第26話 殺人鬼亜里沙

 彼方と亜里沙は足音を忍ばせて、石で造られた階段を下りた。

 二十畳程の広さの部屋の中央に人間と動物の骨が積み重ねられていた。血と肉の腐ったような臭いがして、彼方の表情が硬くなる。


 視線を動かすと、十数メートル先の壁に細い通路があり、所々に光る石が置かれていた。

 彼方は隣にいる亜里沙の耳に唇を寄せる。


「先行は君に頼むよ」

「了解」


 亜里沙が敬礼のポーズを取って、彼方の前を進む。

 細い通路は数十メートル続き、開けた場所に出た。

 そこは円形になった部屋で、右と左に通路が分かれていた。


 その時、左の通路から、三匹のゴブリンが現れた。

 亜里沙は素早くサバイバルナイフを投げる。ナイフが真ん中にいたゴブリンの胸に突き刺さる。


「ガッ…………ゴ…………」


 黄色い目を大きく見開いて、ゴブリンの体がぐらりと傾く。

 残った二匹のゴブリンが亜里沙に気づき、腰に提げた短剣を取り出す。


 亜里沙は前傾姿勢のまま、ゴブリンに駆け寄り、右にいたゴブリンの腹部を蹴り上げた。


「ガアッ…………」


 ゴブリンの体がくの字に折れ、持っていた短剣が手から離れる。その短剣を亜里沙が掴み、左にいたゴブリンの首筋に突き刺した。


「グアアアッ!」


 腹部を蹴られたゴブリンが叫び声をあげて、奥の通路に逃げようとする。

 その後頭部に、亜里沙の投げた短剣が突き刺さった。

 ゴブリンは前のめりに倒れる。


「亜里沙っ! すぐに他のゴブリンが来るよ!」


 彼方がそう言うと同時に、新たなゴブリンが現れた。

 ゴブリンは怒りの表情を浮かべて、彼方に襲い掛かった。

 ロングソードを振り上げた瞬間、彼方は最小限の動作で、ゴブリンのノドを斬った。


「ゴ…………ゴボッ…………」


 ゴブリンの口から血が溢れ出し、ロングソードが足元に落ちた。


 そのロングソードを踏みつけて、彼方はゴブリンの左胸に、月鉱石の短剣を突き刺した。

 ゴブリンは糸が切れた操り人形のように、その場に倒れる。


 視線を動かすと、亜里沙が二匹のゴブリンと戦っていた。

 亜里沙は彼方に向かって、ウインクをする。


 ――そうか。おとりになるために、わざと時間をかけてるのか。


 彼方はすぐに亜里沙の意図を理解して、左の通路に向かって走る。

 その前に、小柄なゴブリンが立ち塞がった。

 ゴブリンは黒い短剣を構えて、にやりと笑う。


「…………なるほど」


 彼方は一歩下がって、月鉱石の短剣を握り直す。

 ゴブリンは彼方の手を狙って、短剣を突く。

 彼方はその攻撃を丁寧に避けて、距離を取る。

 彼方の周りに三百枚のカードが現れ、その中の一枚を彼方は選択する。


 ◇◇◇

【呪文カード:ファイヤーボール】

【レア度:★(1) 属性:火 対象に炎属性のダメージを与える。再使用時間:1日】

 ◇◇◇


 彼方の左手のひらに燃え上がるオレンジ色の球が出現した。

 彼方が左手を振ると、その球がゴブリンの体に当たった。


「ギュアアアアッ!」


 ゴブリンの体が炎に包まれ、肉の焼ける臭いが周囲に充満した。

 地面を転げ回るゴブリンに向かって、彼方は口を開く。


「短剣に毒を塗ってるって、すぐわかるような動きはしないほうがいいよ」

「ググッ…………」


 ゴブリンは顔を歪めたまま、その動きを止めた。


 ちらりと背後を見ると、亜里沙が五匹のゴブリンと戦っている。

 ゴブリンに回し蹴りを放ちながら、手刀で別のゴブリンの首を叩き折る。


 ――まだまだ余裕みたいだな。攻撃力は魅夜の三倍近いし、戦闘には役に立つクリーチャーだ。


「その調子で頼むよ」


 彼方はそうつぶやくと、通路の奥に向かって走り出した。


 ◇


 彼方は枝分かれした通路を進み続けた。

 やがて、彼方の前に分厚い木の扉が現れた。扉にはかんぬきがしてある。


「…………ここか」


 彼方はかんぬきを外して、扉を開けた。

 中にはレーネが倒れていた。

 彼方はレーネに駆け寄り、彼女を抱き起こした。


「レーネ、大丈夫?」


 何度も声をかけると、閉じていたレーネのまぶたが開いた。


「…………あ…………彼方?」


 レーネは驚いた顔で彼方を見つめる。


「…………どうして、ここに?」

「君を助けにきたんだよ」

「ザックたちと?」

「ザックさんとムルさんは王都に行ったよ。他の冒険者に助っ人を頼むためにね」

「じゃあ、あなただけで助けにきたの?」

「まあ、そうだね」


 彼方の言葉に、レーネの瞳が大きくなる。


「なっ、何で、私を助けに来たの?」

「助けるのが普通じゃないかな? 同じ冒険者だし」

「だけど、こんな危険な場所までFランクの冒険者がひとりで来るなんて」

「なんとかなると思ったからね。無理ならザックさんたちが戻ってくるまで待ってた」

「…………あなた、バカなの?」


 レーネは呆れた顔で彼方を見る。


「ここにはゴブリンが百匹以上いるんだよ。異界人だって、危険だってわかるでしょ?」

「でも、魔神ザルドゥと戦うよりは楽だと思ってさ」

「そっ、そりゃ、ザルドゥに比べたら、そうだけど…………」

「なら、問題ないよ。歩ける?」

「なんとかね」


 レーネは右足を押さえながら、立ち上がった。


「あいつら、一応、手当してくれたからね」

「手当?」

「リーダーの女にしようと考えたみたい。だから、集団で襲われることもなかったし」

「僕のせいで、玉の輿に乗れなくなったね」

「ふふっ、たしかにそうね」


 レーネはくすりと笑う。


「で、どうやって逃げるの?」

「僕が召喚した…………殺人鬼がゴブリンたちの注意を引きつけてるから」

「召喚? あなた召喚師なの?」

「そうでもあるし、そうでもないかな」

「何それ?」

「そんなことより、早くここを出よう」


 彼方はレーネの腕を引っ張って、走り出した。


 ◇


 彼方とレーネは枝分かれした細い通路を進む。

 ところどころにゴブリンの死体があり、錆びた鉄のような血の臭いが充満している。


――計画通り、亜里沙は暴れ回っているようだな。これなら、スムーズに逃げられるかもしれない。


「ちょっと待って」


 レーネは倒れているゴブリンの手から短剣を奪い取る。


「武器は全部取られちゃったから」

「ちゃっかりしてるな」

「シーフだからね」


 二人は通路を駆け抜けて、骨が積み重なった部屋に戻った。


「この先の階段をあがれば、外に出られるよ」


 彼方が階段に近づこうとした時、その進路を背丈が二メートル近いゴブリンが塞いだ。

 ゴブリンは巨大なナタを手に持っていて、腕が他のゴブリンに比べて異常に太かった。


「リーダーの登場か…………」


 彼方は月鉱石の短剣を斜めに構えて、ゴブリンのリーダーと対峙した。


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