第18話 十の賢者と百の猛毒

「君は人の意識レベル。僕は寄生菌の侵蝕具合。近しい研究だ。一人では取り扱えなくとも二人で取り組めば説得力が出て、お固いお国のお偉いさん方も『有意義な研究』なんじゃないかって錯覚してくれるんじゃないかな?」


 よくよく聞くと横暴さが垣間見えるフリッツの提案。それに対してモーズよりも先にユストゥスが反応する。


「フリッツ! 新入りではなく私に言えばいつでも手伝うが!?」

「手伝いじゃ駄目なんだよ、ユストゥス」


 穏やかな口調のまま、フリッツははっきりと断った。

 ピリリと空気がひりつく。


「僕らはクスシヘビでここはオフィウクス・ラボ。本気で、死ぬ気で取り組まなくては意味がない。……どうかな? モーズくん」


 似た研究テーマを持つ者との邂逅。しかもオフィウクス・ラボのクスシ――つまり優秀な人材からの誘い。

 またとない機会チャンスに、モーズは差し出された手を迷わず握り締めた。


「よろしくお願いします」

「提案を飲んでくれて嬉しいよ、モーズくん」


 マスクの下で微笑んでいるだろうフリッツは上機嫌に頷くと、また自分の席へと戻った。


「尤も今すぐ取り組むんじゃなくて、まずはここでの生活と基本的な仕事を覚えて貰うのが先だけどね。とは言え、今日は長旅で疲れているだろう。寄宿舎の案内が終わったら休んでいいよ」

「あっ、俺っ! 俺が案内したいでっす!」

「そう? ならフリーデンくんにお願いしようか」


 元気よく挙手をしたフリーデンに、フリッツは案内を任せる事とした。


「《アイギス》を渡すのも明日にするから、ゆっくり休んでね」


 アイギス。クスシヘビが体に寄生させる自己防衛機能、と聞いている寄生生命体。

 非常に気になる対象ではあるが、モーズはそれよりも先に解消しておきたい疑問を投げ掛ける事とした。


「フリッツ、さん」

「固いなぁ」

「では、フリッツ。訊きたい事があるのだが、いいか?」

「いいよ」

「他のクスシにも挨拶をと思うのだが、どこに居るのだろうか? 特に所長」


 この共同研究室に居るのはフリッツとユストゥス、そしてモーズと共に入室したフリーデンのみ。流石にこの人数だけでラボを回している事はないだろう。そもそもオフィウクス・ラボの最高責任者たる所長の姿が影も形も見当たらない。

 せめて所長には顔を見せなくては、とモーズが真面目に考えていると、フリッツは黒髪を乱雑に手で掻いて苦悶に満ちた声を出した。


「う〜ん、あぁ〜……」


 何だかとても悩んでいる。そして最終的に、彼は開き直るようにこう言った。


「いいよ、いいよ。所長、あと副所長はしょっちゅう放浪していて今もラボを空けているし。他のクスシも秘密主義だったり潔癖症だったり、好奇心の塊だったり気難し屋だったりで、なかなか共同研究室に顔を出さなくてねぇ。挨拶は会えた時でいいよ、うん」


 フリッツの説明から察するに、クスシは個性に満ちた面々なようだ。そういえばニコチンもクスシ達を『変人』と称していた。

 その事を思い出したモーズは、顔を合わせる事さえ出来ていない現状に一抹の不安を覚える。


「クスシはモーズくんを入れて丁度1.人になる。キリが良いし、折角だから皆んなで入所祝いしたい所なんだけどなぁ」

「10人……!? オフィウクス・ラボは創設されてから15年は経っていなかっただろうか!?」

「そうだよ。今年で創設15周年。つまりクスシは年に一人も増えない。ちなみに現時点で辞めた人はいない」


 10人。離職者がいない上でその少人数。オフィウクス・ラボは所長と副所長の二人が創設したそうなので、15年の間でモーズ含め8人しかクスシが増えていない事になる。


「確かにニコチンや所長との面接は面食らったが、そこまで狭き門には思えないのだが」

「ウミヘビとの相性が最優先だからね、そんなにほいほいクスシを増やせないんだ。だから基本は推薦形式。僕はユストゥスみたく拳で語り合う人とか、もっと増えてもいいと思うんだけどねぇ」

「フリッツ! 私の入所試験の話はしなくていいっ!」

(フリーデンが話していた暴力沙汰を起こしたのは彼か)


 出来れば会いたくないと思っていた人物に既に会っていた事に、モーズは内心ちょっと気が滅入った。


「しかし私を含めてたった10人では、ラボを管理し切れないのでは? 災害対処にコールドスリープ患者の対応、『珊瑚』の研究……。とても手が足りない。それとも他に職員が?」

「いいや、この人工島に人間は僕ら10人だけ」


 でも、とフリッツは一言区切って、


「ウミヘビは100人以上いる」


 圧倒的な人数差を告げ、モーズを絶句させる。


「雑務は自動人形オートマタがこなしてくれるし、それでも手の足りない所はウミヘビが埋めてくれているから、問題ないよ。個性豊かな子達でね、モーズくんも明日以降、暇な時は彼らの居住区を見て回るといい。きっと楽しいから」

「か、考えておこう。それともう一つだけ訊きたい」

「何かな?」


 穏やかに話を聞いてくれるフリッツ。躊躇する必要も緊張する必要もどこにもない。

 しかしそれでもモーズは一呼吸置き、意を決してこう問いかけた。


「『フランチェスコ』という名に、聞き覚えはないだろうか?」


 ◇


 結論から言えば、クスシにもコールドスリープ患者にもラボが請け負った処分感染者にも、モーズが訊ねた者の特徴を持つ該当者はいなかった。

 『フランチェスコ』。

 モーズが探している昔馴染みの名前。彼が処分された記録がなかったのは幸いだったと考えるべきか、手掛かり一つない現状を憂いるべきか。フリーデンに連れてラボの巨塔を出ながら、モーズは考え込んでいた。


「なんか思い詰めてるなぁ、モーズ。そのフランチェスコって人とはどんな関係なんだ?」

「幼少期からの腐れ縁だ。5年前から音信不通で、もしかしたらここに居るのではと思ったんだが……」


 地下の冷安室で眠っていたら、どれほど安堵した事だろう。珊瑚症患者の意識レベル調査を急ぐ事もなかっただろう。

 どちらも叶う事はなかったが。


「元からあまり期待はしていなかったとはいえ、何の情報も得られないのは少し辛いな」

「そんな長いこと心配される腐れ縁か〜。見付からないのはそりゃ不安だろうけど、ちょーっと羨ましいな」

「羨ましい?」


 「おう!」とフリーデンは元気よく返事をして、


「俺には昔馴染みなんて、居ないから」


 静かにそう告げた。

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