8 亡命してきた日本人
功の登場から一、二分後ぐらいに、浮舟警察と思わしきふたりの男たちが地下室にやってきた。薄い水色の制服で、腰に付けたホルスターに拳銃を入れている。ドルーアと功が何かを英語でしゃべると、彼らは侵入者の男を担いで地下室から出ていった。
入れ替わりで、同じ制服を着た別の男がやってくる。彼は茶色の肌をして、鼻の下にひげがある。ドルーアと功は、彼と話し始める。彼は朝乃にも話しかけてきたが、英語だったので、朝乃は答えられなかった。
「――――――。――――」
警官は優しくほほ笑む。ドルーアも優しい顔をして、朝乃を見ている。おそらく警官は、優しい言葉をかけてくれたのだろう。彼はまた、ドルーアと功と話し始めた。
ここは外国と、朝乃は強く実感する。侵入者の男も、最初は英語でしゃべっていた。これからさき日本語だけでやっていけるとは思えない。朝乃は意気消沈した。
会話に加われない朝乃は、所在なくドルーアの回りをうろうろする。彼はもうサングラスをしていない。レーザー光線は目に悪いので、レーザー銃を撃つときはサングラスをかけるのだ。
朝乃はふと思い出して、ドルーアの足を見た。ちょっと悩んでから、彼の背中をたたいて、振り向いてもらう。
「何だい?」
ドルーアは首をかしげる。功と警察の男も、ふしぎそうな顔をしていた。
「足のけがは大丈夫ですか?」
朝乃は質問した。銃で撃たれたはずなのに、彼は平然と立っている。それに左足には、撃たれた跡がない。なぜドルーアが無傷なのか、朝乃には分からなかった。
「あぁ」
ドルーアは納得してから、情けなさそうに笑った。
「心配してくれてありがとう。でも僕の左足を撃ったのは、おもちゃの銃だよ。多分、改造したものだ。撃たれたときはとんでもなく痛かったけれど、あざになっているだけだと思う」
「おもちゃだったのですか……」
朝乃は驚いた。言われてみれば、ポンというかわいい音がしていた。ドルーアはほほ笑む。
「おもちゃと本物の銃だったのさ。最初、僕の足を撃ったのがおもちゃの銃で、次に僕をねらったのが本物のレーザー銃」
朝乃は、ちょっと前のことを思い起こした。朝乃はドルーアを守るために、侵入者の男の方へ行こうとした。するとドルーアは、本物の銃に向かって突進したのだ。
彼は、ほとんど死ぬつもりだったのだろう。朝乃はぞっとして、両手でわが身を抱いた。しかしドルーアは、にこにこと笑っている。
「ありがとう。心から感謝する。君は、僕の命の恩人だ。そしてトロフィー投げの天才にちがいない。僕が数々の賞を取ったのは、君が女神のように悪人を倒すためだったのだろう」
「でもドルーアさんは、本物の銃に向かっていったのですよね?」
死ぬリスクをおかしてまで、朝乃を守った。
「ごめんなさい。そして、ありがとうございます」
今さらになって、震えが来る。朝乃は申し訳ない気持ちで、頭を下げた。
「君は僕を守るために、侵入者の男についていこうとした。だから僕は命を捨てる覚悟で、男につっこんだ。男は驚き、結果として、君の投げたトロフィーが命中した」
朝乃が顔を上げると、ドルーアは苦笑した。
「高重力の地球から低重力の月に来たばかりの人間は、怪力になると聞いていたけれど、本当だったよ。まさかこんな細い女の子が、ひとりの男を倒すなんて」
ドルーアは、朝乃の頭をなでる。朝乃はとりたてて特徴のない、平均的な身長と体重をしていた。
「僕たちは意外にいいコンビだ。ふたりで力を合わせて、悪いやつをやっつけた」
彼は朝乃の肩に手を置くと、顔を寄せて、ほおにキスをした。朝乃の顔が、ぼっと熱くなる。
「君からもキスしてほしいな、マイ・エンジェル」
耳のそばでささやかれて、朝乃はあわてて逃げた。キスされた。弟以外の人から、恋人のようにキスされてしまった。
ドルーアは楽しそうに笑うと、再び朝乃に背中を向けた。功や警官たちとの会話に戻る。彼らはしゃべりつつ、階段を上っていく。朝乃はドルーアについていった。
ドルーアたちは廊下に出て、左に曲がる。リビングに入ると、ドルーアは功に何かを頼む。それからソファーに腰かけて、警察の男と話し始めた。
「ついてきてくれ」
功が朝乃に言う。朝乃はドルーアを気にしつつも、功に連れられて玄関に向かう。月に来てから、ドルーアと離れるのは初めてだ。少しだけ不安になった。
玄関のドアは開いている。警察らしき男が周囲を見張っていた。もしかしたら警備会社かもしれない。黒っぽい制服だった。功は靴箱からスリッパを二足取り出して、一足を朝乃に与える。
「ありがとうございます」
朝乃は多少驚いて、礼を述べた。功はドルーアと同じく、親切な人だ。
「どういたしまして」
功は笑うと、靴を脱いでスリッパをはく。彼はずっと外履きだったらしい。
朝乃もスリッパに足をつっこんだ。朝乃は靴下のまま、家の中を歩いていた。ドルーアはスリッパをはいていた。彼は朝乃に、スリッパを与えることを失念していたのだろう。朝乃も忘れていた。
「ダイニングで話そう」
功はダイニングへ向かった。勝手知ったるわが家という風情だ。ドルーアとも親しそうなので、この家にはよく来るのだろう。朝乃は彼についていく。
ダイニングに着くと、キッチンがちらりと見える。キッチンには、これまた警察か警備会社所属らしい男が立っている。おそらくキッチンの窓も壊されているのだろう。
功はいすに座って、テーブルの上に銃を置く。朝乃にも着席するように勧めた。朝乃は彼の向かいに腰かける。
「君には聞きたいことだらけだが、まずは自己紹介をしよう」
功は、朝乃の全身をじっと観察する。敵なのか味方なのか、見定めようとしている。
「俺の名前は細田功。二年前に、浮舟に亡命してきた日本人だ」
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