第31話 〈根〉

「パパー、ママー。どこ行っちゃったの〜?」


 モーズの耳に、子供の声が再び聞こえてくる。

 しかしやはり声が聞こえた方を見てみても誰もいない。


「先生?」

「また子供の声が……。幻聴か?」

「子供ですか。確かに視線の先は子供部屋ですね」


 セレンがモーズの視線の先の扉を見て言った。


「どの道確かめなきゃなんだ、入ってみよう」


 フリッツに命じられ、セレンはそろりそろりと慎重に子供部屋だという扉を開けて中を覗く。そして襲ってくる感染者がいない事を確認すると手招きをしてきた。

 そうして入室した子供部屋は真っ赤な菌糸が内臓の血管のように張り巡らされていて、


「これは……」

「どうやら当たりだったみたいだね」



 ――部屋の中央には、半端に糸で繋がれたマリオネットの如く、菌糸を不安定な形で纏い天井からぶら下がる、幼い少女の姿があった。



「さてモーズくん。彼女は感染者の成れの果て。初期状態での処分を逃れた者が辿り着く、ステージ5本来の姿といっていい」


 『珊瑚』によって変質した少女の顔はフジツボに似た膿疱のうほうで覆われて素顔が見えず、身体は歪に曲がり、手足が不自然に伸び、背中には菌糸の突起が蝶の羽の翅脈しみゃくのように生えている。

 しかし蛹から孵ろうとしている蝶に見立てるにはあまりに不規則で、不自然で、アンバランスでグロテクスな菌糸の羅列。

 あれは蝶の羽でも足でも何でもない、ただの寄生菌なのだと嫌でも突き付けてくる。


「この姿を見てまだ、人として扱えるかい?」


 フリッツの問いかけに、モーズは何も言い返せなかった。


「……。早めに〈根〉を確認出来たのは僥倖だった。侵蝕を止めてから合流に向かおう」


 そう言うとフリッツは首の後ろの黒髪をかき分け、


「踊ろう、アイギス」


 頸の皮膚から、ずるりと這い出るようにアイギスを出現させる。

 全体的に黄白色の、レース状の触手を持つその優雅なアイギスは、毒を持つ『オキクラゲ』の姿に似ていた。


「……貴方のアイギスは、有毒のオキクラゲに見えるな」

「養殖アイギスは皆んな無毒だよ。でもウミヘビの毒処理を重ねたアイギスには触手に毒素を蓄積している。今回はそれを使う」


 フグやウミウシのように、生物本体は毒を生成する機能はないが食べた物に含まれる毒素を蓄える生物は他にも複数いる。

 アイギスもそれらと同じく自らは毒を造らないが余所から貰って蓄え、身を守る事に使う習性があるのだと、フリッツは言う。


「『珊瑚』の処分が出来るほどの毒性はないけれど、〈根〉を菌床から切り離す事は出来る。それで半日は侵蝕は食い止められる。つまり安全性が格段に上がる。後はニコチン達に処分を……」


 ギギギ

 アイギスの触手を向けられた〈根〉が、敵意を感じたのか菌糸を動かし始める。

 その直後、部屋全体に蔓延るそれらが四方から鋭利な切先を向けてきた――!

 が、アイギスの触手がその菌糸全てを絡め取る。そのまま触手の剣状棘を経由して毒素を注入したのだろう、死滅した菌糸が先端からボロボロと崩れて赤い塵となり床に降り積もってゆく。


【いたいっ!】


 その時、また少女の声をした幻聴がモーズの耳に届く。先程よりもはっきりと聞こえる、それどころか耳元で叫ばれたような感覚に襲われ、モーズは少しふらついてしまう。


「モーズくん?」

「あ、あぁ。すまない。先程から幻聴が酷くて……」

「先生、一度洋館の外に出ますか? 綺麗な空気を吸った方がいいのかもしれません」


 話している最中にもアイギスは触手を〈根〉に向けて伸ばしていき、それを止めようと襲ってくる菌糸を片端から死滅させてゆく。


【いたい、いたいよぉおぉおおっ! いたいぃぃいいいっ!!】


 その度に、ガンガンと耳に、いや頭に直接響いてくる声。まるで殴られているようだ。

 モーズは白衣の端を握り締め、その痛みを覚える声を堪えた。


「いや、ここで目を逸らす訳にはいかない」

「でも倒れられても困る。〈根〉は見せられたんだし、後は外で待機して貰ってもいいよ。それで、うーん、車番くんに付き添い頼もうかなぁ」

「平気だ、平気……」


 その時、ゆっくりと〈根〉に近付いていっていたアイギスが、とうとう菌床と少女を繋ぐ菌糸へ触手を伸ばして絡めて毒を注入して、少女を床へ落とした。


【パパぁああっ! ママぁあああぁっ! いたいよぉおおおぉおっ!! ねぇどこぉおおっ!?】


 途端、一際大きくなる幻聴。

 少女が、幼い少女が親を探している。迷子になってしまったのか不安げな声をあげて泣く、普通の少女が。


「……親。この子の両親は、何処だろうか?」

「先程、水銀さんが処分した個体が親ではないでしょうか? 男性と女性でしたし」


 セレンの言う通り、廊下で眠る個体が親の可能性が高いかと、納得したモーズはふらつく足で床に転がる少女に向け、足を進める。

 フリッツはそんなモーズの腕を掴み、彼の足を止めた。


「モーズくん! その子は菌床と切り離しただけで危険性は下がっていない! 下がりなさい!」

「だが、女の子だ。この子はただの、幼い少女……」


 直後、フリッツの懸念通り少女の背中の菌糸が動き出し、急激に伸びてモーズに向けて切先を向けてきた――!

 ……だが、その切先はモーズに届く前に停止した。モーズの手の甲から生えた一本の触手が菌糸を絡め取り、動きを止めたからだ。


(……!? 呼びかけなしにアイギスがひとりでに動いた? いや、そもそもモーズくんにはまだアイギスの使い方を教えていない筈なのに)

「先生、下がってください」


 菌糸を絡め取ったものの毒を含んでいないのでそれ以上何も出来ないアイギスの触手に代わり、セレンが指先で菌糸に触れて死滅させる。


「私が運びますので」


 その後も襲い掛かってくる菌糸をいなし、時には蹴り、時には指先から毒素を送って死滅させて、セレンは少女本体へと辿り着く。


「セレンくん」

「廊下に移動させるだけですよ。それに私が力持ちなの、フリッツさんも知っているでしょう?」


 そしてセレンはひょいと、菌糸にまみれて重量が増している彼女を軽々抱き上げた。抱き上げられた少女は感染者だというのに異様に大人しい。

 ……よく見ると小刻みに震えていて、痙攣しているのがわかる。恐らくセレンは抱えている今も毒を送って大人しくさせているのだろう。

 そしてその毒で、少女は間も無く命を落とすだろう。


「セレン、有難う。有難う……」


 モーズは頭の隅でそれを理解しつつ、ただセレンに頭を下げ感謝を伝えたのだった。

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