第94話 《シアナミド(CN2H2)》

「ご、5歳……っ!?」

「えっ!? 嘘マジで!? 俺も初めて知ったんだけど!?」

「力が有り余っているのに情緒が幼いから、【檻】っていう隔離施設に突っ込まれているんじゃない。ボクからすると【檻】じゃなくてキッズルームなのだけど」

「いやでも、ウミヘビに実年齢ってそんな関係ないんじゃ!?」


 ウミヘビ産まれた時から、作られた時から成長した身体や思考力や言語能力が備え付けられている。

 なので実年齢と外見年齢が幾らかけ離れていても酒は飲めるし、大人と変わらないレベルの対話が可能だ。そこには老いも若きもない。作られた時の設定で『固定』されている。


「パラチオンは実年齢に引っ張られているわよ絶対。じゃなきゃ、あれだけお子ちゃまな理由が付かないわ! そうでなくとも落ち着きを身に付けて貰わないと、あやすのを押し付けられがちなボクが困る!」


 水銀はダンッ! とその場でハイヒールで床を踏み付けた。

 次いで両腕を組んで、遠い目をして、長く重い溜め息を吐く。


「もう少し成長したら、中身が外見に追い付かないかしら……」

「うーん、これは育児疲れ」

「ウミヘビにも育児という段階があるんだな?」


 その時、卵型機器カプセルからゆっくりと出て来たニコチンが、手を戦慄かせながら水銀に迫ってきた。よく見たら額に青筋が浮かんでいる。

 怒り心頭、といった感じだ。


「水銀お前ぇ、なに小細工してやがんだ」

「あらニコチン、お疲れ様」

「さては俺を前座に使いやがったな……?」

「アンタのお陰でパラチオンが満足したようなものよ? MVPね。褒めてあげるわ」

「ドタマに風穴空けるぞ」


 水銀は素知らぬ顔をしているが、ニコチンは先程の試合で彼が小細工をしたと確信しているようだ。


「小細工……?」

「何かあったっけか? 記録ログ見直し……あっ」


 ずっと観戦していたモーズもフリーデンも気付いていなかった、小細工。確かめてみようとフリーデンが大画面ホログラム映像を操作し、少し巻き戻した所で気が付いた。

 爆風によってクリスがパラチオンの手から離れる時、よく見ると彼女の体に極細の銀糸が何本かくっ付いている。あれは水銀の毒素だ。それを用いて飛ぶ方向を誘導したのだろう。タリウムの元に届くように。

 ニコチンはそれに気付いたのだ。


「そう怒らない。MVP報酬として、旅行の件は話進めといてあげるから」

「ケッ。本当なのか怪しいな」

「こんな事でホラ吹くような小物じゃないわよ、ボク。ま、詳細は後日。期待して待ってなさいな」


 ひらひらと軽く手を振って、水銀はさっさとシミュレーションルームから出て行ってしまう。

 怒りをぶつける相手がいなくなったニコチンは盛大に舌打ちをすると、タバコを吸いながら彼もまた部屋を後にした。


「いま水銀、旅行って言わなかったか? ウミヘビって旅行できんの?」

「君が知らない事を私が知っている筈ないだろう?」

「そりゃそうだよな〜」


 モーズは先輩にあたるフリーデンに様々な事を教わってきたが、ここ最近は彼でも知らない事が出てきている。

 先輩とはいえフリーデンもクスシ歴2年、把握していない事の方が多いのかもしれない。


「まいいや。試合に参加してくれた面子は、後で俺から参加賞やるよ。大した物じゃないけど。クロールも頑張ったなぁ」

「あ、ありがたきお言葉……」


 フリーデンが直接クロールを労っても、いつものようにはしゃげないクロールは卵型機器カプセルの中でぐったりとしていた。

 それは他の第二課のウミヘビも同じだ。


「うぅ、ぼくもう暫く席から立ちたくない……」

「同感〜……。第三課相手に俺達頑張ったじゃん! 頑張ったじゃん本当にっ! だからここで休んだっていいじゃん!?」

「カリウムは場を引っ掻き回しただけなような……?」

「勝たせてやったんだから文句言うなタリウム〜っ!」


 取り敢えず騒げる元気があるならいいか、と他のウミヘビは放っておいて、モーズとフリーデンはクリスが座っている卵型機器カプセルまで戻ると、蓋が空いたその中に入って様子を伺う。


「お疲れ様です、クリスさん。寄宿舎に戻りましょう。……クリスさん?」


 立ち上がるのを補助しようとモーズが右手を伸ばすが、クリスは反応しない。何なら眼前で手を振っても反応がない。全く見えていない。

 彼女はただただ、真っ赤に染まった頬を両手で覆ってうつむいていた。


「あ、俺知ってる。こういうの『メロメロ』って言うんだ」


 ◇


「ふん。ようやく撒いたか」


 パラチオンの暴走がひと段落した頃、マイクはユストゥスと言う名の追手から逃れ、ネグラの住居と住居の間に身を潜めていた。


「あれ、オニーサンこんな所にいたのぉ?」


 しかしそんなマイクを、通りかかったアセトアルデヒドがあっさりと見付けてしまう。

 屋台バーから離れた彼の肩には大きな肩掛けバックが吊り下がっていて、中には様々な酒瓶が入っているのが見えた。


「僕、追加のドリンクを運んでいた所なんだけど、オニーサンも息切れているし飲むぅ?」

「俺は今仕事中だ。アルコールは……」

「これとか栄養ドリンクだよぉ。市販のだし変なの入ってない。駄目かなぁ?」

「……いや。そのぐらい、ならば」

「ま、いらなかったら捨てていいから。じゃあね〜」


 ぽいっ。とアセトアルデヒドから投げ渡されたキャップ付きの缶ドリンク。反射的に受け取ったマイクはその缶をまじまじと観察する。確かにこの栄養ドリンクは市販の既製品で、見覚えのある商品名と成分表が印刷してある。

 穴が空いている、蓋が一度開けられている、などの小細工もなし。ずっと走っていて喉が乾いていたマイクは、意を決して缶の中身を飲み干した。少し炭酸が入ったその栄養ドリンクは、彼の喉を望み通り潤してくれる。

 そうして一息つけた所で本格的に視察をと、マイクが路地から出ると、また声をかけられた。


「初めて見るお巡りさん。初めて見るお巡りさん」


 それはマイクからしても初めて見るウミヘビ。

 彼は白い髪をワックスできっちりと七三分けで撫で付け、白衣のボタンをしっかり留め乱なく着ていて、真面目で規律に忠実そうな印象を受けた。


「貴方に問いかけます。貴方に問いかけます」


 彼はマイクにいきなり質問をしてくる。


「昼間から、何なら朝から飲酒をする方をどうお思いかっ!」

「……それは、よくない事であり、控えるべき事だと考える」


 戸惑いながら正直にマイクが答えると、満足のいく回答だったらしくウミヘビはぱぁっと明るく笑った。


「そうでしょう、そうでしょう! 僕もそう思います! 風紀を乱す輩は罰するべきです!」

「あ、あぁ。勤務中の飲酒の場合は減給や降格、停職免職といった罰則を課す事もあるな」

「えぇ! 貴方は僕の理解者だ! ネグラの中限定になりますが、僕に出来ることならば何でもいたしましょう!」

「何っ!? 本当か……!?」

「えぇ、えぇ。貴方は僕が【先生】と呼ぶに相応しいお方。情報提供に道案内。攻撃的なウミヘビやクスシからの援護、擁護、護衛。何でも致しましょう」


 【先生】。それはウミヘビが執着する人間に対して使う、特別な敬称。その習性は強く、滅多な事では決して言わない。

 故にこのウミヘビは本気で、マイクに手を貸す気なのだとわかった。


「ウミヘビきっての正直者の僕とお喋りするだけでも、有益と認識しております」

「君のような真面目で正直者ばかりならば世の中も平和だろうに。こんな狭いネグラに押し込めておくには、勿体無い人材だな」

「……素晴らしい! 素晴らしいお巡りさん! 高貴なお巡りさん! いえ、先生!! 是非、僕と握手を! 握手をお願いいたします!」


 少し世辞を言えばこのウミヘビは直ぐに舞いがる。まさかこんなにも扱いやすいウミヘビの協力者を得られるとは、とマイクはほくそ笑みながら彼の手を取った。

 その直後、激しい酩酊感に襲われて目の前が歪み、足に力も入らなくなり、マイクはその場に倒れてしまう。


「えー? こいつも飲酒野郎じゃん。失望です」

「シアナミド!」


 そこにユストゥスが駆け付ける。マイクと握手を交わしたウミヘビ、《シアナミド(CN2H2)》の元へ。


「そこで何を……! なっ、貴様! 部外者に毒素を使ったな!?」

「僕は嘘吐きが嫌いです。嘘を付いていないか確認しただけです。僕の意見に賛同した体を取って飲酒をしていたこいつが悪いのです。失望です! 失望です! 二度と顔を見たくない!」


 シアナミドは怒りを露わにし、不機嫌なままさっさとこの場を立ち去ってしまった。

 残ったのは歩道に倒れたマイクのみ。ユストゥスは直ぐにマイクの前でしゃがみ込むと、容態を確認する。

 真っ赤になった顔、熱くなった身体、焦点の合わない目、激しい発汗、手足の震え……。


 急性アルコール中毒。


 そう診断したユストゥスは、黙々と腕時計型電子機器を起動した。


「フリッツ、今話せるか?」

『話せるよ。どうしたのかな?』

「……医務室のベッド、もう1つ用意しておいてくれ」



 ▼△▼

補足

シアナミド(CN2H2)

化学原料や肥料に扱われる劇物。

その最大の特徴は、人が摂取したアルコールの分解を阻害する事である。


アルコールは胃の中で酸化しアセトアルデヒドに変換、このアセトアルデヒドが人間に二日酔いをもたらすのだが、このアセトアルデヒドの分解、無毒化、そして排出する作用を阻害し体内に留まらせ、急性アルコール中毒をもたらす。

何が怖いかって栄養ドリンクやウィスキーボンボンや奈良漬など、「それ飲酒って言わないレベルだろ」な含アルコール飲食品摂取でも容赦なく急性アルコール中毒にしてしまう所。


この少量でも酒に苦しめられる性質から、アルコール依存症脱却の為の断酒薬として扱われる。


外見について

薬が白いので白い髪色にした。衣服は乱なく着こなす、ウミヘビの中では珍しく規律にうるさい自称風紀委員。

生真面目な彼を味方につけると心強いが、酒を少しでも(アルコール消毒を手に付ける程度だろうが)摂取すればアルコール中毒に陥れてしまうので、協力関係を築くのは至難の業である。

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