第441話 万聖節
10月31日に当たるハロウィンの翌日、11月1日 。
この日は万聖節と呼ばれ、全ての聖人を記念し、カトリック圏の国の多くは祝日となっている。
同時に故人を偲ぶ日ともされ、墓参りに当てられる事が多い。
その11月1日を、オフィウクス・ラボはドイツで開催される第36回特殊学会当日に定めた。
ドイツの首都、ベルリン中心部。
ドイツ最大、ヨーロッパ屈指の規模を誇る大学附属の総合病院兼感染病棟。その敷地内にある講演ホール。
正門周辺の路地から内側の庭園には老若男女問わず人がごったに集まり、露店や屋台やキャンピングカーまで出店している。それも軽食から装飾品など、学会とは関係のない品揃えをした店が。
「日本で言うお彼岸なんに、お祭り騒ぎばい」
正門を跨ぎながらそう言ったのは、白虎がデザインされたフェイスマスクを被り、白衣を纏った日本感染病棟院長の柴三郎だ。
世間話や笑い声が飛び交う目の前の光景は縁日にしか見えず、前日に行われていた、ハロウィンの延長のようになっている。
緊張感のカケラもない群衆に、柴三郎は腰に手を当てふっと息を吐いた。
「柴三郎、もう来たのかい? 早いねぇ」
どこで開場まで時間を潰していようか、と柴三郎が庭園を歩いていた所、ベンチに座っていたふくよかな体型の人物に声をかけられ、足を止める。
「ロベルト院長」
梟のフェイスマスクを付け白衣を纏った、パラス感染病棟院長ロベルト。大学生時代にドイツ留学をした柴三郎の恩師であり、医療業界の重鎮。
柴三郎は弾んだ声で「お久しぶりです」と挨拶を交わした。
「そらもう。うちゃ特別、距離があるけん。早めに行動せんば。ハロウィンもあったし、今回ん学会が注目度高すぎて、ホテル取るん大変やったばい。飛行機だけじゃなくて金も飛ぶとか……」
がっくり肩を落としながら話す柴三郎。
日本在住の彼は学会の開場時間に確実に間に合わせる為、アメリカやヨーロッパの学会に参加する際は前泊するよう努めている。
今回の学会は観光シーズンと重なっていたので飛行機代とホテル代の値が上げられていて、予約を取るのにも苦労をしたが懐も寒くなってしまった。
「そういえば、潔と佐八郎の姿がないけれど……」
「2人は前回に引き続き日本で留守番させとります」
「それは残念だね。予算がなかったからかな? それとも都合が悪かった?」
「有り体に言えば、リスク分散やなあ」
ロベルトの疑問に、柴三郎は顎に手を当てて答えた。
ぐっと、膝の上に置いていたロベルトの手が強張る。
「……トラブルが起きると、読んでいるのかい?」
「前回ん学会も災難やったやろう? そりゃ警戒するばい。まぁでも
柴三郎は群衆を一瞥して、
「来とるんやろう? 『ミシェル会長』」
フランスWHO会長の名前を、口にした。
世界で初めて珊瑚症に特化した感染病棟を創立し、多くの対策を実施し、どの国よりも早く災害を収束させた、『預言者』と謳われる医師であり賢者。
長らくフランス感染病棟の院長の座をついていた彼だが、会長となってからは病棟にも学会にもなかなか姿を現していなかった。
その彼が、今回の特殊学会へ参加する。
これは現フランス感染病棟院長たるルイからの情報だ。
卓越した先見の明であらゆる危機を回避してきたミシェルがこの場にいるのならば、前回のように、会場そのものが菌床に飲まれるような惨事が再び起こるとはない。と、信じたい。
「そうだと聞くね。まだ会えていないのだけれど」
「まだ着いとらんのかも。ばってん参加する気なら、後で必ず会ゆるばい。そん時に挨拶しましょう。やけん今はミシェル会長より『エミール』やなあ」
「その『エミール』ともまだ会えていないんだ」
「はぁ?」
エミール。
ドイツ最大、ヨーロッパ屈指の規模を誇る大学附属の総合病院かつ感染病棟の院長であり、特殊学会が開催される講演ホールを提供してくれた人物。
柴三郎の同門。つまりロベルトの弟子の一人。
だというのに、挨拶をすませていない。柴三郎は信じられないと怒りを露わにした。
「ロベルト院長が来とるんに出迎えもしとらんのか、あいつ!」
「まぁまぁ。忙しくて此方に手が回らないのかもしれないよ」
「かーっ! 呆れた! せめて電話ん一つよこさんか! ただでさえ前回おらんかったんに!」
ドイツとパラス国は日本に比べ遥かに距離が近い。だが前回の特殊学会時、エミールは参加しなかった。開催の知らせが急だったので都合が合わなかっただろう、でまだ済ませられたが、今回の開催国はドイツ。しかも彼の管轄下である感染病棟の敷地内。誰よりも早く現場に来ている筈だ。
なのに顔を出さない意味がわからず、柴三郎は「開場までに見付けてやる!」と息巻いて人混みを割って進み始めた。エミールを見付けたら殴りかかりそうな勢いの彼の後ろ姿を見て、ロベルトはベンチから立ち上がると小走りで追いかけたのだった。
その人混みの端っこ。
講演ホールの出入り口付近に立ち並ぶ円柱の陰。
「人が多い……!」
そこでは、老若男女問わず多くの人々でごった返した庭園に慄いている人物がいた。
薔薇がデザインされたフェイスマスクを身に付け、白衣を纏った医師……イギリス感染病棟院長エドワードである。
彼は柱に背を預けずりずりと座り込み、白衣の裾を抱えるように腹部を押さえ、声を絞り出す。
「うっ、もうお腹が痛くなってきた……」
「何を緊張しているのですか。特殊学会への参加は初めてではないでしょう?」
そう言ったのは、エドワードの目の前で背筋を伸ばして立つイギリス感染病棟看護師長フローレンスである。
彼女は氷の結晶がデザインされたフェイスマスクを付け、シワ一つないビジネススーツを着こなしている。
「いえ初めてですよ!? ジョン先生の付き添いで会場に来る事はありましたが、実際に特殊学会が行われている部屋の入室はできませんでしたからね!」
「そうなのですか。では、なおのこと背筋を伸ばしなさい。他院の方々に醜態を晒すおつもりで?」
「ごめんなさい」
鋭い指摘に秒で謝罪をするエドワード。
「研究を発表する側でもないのです。イギリス感染病棟の顔として自覚をお持ちください」
「ハイ、頑張りマス……」
白衣の裾を握りしめ、どこか情けなく答える。
その様子を一瞥し、フローレンスは仕方ないというように手を差し伸べた。
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