そこに、誰が埋まっていたか
星来 香文子
前編
昔から、この町の町長は世襲制でした。
もし、何か堀さんの機嫌を損ねるようなことでもしてしまえば、この町で普通に生活するのは難しいといわれていました。今は、だいぶ人口も減って、時代も変わりましたから、そういう圧力みたいなものも昔ほどはありませんが、一応、まだ残ってはいます。
それが一番酷がったのは、多分、私の兄が生きていた頃だったと思います。
私には五歳年上の兄がいたのです。いつも真っ黒に日焼けして帰ってくる父とは違って、兄はなんというか色が白くて、線の細い人でした。体が弱かったわけではなかったけど、女の私よりずっと可愛らしい顔をしていました。父よりも母に似ていたんです。だから、私もそんな兄を羨ましく思ったこともあります。子供ながらに、「お母さんに似たらよかったのにね」と親戚や近所のおばさんから言われる度に、嫌な気持ちにさせられていましたから。兄のことは好きでしたが、心の底から好きだったかと聞かれると、微妙なところです。
私が小学校に入学してからも、よく言われました。「お兄さんとは似ていないね」って同級生や、他の学年の生徒、先生からも。兄は当時六年生で、児童会の会長をしていましたから、学校では有名人でした。中性的なその容姿が女子たちの間で話題になっていたのです。だから、きっと妹も同じく可愛いだろうと、期待されていたんでしょう。
それから一年経って、兄が中学一年生になると、兄はよく町長の家に遊びにいくようになりました。当時は、町内に小学校は二つあったので、中学に入って別の小学校に通っていた町長のお孫さんと同じクラスになったそうで……
町長の家といえば、この町では一番の豪邸です。あの辺一体は堀さんの土地ですから、敷地も広くて当然お庭も大きい。建てたのは父が働いている建設会社でした。よく父はそれがどれだけ大きな仕事だったか、酒に酔うと自慢していたので私もいつか行ってみたいと思ったことがあります。
父は兄が町長のお孫さんと仲良くしているなら、また仕事を頼まれるかもしれないと期待して、兄には息子さんの機嫌を損ねるようなことはしないように念を押していました。兄も、自分の立ち位置をわかっていたようで、堀さんの家にお邪魔するとよく、町長から直接、お礼の電話が父の方へ来ていたようです。孫と仲良くしてたお礼だと言って、本当にいくつか仕事を斡旋してもらったこともありました。
そして、兄が中学三年、私が小学四年生のある夏の日のことです。兄はほとんど毎日のように町長の家に行くことが多くなりました。息子さんとはきっと親友とよべる間柄になったんだろうと、私も父も思っていました。
でもあまりにもお世話になっているようだったので、町長の家に行く時に、母が兄にお菓子を持って行くようにいったんです。でも兄はそれを忘れて家を出ていってしまって、私が届けに行くことになったんです。初めてあのお屋敷に行くので、少し緊張していましたが、恥ずかしくないようによそ行きのワンピースを着て、おしゃれにして、行きました。
「————あの、すみません。兄が忘れ物をしたので、届けに来たのですが」
玄関先まで出て来たのは、家政婦さんだったと思います。四十代くらいの女性の方で、町長の奥さんの顔は有名人ですから知っていましたし、きっとそうだったと思います。その家政婦さんは、私の名前と兄の名前を聞いて、明らかに戸惑っているというか、慌てているようでした。
「ちょ、ちょっと、待っていてくださいね」
そう言って階段を駆け上がって、すぐにまた玄関に戻ってきました。
「今、お取り込み中なので、私が後でお渡ししておきます。あなたはお帰りください」
「は、はい……」
私はてっきり、家にあげてもらえるかもと思っていました。いつも門の外からしか見たことがない大きなお屋敷で、玄関まででしたが実際に入ってみると本当に別世界のように美しくて————もう少し見てみたかったと残念に思いながら門の方へ後ろ髪引かれつつ歩いていると、正面からその息子さんがこちらに向かって歩いてきました。
「あ、あれ……?」
兄の靴は確かに玄関に置いてありました。それなのに、どうして一緒にいるはずの息子さんが、外にいたのだろうと不思議に思いました。
「誰?」
「あっ、えーと、こんにちは。兄がいつもお世話になっています。
「山中元……? ああ、あいつの」
息子さんは、私を見下していました。まぁ、身長差がありますから、仕方がないことなんですが……でも、なんだかとても感じの悪い人に見えて、私は戸惑いました。親友の妹に対して、こんな不機嫌そうな表情をするものだろうかと、怖いと思いました。
「なに? あいつまた、今日も来てるの?」
「来てる……? 兄は、あなたに会いに毎日来てるんじゃないんですか?」
私が恐る恐るそうたずねると、息子さん————堀
「ああ、もしかして、知らない? あいつが俺の家で毎日何をしているのか」
「何を……?」
「そっか。そうなんだ、まぁ、誰かに言えた話でもないよな。ついて来な。見せてあげる」
龍之介さんにそう言われたので、私は彼について行きました。その時、改めて初めてお屋敷の中にあげてもらって、龍之介さんと一緒に戻って来た私を見て、家政婦さんは驚いていました。実際に中に入ってみると、本当に別世界です。まるでお姫様でも住んでいるんじゃないかと思うくらい高い天井から豪華なシャンデリアがぶら下がっていて、西洋風な家具、カーテン、絵画、装飾品の数々。ここがフランスだと言われたら信じてしまいそうなくらい、美しいものばかりが並んでいました。
私は最初、そのあまりの美しさに感動していたのですが、龍之介さんは二階の一番奥の部屋のドアの前で立ち止まると、口元に人差し指を立て、小声で言いました。
「ここから先は、何を見ても、声を出してはいけないよ」
「は、はい……!」
一体何があるのだろう。私は期待に胸を高鳴らせていました。
ところが、龍之介さんがそっとわずかに開けたドアの隙間から、部屋の中をのぞいて見ると、本当に、ありえない光景がありました。
「……————もう……やめて……っ……ください」
「何ってるんだ。いつもしていることだろう? 元くん」
「いや、だって……それは————先生が無理やり……」
「元くんが頑張れば、元くんのお父さんにも新しいお仕事が入る。元くんが、僕を楽しませてくれるから、家族を支えているんだよ。来年から君は高校へ行くんだろう? そして、東京へ行っていい大学に入る。今頑張らないと、そのお金は、誰が払うことになるんだろうね」
兄の白い太ももの間に、白髪の男の頭があったんです。私の位置から、その男の顔は見えませんでした。でも、その声は選挙の時や町のお祭りの時になんども聞いたことのある町長の声でした。
まだ小学四年生だった私には、兄と町長がしていたことがなんだったのか、理解できませんでした。町長は兄の脚の間でもぞもぞと動いて、何かぐちゃぐちゃと音を立てていました。兄の服は部屋に散乱していて、町長に無理やり脚を開かされ、体を触られている。身体を捩って逃げようとしていましたが、町長にされるがまま、兄は泣いていました。嫌がっているのは明らかです。兄はされるがまま————遊ばれている。そういう状況だということはわかりました。
兄が毎日、町長の家に行っていたのは、同級生の龍之介さんに会いに行っていたのではなく、町長のおもちゃにされていたのだと、その時初めて知ったのです。
龍之介さんは、私が声も出せずに驚いていると、ドアをそっと閉めて小声で言いました。
「このことは、誰にも話しちゃダメだよ? もし、誰かに話したら、君もお兄さんのようにおもちゃにされちゃうかもしれないからね。それに、君のお兄さんがお祖父様のお気に入りだからこそ、君のお父さんは仕事がもらえているんだ。それがなくなったら、君だって大変だろう? 君が今着ているその服も、全部、君のお兄さんがお祖父様のお気に入りだから、着ることができているんだよ?」
さらには、私のワンピースのスカートの裾をめくりあげたんです。
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