので安堵しました。右手の「教皇の指輪」を見られると非常にまずいですから。しかし外套は盗られたのか身に着けていないので、身体は冷たくなっています。

慎重に起き上がり、床に座り込んで周囲を見回しました。ひどく狭い、石壁の牢屋のような部屋で窓はありませんが、天井の一部に穴が開いていてそこから月の光が流れ込んでいるので真の暗闇は逃れています。

こういう時は決して焦ったりしてはいけません。祈りの言葉を唱えながら気持ちを落ち着かせようとしたその時、部屋の中を青白い丸い光が幾つも漂い始めました。


なんだ?と警戒したホノリウス5世のすぐ目の前に、いつの間にかぼんやりと光る生首が浮かんでいました。もじゃもじゃの灰色の長い髪に、顔を覆う灰色の髭。太い眉までが灰色です。

生首はぎょろりと大きな目玉を動かすとホノリウス5世を睨みつけてきました。


ホノリウス5世も思わず睨み返してから、目を閉じて大きな溜息をつきました。

「また生首か!」

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