グレート・グランド・マム ~私を溺愛する悪役令嬢はどうやら転生者らしい~

戸波ミナト

私を溺愛する悪役令嬢は転生者らしい

「おはようございます、ナオミさん」

 閉ざした瞼に光があたり、涼やかな声が風とともに流れる。柔らかさと固さのバランスが絶妙なベッドは私をとらえて離さない。クッションを抱き抱えて寝返りを打つ私に、声はなおも呼び掛けた。

「本日は聖王歴294年5月20日、天候は晴れ。今日は魔術基礎学のレポート提出日です。着替え前にデスクの上のレポート用紙を鞄に収納することをおすすめ致しますわ」

 涼やかで、感情のこもらない声。

 目を開けると妖精のような美少女が私を見下ろしていた。

 いまだに部屋着姿の私と違いすでに制服姿。まっすぐな立ち姿、つやつやの銀髪が一房肩に流れるのにさえ目を奪われてしまう。文字通り目の覚めるような美人にモーニングコールされて眠気なんて吹き飛んでしまうけれど、私は彼女と視線を合わせる事ができない。

「……おはようございます。ジェニファー様」

 体を起こしながらのろのろと頭を下げる。礼儀もなにもない仕草に気分を害したふうもなく、彼女は無表情のまま踵を返した。廊下に繋がる大きな扉ではなくもうひとつの小さな扉を開き、控えているメイドさんにお茶を淹れるよう指示する。お辞儀で応えるメイドさんとは別に、もうひとりのメイドさんがこちらの様子をうかがうから、私は慌てて首を振った。

「着替えは自分でやります。大丈夫!」

 有言実行とばかりにクローゼットに走り、制服をひっ掴むと天蓋つきベッドに立てこもる。さっとカーテンを閉めればちょっとしたプライベート空間のできあがりだ。

 天蓋つきベッドがふたつ。ドレッサーもクローゼットも勉強机もふたつずつ。それだけの家具を押し込んでなお余裕で歩き回れる広さの居室に、使用人用の控え室までついている。豪勢な造りの部屋が、二人用の相部屋とはいえ生徒たちに与えられるんだから本当にここは貴族の世界なのだろう。

 夫婦共働きの核家族で生まれ育った日本人には縁のない世界だ。ブレザーに似た構造だから一人で着られるものの、いまだに私は自分を取り巻くなにもかもに慣れないでいる。


 私……白 尚美つくも なおみが異世界に召喚されてそろそろ一ヶ月。障気を浄化する力をもつ聖女だとかで色々特別扱いされて、本来なら貴族の子しか通えない全寮制の学園に学費免除で通っている。

 そういうアニメもマンガも見てたし好きだけど、自分が当事者になってみるとアウェー感で心が折れそうだ。鑑定スキルに無制限のアイテムボックス、五大属性すべて扱ううえに浄化の力なんてチートスキル持ち……ただしこの世界の常識は欠片も持ち合わせていないしマナーは庶民並み。血筋とか礼儀にこだわる貴族社会でそんな私に向けられる視線は推して知るべし。


「偉大にして壮大な聖女グレート・グランド・マム

 同室の令嬢が感情のこもらない声で私を呼ぶ。

 この国の、聖女マムに対する最上級の敬称。ほんとやめて、私はそんなごてごてしたものじゃなくて普通の女子高生だ。よりによって彼女に呼び掛けられると居心地の悪さが最高潮に達する。誰も見ていないのをいいことに私はベッドの上であぐらをかいた。

 私の同室、ジェニファー・ルル・ワルシュタット。この国の第一王女であり文武両道、予知能力まであると噂のハイスペック美少女。私が現れるまで『聖女マム』は彼女を指す言葉だったらしい。

 どう考えても悪役令嬢枠じゃないですかやだ。

 ざまあ展開だけは何がなんでも回避したい。絶対関わっちゃだめなやつ。なのに彼女がこっちにぐいぐいくるのが私の最大の憂鬱の種だった。

 私が日常会話や学校の授業についていけるのは彼女オリジナルの翻訳魔術のおかげだし、彼女自身が私との相部屋を希望して毎日のようにモーニングコールをしてくれる。私をよく思わない生徒が直接手を出してこないのだって第一王女がそばにいるおかげだろう。

 ありがたいからこそ遠ざけられず気味が悪い。

 できることならずっとここに引きこもっていたいしスマホで動画が見たい。炊きたてご飯とお味噌汁が恋しい。お母さんの作った甘い卵焼きが食べたい。

 目尻に浮かんだ涙を手でぬぐった瞬間、カーテンの隙間からふわりとお茶の香りが入り込んできた。

 私は弾かれたように飛び上がり、カーテンを開ける。

 ソファに腰かけた悪役令嬢がメイドさんを侍らせて優雅にティーカップを傾けている。けれど漂うのは瑞々しく爽やかな――緑茶の香り。

「お先にいただいております。ワタクシ、今日は部屋で朝食をとります。ご一緒にいかがでしょうか」

 控え室の扉が開かれてメイドさんが入ってくる。

 喉が震えた。涙で前が見えなくなる。

 サラダやデザートを盛るような器にほかほかのご飯。スープ用のカップにお味噌汁。ベイクドビーンズや焼きトマトと一緒にお皿に載るのは四角い卵焼き。

「なんで……」

 言葉がうまく出てこない。私がいきなり泣き出したせいでメイドさんも困っているだろう。ただひとり、悪役令嬢枠だけがいつも通りだ。

「慣れ親しんだものを食するのはストレスの軽減に繋がります。再現率は六割程度ですが、どうか召し上がってください」

 聖女の役割を私に奪われたのに、悪役令嬢であるはずの少女はこんなに私に親切にしてくれる。恩を着せるでもなく嫌味を言うでもなく、それが当たり前だという無表情で。

 攻略されてるなあなんて気持ちが一割未満。懐かしさと寂しさが気持ちのほとんどを塗りつぶして、私はべそべそ泣きながらきれいに朝食を平らげてしまった。

 落ち着いたのは食後の緑茶を飲み始めた頃。妖精みたいな美少女が繊細なティーカップで緑茶を飲む図は冷静に考えればおかしい。ちょっと笑った私に、少女は自分のカップを指差してみせた。

「ごらんください。茶柱です。良いことがあるといいですね」

「茶柱って」

 お姫様の口から出てくる単語としてはミスマッチもいいところ。日本みたいなジンクスがこの世界にもあるんだなあなんて感心していたけれど、世話をしてくれていたメイドさんたちが不思議そうに顔を見合わせた。

 金髪のメイドさんがきょとんとして、黒髪の……顔の造りが私に似た、東の島国出身のメイドさんが首をかしげる。


 ないのだろうか。茶柱。

 メイドさんの反応からすると少なくとも東の島国にはない。

 じゃあなんでこのお姫様は私が和食に慣れ親しんでいて茶柱のジンクスを知っていると断定できたんだろう。


 まさかこの人、私の世界からきた転生者?


 日本で読んだ悪役令嬢転生ものにおいて召喚された聖女がひどい目に遭うパターンならそれなりにある。

 私いったいどうなるんだろう。

 懐かしささえ感じる緑茶の味に、なぜか背筋が寒くなった。

「お口に合いませんでしたか」

「い、いいいいいえいえいえ、おいしいです」

「それはよかったです。偉大にして壮大な聖女グレート・グランド・マム

 私の気も知らないで、ジェニファー様は完璧な微笑みを見せた。



 対象、脈拍・心拍数ともに上昇するも正常域の範囲内。慣れ親しんだ食事が緊張緩和に貢献したものと推測、引き続き経過観察を要する。

 上流階級令嬢のレギュレーションに則り動作しつつ、ワタクシは彼女を観察する。バイタルサイン異常なし。ワタクシの情報にアクセスしようとするのは『鑑定スキル』というプログラムだろう。『ワタシ』の情報については閲覧権限なしとしてブロックする。

 メイド達は今日も正常に稼働している。人間を働かせる事への抵抗感は、彼女らをワタクシの端末と定義してクリア済である。

 ワタクシの状態にも問題はない。食事や睡眠の手間・稼働時間の短さが悩ましいところではあるが、こればかりは仕方ないだろう。

 ワタクシはツクモ・ナオミの遺伝情報を見る。その形はワタシの知る人間そっくりだった。彼女の『隔世遺伝っていうのよね』という言葉のとおり、ツクモ・ナオミの外見やデータは彼女のそれと酷似していた。

 この世界においてナオミは「偉大にして壮大な聖女グレート・グランド・マム」と呼ばれる。その呼称はワタシにとってもうひとつの、非常に重要な意味をもつ。

 ワタクシに宿る『ワタシ』――A.S.8年にツクモカンパニーが開発した、AI搭載型戦闘支援アプリケーション『ジェニィ』にとって。

 開発者の祖母にあたる少女は曾祖母グレート・グランド・マムなのだから。

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