第11話

 自分が戦えるのかどうか。その問題は隅に置かれ、ラルドの言った【同じ悲劇】という言葉が、リッカの胸に突き刺さった。思い出したくもないあの日の惨劇が、今この時もどこかで繰り広げられている可能性は、十分にある。そう思うと、この先一生消え去ることはないであろう過去に受けた悲痛の衝撃が、内側から迫ってくるのを感じる。


 誰かを助けたとて、自分の中の何かが変わるとは思えない。世界を救ったところで、命が戻ってくることもない。

 

 だがそれでも。自分の行動で、この世の悲しみが一つでも減るのであれば。

目の前の戦士と共に歩んでみても、いいような気がした。


「分かったよ、ラルド。君の提案を受け入れるよ。一緒に、イフリートを見つけ出し、魔神を封印しよう」


 二人の男は、月光の下で強く手を握り合った。凪いでいた海がゆるやかに揺らめきだし、徐々に激しさを増していく。星と月の光が一層輝きを増して、下界で照らされる者たちの存在を、世界に示しているようだ。

 

 王国最強の戦士ラルデアラン。巨大な魔族から命からがら逃げのび、なんとか生き繋いだその命は、熱い闘志によって燃え盛っていた。


 そして。故郷を滅ぼされた青年リッカ。海の底に沈んだようであった黒い眼は、赤色を帯び、漲った決意が溢れ出ているようかのようである。

 後に【炎の勇者】と称されるこの青年は、運命を共にする戦士に導かれ、強大な魔に立ち向かう道を辿っていくのだった。


              *

 

 人気のない荒れ地に、一人の男が佇んでいた。


 男は月光を避けるようにして光を通さない暗灰色のローブを纏い、頭にフードを被せている。暗闇に溶け込んだその姿は、目をこらさなければ人間の瞳には映らないであろう。


 しばらくすると、男の前に大きな鳥が一羽降り立った。

――いや、違う。それは、鳥などではない。男と同じ背丈のそれは、二本足で立ち、背には左右に漆黒の翼が生えていた。手の指は二本のみで、そこから鋭くとがった爪が二十センチほど伸びている。顔面には、吊り上がった目と、猛禽類のような嘴があり、人間でないことは明白であった。


「ご苦労。して、状況は?」


 男が魔族に問うと、魔族は到底言葉とは呼べない、呻き声のようなものを発した。


「なるほど。ヴァーツ帝国は動きなく、サンカックとダイケイは、共に自国での活動を開始した、と。そうなると、我々にとっては、シーカク王国の動きが肝心になってくるやもしれんな」


 魔族は更に、きぃきぃと金切り声を上げる。


「ふむ。各国に攻め入った魔族たちのほとんどが、やられたか。さすがに、人間どももそうやすやすと滅んではくれんか。まあ、よい。期待していたわけでもないからな。我が一族の悲願を達成するためにも、慎重にことを運ばねば」


 男は、血が滴るほどに強く拳を握り締めた。重力に従って流れ落ちる血液は、手から地面の間で、赤から緑へと変色していった。


「魔神復活。一族の千年の想いを抱き、我が必ずや成し遂げてみせる。そのためには、五大精霊と力のある人間を排除しなければならん。せいぜい踊ってくれたまえよ、人間ども。私欲にまみれた貴様たちが、我々にとっての鍵なのだからな」


 男は不気味な笑みを零して、空を見上げた。男が纏った禍々しい空気は、魔族を畏怖させ、自然と頭を垂れさせていた。

 従う姿勢を見せていた魔族が頭を上げようとした時、頭に強い圧力がかかり、そのまま魔族の頭は地面に接触することとなった。圧は一向に弱まらず、みしみしと音を立て、魔族の頭が爆散した。辺りに緑色の液体が飛び散り、ローブを身に纏った男は、不快そうな表情を見せていた。


「殺すのは構わんが、我に汚いものを見せるな」


 男が言葉を向けた相手は、突如空から降り落ちて来た、一人の勤勉そうな男である。金色の髪を後ろに流し、横長の眼鏡をかけている。金髪の男は、脚を振って、靴についた緑色の液体を払いながら男に応えた。


「申し訳ございません。まさか、丁度頭の上に落ちるとは思わなかったものですから。それにしても、僕をここまで運んでくれたあの魔族。古い文献で見た、まさしくドラゴンのようでしたね。いやあ、年甲斐もなく心躍りました」


「下らん話はよい。状況を報告せよ」


 金髪の男は、緑色の液体を払いのけ終わるとその場で片膝を着き、頭を垂れながら主に告げた。


「予定通り、イフリート捜索隊は壊滅。そして、王国最強の戦士ラルデアランが戦艦より脱出したことを確認しております」


 ラルデアランと共にもう一人脱出した者がいたことが報告されなかったのは、その者が取るに足らない人物だったからだろう。


「順調だな。ラルデアランが生きていれば、マルー王国に波乱が起きるはず。人間同士で争い、疲弊し切った時こそ、最大の好機。それまでは力を蓄えるとしよう」


「左様で。そういえばここに来る途中、グールの群れを見かけました」


「封印が更に弱まったか。一族の伝書に寄れば、グールは死肉を喰らうだとか。統率は貴様に任せる。適当に辺りの村を襲わせ、餌を与えてやるといい」


 御意。そう言い残して、金髪の男は稲妻のごとき速さで消え去った。男の放った稲光が周囲を照らしだし、陰鬱な雰囲気を纏う男は、またも不快な様子を見せた。


 月が雲に隠れる。完全な闇の世界が、魔神の目覚めによって訪れようとしていた。

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